グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

大島の空から=その⑧ 

2020年01月31日 | その他
“大島の空から” 第8弾! 

今回は、島の西側から南西?海岸を中心に紹介したいと思います。

まずは“王の浜” ここは“野増地区”で開放されているダイビングポイント。
夏は海水浴で地元の子供達にも人気の場所です。

広い視野で見ると島の西側なのですが“湾の入り口“は北を向いています。
海への出入りは階段状になっている護岸。

近づいてみるとこの様な感じ・・・

海の中は、100m近くある長い根が何本も沖へ伸び
アオウミガメとの遭遇率がとても高いポイントです。

岸近くでは、“トウシキ”程見応えは有りませんが“柱状節理”が見られます。

少し南下してみましょう。
ここは“地層大切断面”の近く“千波崎”

昨日吹いた風の影響で大きなウネリが押し寄せていました。
黄色い⇒の所に立つ人物と比べると波の大きさが分かると思います。


更に南へ移動・・・“砂の浜“
1キロ程続く黒い砂浜、海亀が産卵にも訪れる貴重な場所。
砕ける白波とのコントラストがとても美しいです。


ここから北に目を向けると大量に海へ流れ込んだ溶岩と“地層大切断面”が望めます。


”地層大切断面”の南端は小さな沢になっているのですが
そこを伝って海まで下った砂が”第二砂の浜”を作っています。

山から溶岩が流れ、沢を伝って砂が運ばれ・・・台地が出来ていく。


海岸は至る所縞々だらけでした。    by GIBA


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若葉はどこへ?

2020年01月30日 | ツアー
神戸での「世界災害語り継ぎフォーラム」の報告は一時お休みして、今日のツアーの報告をしたいと思います。

今日は、とあるTV局の方とマンツーマンで火口〜裏砂漠〜樹海を歩いてきました。

番組をまとめるにあたり「まず大島のことを知りたい」と、ツアーを申し込んでくださったのです(嬉)

空は気持ちの良い青空でしたが、風が強いので火口を一周するのはやめて、他をゆっくり回りました。

お客さまが「くるくる〜」と言って写真を撮られていたサルトリイバラの蔓。

よく見たら、馬の顔にも似ているような??(笑)

コケが、胞子嚢をのばしていたので思わず足を止めました。

眩しいぐらい鮮やかなオレンジ色でした!

雪をかぶった富士山も、クッキリ綺麗に見えたので…

なんとかゴジラ(岩)の手の上に乗せようと試みましたが、失敗に終わりました(笑)

裏砂漠の地面には、いく筋もの水の跡が刻まれていました。

いつの雨の影響なのでしょう?

「地面の曲線が綺麗ですよね」と言い合いながら歩きました。


そして今日は、いつもは行かない場所まで足を伸ばしました。

台風で半分樹皮が剥ぎ取られた木々から、再生している若葉を紹介しようと思ったのです。

でも驚いたことに、若葉はほとんど見つかりませんでした。

1月4日(26日前)に来た時は、ほぼ全ての木から若葉が伸びていて、感動してブログにまとめたのに…あの時の若葉はどこへ???

樹皮はさらに剥がれ、まるで削り節みたいな姿になっていました。


ここまでいくと、若葉も生やせないかも?

これは、先日の雪でこうなったのでしょうか??
それとも別の原因があるのでしょうか??

常に風雨にさらされる裏砂漠に生きるのは、本当に大変なんだなぁと思いました。
(経過観察しなければ!)

山から降りたら、白いふわふわの冠毛をつけたテイカカズラの種子があちらこちらに落ちていたり…


道路に散った赤い椿の花が陽の光に照らされて綺麗だったりして、季節を感じました。

ツアー中、島の生き物や火山や人の暮らしなどについて、色々なお話をしながら歩きました。
伊豆大島のたくさんの素材の中から、どんな物語が生まれるのか、完成が楽しみです💕

(かな)



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シロアジサシ

2020年01月29日 | 
先週ハワイ(オアフ島)で撮影しました。
シロアジサシは太平洋、大西洋、インド洋の熱帯と亜熱帯地域に分布していますがハワイ諸島ではオアフ島のホノルル周辺にしかいないとのことです。
空港からホノルルに近付く車の中から上空を飛び交うたくさんの白い鳥に気付きました。
ほとんどがペアになって飛んでいます。
「なんじゃありゃ?・・・ハトじゃないよな・・・あ!シロアジサシかっ!!あれがシロアジサシかっ!!!」と、ひとりでかなりコーフンしました。
まさかホノルルにシロアジサシがいるとは思っていなかったので。

車を降りて街を散策するとあちこちにその姿があります。
運良く低い木にとまっている個体を見つけました。

羽毛は真っ白です。






なかなかの恥ずかしがり屋さんのようで(笑)
このあと飛んで少し高いところに行ってしまいました。


2羽でラブラブなところを撮りたかったんですが叶いませんでした。
それにしても街行く観光客の人々がこの鳥にまったく無関心なことが不思議でなりませんでした。
みんなのところでは普通種なのかなー。

がんま
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「2020世界災害語り継ぎフォーラム」1日目

2020年01月28日 | 火山・ジオパーク
今日から数回に分けて、私が「2020世界災害語り継ぎフォーラム」に参加して印象に残った話や発表を綴ろうと思います。(「ジオパークと語り継ぎ」の分科会座長をされた時事通信の中川和之氏のメモを参考に、まとめさせていただきます)

まずは、1月24日(金)の公開シンポジウムの様子から…。

(写真は開始時間前)

堀内正美氏(俳優、神戸市在住)の基調講演
実体験を通しての語りは、当時の光景が目に浮かぶようで惹きつけられました。その中でも震災の後、瓦礫の街と化した風景に呆然としていた時、神戸大空襲を経験した人から「全てなくなってはいない、まだ残っているものがある」と言われた…という話が印象的でした。冷凍庫に残っていた食材を使って雑炊を作り、自分たちでできることをやろうという知恵が出てきた。生き残った人たちで支え合ってきた…とのお話でした。

ブルームワークス(歌手)のパフォーマンス
歌手の2人のうち1人は防災士、1人は大学院で防災の研究をしている研究者。
学校や地域で音楽を交えた防災講演を多数実施しているそうです。

「試着室に行って悲しいのは裾上げをしてもらう時」の歌詞に最初「?」と思いましたがそれは…

身長171cmの彼氏の気持ちから日本人男性の平均身長へ、そして災害ダイヤルに繋がっていきます。


若者が集まる彼らのイベントでは…

91%が「防災意識が向上した」という結果が出ているそうです。

彼らは「ポップでキャッチーで365日聴ける歌を作ろう」と心がけ、歌を通して震災を知らない人、関心のない人にもメッセージが届くように活動しているそうです。

真面目で楽しい若者たちのチャレンジに感心しました。
(ブルームワークスについてもっと知りたい方はこちら

加川広重氏(画家 東日本大震災の記憶を絵画で語り継ぎ)の作品展示とトーク


迫力のある壁一面の絵が、映し出されました。

「雪に包まれる被災地」の絵です。
いつかぜひ、本物の絵を見てみたいと思いました。
(加川氏についてくわしく知りたい方はこちら

パネル討論
河田惠昭氏(座長)(人と防災未来センターセンター長)
「25年を迎え、これから語り継ぎは大変難しい。世界各国から語り継ぎ活動の情報もあるが、継続するにはどうすればいいか?」

深澤良信氏(世界災害語り継ぎネットワーク事務局長、元人と防災未来センター副センター長)
「心に響く語り継ぎ、感動を呼ぶ語り継ぎが心に刺さって、記憶に残り、伝わっていく。人防の800点の展示物は一つずつ大事なもの。私のお気に入りはペットボトル2つ。震災の翌日に、友達がバイクの後ろに2カートン乗っけて届けてくれたものの残り2本だという。被災地の人が水を届けてくれて嬉しいという気持ち、感謝が展示されている。それが私には深く心に響く。ペットボトルですら媒体になる。アート、絵画、音楽も。災害体験を“我が事”につなげたい」

シティ・マグフィラ氏(アチェ晃月学校協会)
「2004年12月の津波で2000人以上の方が亡くなったアチェ州のセミル島。震源地のそばの小さな島でだったが、犠牲者は6人のみだった。なぜなら1907年の津波の語り継ぎをやってきたから。津波の歌(祖父母から聞いていた)、紙芝居、映画や劇を通して語り継ぎ。子どもに教訓を伝えていくことが重要。我々が経験したことを彼らに経験させてはいけない」

坂口奈央(東北大学大学院文学研究科)
「岩手県の震災記録誌『いきるあかし』のお手伝いをした。250ページの中に『町民の声』を100人以上載せた。大槌高校の高校生が13名参加し、大人の聞き取りをした。震災時には8-9歳だった高校生たちは2011年の記憶が失われかけていたが、1日3-4組に聞き取りをする中で意識に変化が見られ、自分たちで考えて質問するようになった。大人たちは自分たちのやってきたことを振り返る場にもなった。震災からかけ離れた場に居た大学生にも手伝ってもらい、インタビューが伝承の場になった」

イブラヒム・コモオ氏(世界ジオパークネットワーク副会長)
「ジオパークは2000年に始まった非常に新しい取り組み。ジオパークの多くは災害に関係しており、どこのジオパークにも解説看板があって災害のストーリーも知ることができる。解説看板は、科学者に対してではなく一般市民のためのもの。教育も重視しており、子どもたちや観光客が学ぶことが出来る出版物もある。ジオツアーとして伝える場を作り、コミュニティが観光資源になっている。多くのジオパークには、アートや文化的な活動がある」

西野恭子氏(独立行政法人国際協力機構関西センター(JICA 関西)所長)
「HAT神戸に拠点があり国際協力を行っている。兵庫県と共同で国際防災センターを維持し、121カ国から3000人が学んでいる。阪神だけでなく日本の災害の教訓を共有、参加した国同士も繋ぐ。研修ででかける気仙沼市の震災伝承館では、中学生の語り部から学び。中学生自身が「世界に役立つ」と体感する機会にもなっている。資料や映像で知ることは出来るが、生の声を聞くことに意義があるという声が多い。青年海外協力隊の事業でも防災啓発の教材を使って、わかりやすく楽しく伝える活動をしている」

以上のような様々な取り組みの発表の後「これからどう継続させるか?」が話し合われました。

そして河田氏から具体的な提案がありました。

「始めに小さい運動でも育てていけば必ず大きくなる。語り継ぎは当面は文章、それを審査して発表会をしてはどうか。絵本にして幼児教育にいかす。各国語に訳し、子どもたちが大人になっても忘れないようにする。5年に1度は世界災害語り継ぎフォーラム。教訓をいかに後世に伝えて活かすか」

これに対し、パネラーの皆さんからは
「子どもを通じて周りのコミュニティにつながる。絵本の話が具体化したら、青年海外協力隊の活動の中で使って、地域の皆さんに防災の教育が出来る。100カ所ぐらいの事務所があるので、現地に拡げることは出来るのでは」
「ユネスコ世界ジオパークで協力できる。41の国に147のジオパーク。絵本を展開できる。協力して行ければと考える」
「提案だが、審査をする人が中高生がやったらいいと思う。審査をすることで興味を持つ。青少年記の体験は将来を左右する。中高生なら刺激的な感性でモノを見抜くのでは。そこを挑戦的にやってみてはどうかと思った」
「絵本に於いては、たくさんの場所、被災地の経験が共有できるものになれば。子どもが登場して、子どもたちが理解できるようになればいい。アーカイブのようになってしまうと、どうかとは思う。ストーリーを伝えるようなものになればいい」
「日本で始めてもいいが、国際展開を念頭に始めるべき。テルネットの代表としては、他の国の方もそれぞれの国で同じようなことをやって欲しい」
などの意見が出ました。

最後に河田氏から以下のメッセージがありました。
「続けなければいけない。次の語り継ぎフォーラム、2025年を目標にやりたい。目標を持たないと行けない。将来にどうつなげるかを念頭に議論していただきたい。絵本だけ残ってはダメ。絵本はきっかけと考えている。殺伐とした話だけだと暗くなる。文化にしないといけない。その可能性を追求しながら輪を拡げないと。楽しく生きたいので、ネガティブなことを忘れたいのが人間の本能。風化が進むのは当たり前。新たな教訓を自分のモノにするために、テルネットの努力がつながって行けば嬉しいと思う」

今回のフォーラムの様子は、3月14日午後2時からeテレで、放送されるそうです。

今回私がまとめたものは、ほんの一部。
詳しく知りたい方は、ぜひ番組をご覧ください。

(かな)
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大島椿パレードの裏側? 

2020年01月27日 | その他
昨日から椿祭りが始まりました。
始まりはいつもの通りパレードからなのですが、雨の無いこの日のはずが今年は雨が降ってしまいました。私の参加するのは婦人会ですが、パレードは傘をさしての参加でした。(いつもでしたら椿の花を手に持って踊ります)

港の待合所に入ってほっと一息している所

参加者色々 3匹のネズミ、ミス雪椿(加茂から)



こちらは大島のミスたち(私達の一人と歳は同じ かな)


おやおや派手なコスチューム(私としてはすぐに声をかけてしまいます)

椿精?

あらあらねこさんもいました


キャー鬼もいました


アンコキッズの華麗なる舞


お耳にも注目しました

バグパイプ  その音で椿ちゃんが舞っていました


パレードの最後、神輿がやって来ました

ぼやけているのはレンズに水滴がかかってしまったから、それほど降っていましたから

パレードが終わり急いで駆け付けたのは

大島高校の椿園 ここで学生さんの椿ガイドが有ります

落ちた椿も捨てがたい



これから椿の季節が始まります。どんな椿に会えるかな、去年の椿は今年もきれいに咲いてくれるのでしょうか?今年は暖かい日が多かったので都道などの椿は花が多いようですがその後どうなるやら(しま)
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「2020世界災害語り継ぎフォーラム」に行ってきました

2020年01月26日 | 火山・ジオパーク
一昨日から今日まで神戸で行われた「2020世界災害語り継ぎフォーラム(2020テルネットフォーラム)」に参加するため神戸に行ってきました。(フォーラム詳細はこちら

テルネットは阪神・淡路大震災の後に「災害体験や教訓を広く、世代を超えて語り継ぐ」ことを目的して設立されたネットワークです。(テルネットについてはこちら

「時間とともに薄れていく災害の記憶を誰にどう伝えていくか?」が、3日間を通して熱く議論されました。

スケジュールはざっくりまとめると、以下のような感じです。

1日目(おととい)
公開シンポジウム
堀内正美(俳優、神戸在住)による基調講演
歌を通して災害を語り継ごうと活動しているBloom Worksのパフォーマンス
巨大画を通して災害記憶を語り継いでいる加川広重氏の活動紹介
パネルディスカッションなど

2日目(昨日)
分科会
A 語り継ぎとミュージアムの役割
B 語り継ぎとツーリズム
C 語り継ぎとローカルコミュニティ
D ジオパークと語り継ぎ
E 災害遺構と記憶の継承
F 語り継ぎと交流

3日目(今日)
ポスター発表
全体会議
講演

今回「ジオパーク」が語り継ぎの方法の一つとして取り上げられ、私はその分科会中で発表してきました。

様々な取り組みや“人の思い”に触れて感動し、いっぱい考えさせられました。

そして日本だけではなく、世界中で災害が起こっていることを実感しました。(今回は中国、インド、インドネシア、タイ、マレーシア、フィリピン、イタリア、ラオス、台湾、ラオス、ミャンマー、イラン、ハワイ、ベトナムから参加・発表されていました)

内容については、少し整理してからまとめたいと思います。
頭を使いすぎて(?)かなりモウロウとしているので、今日はこれにて(⌒-⌒; )

(かな)
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牧場のスズメたち

2020年01月25日 | 
冬場、牧場でスズメを見るのが好きです。
たまーに変わった羽色の子がいたりして。
今回はいませんでしたけど。





ウシの餌からこぼれ落ちたなにか穀物を食べているようです(今度近くに行って調べてみよう!)




時々いさかいも。
車の中から見ているのですが、とにかくにぎやかです。


こんなすき間にも。


ウシも気にしてません(スズメは飛んでっちゃった)
1月17日撮影。

がんま
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大島の空から=その⑦ 雪の三原山

2020年01月24日 | その他
“大島の空から” 第7弾! 三原山の絶景 

1月19日、西谷が担当したツアーに同行してきました。
当日のツアーの様子はこちらでご覧頂けます。
上のブログにも有りますが
土曜日(18日)“フルコースツアー”を歩く予定が悪天候の為翌日に変更・・・
しかし当日は、温泉ホテルから山頂口へ向かう道路が積雪の為
何と!!! “通行止め“

それで、温泉Hまで来たついで、ドローンを持って一緒に歩く事になりました。

多少風は有るものの飛ばせる範囲、雪景色を撮る絶好のチャンスです。

黒い溶岩と白い雪、コントラストが美しいです。


今年は暖かい日が多く
一晩で、こんな景色が見られるとは想像もしませんでした。


この斜面、スキーで滑りたいですね~。リフトが有ればですが・・・。



下に目を向けるとゲストさんの影が巨人の様に見えました。


雪の上に寝転んでいた皆さんに協力を仰いで・・・

雪の結晶完成! 

年に数回しかない雪景色の三原山、天候に恵まれ最高でした。

ご一緒させて頂いた皆さん!ありがとうございました。  
日を改めて今度は火口を見に行きましょうね~。 By GIBA
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ジオパーク研究会主催「大島の水の話」を聞いてきました

2020年01月23日 | 火山・ジオパーク
昨日ジオパーク研究会主催の「大島の水の話」を聞きに行って来ました。

講師はジオガイド養成講座でも講師をしてくれたIさん

参加者は32名だったそうです。

まず配られた資料を見て驚きました。

全26ページ!


読みやすくてわかりやすい文章と、この資料を作るためにわざわざ取材してくださったと思われる写真がふんだんに使われていました。


これをみた時「今回のお話のためにどれほど時間をかけて準備してくれたのだろう?」と、まずそのことに感動しました。

資料は、大島がまだ6つの集落に分かれ、集落ごとに異なる暮らしぶりだった頃から始まり、いろいろな出来事を経て「今」に至るまでを、わかりやすく整理して綴られていました。

その内容を、ごくごく簡単に、まとめてみます。

「噴火の度に火山灰や穴だらけの小石(スコリア)が地面に降り積もる伊豆大島では、集落ごとに湧き水がある場所があり、そこから真水をとって桶に入れて頭上運搬で家に運び、料理やお茶に使っていた。これとは別に渇水の時のために集落近くに井戸を掘って海水の混ざったしょっぱい水を汲んで家に運び、この水は雑用や家畜用に使った」

「井戸は水が豊富な集落にはなかった(あったのは、元町、岡田、差木地の3つの集落のみ)。湧水がある場所が集落から遠い差木地では、頭上運搬で水を運ぶ桶の代わりに背負子に樽を固定して運んだ」


Iさんは、実際に昔とほぼ同じ量の水を用意してくれていて…


それを数人が実際に頭に乗せてみました。

実体験を持つ、Sさん。

ご本人は「本物の水よりやりにくい」と言ってましたが、上手でした😄

「一番若い人」とのことで、ジオパーク事務局の臼井さん。

「重いです〜!!」との感想に、みんな大受け。

背負子に乗せて運んだ樽も、実物を見せてくれました。

桶の2倍以上の量が入るようです。

「明治時代に日本にトタン板が入り、大島でもトタンを流れた天水をためるようになる。大きい母屋ではなく、小さな隠居小屋の屋根を、茅葺きからトタンに変えて、水を取る家が多かった」
水を集めるために、大島では珍しくなかった隠居小屋の屋根を変えたんですね。

「大正時代から、コンクリートで井戸や共同タンクが作られるようになった。竹製のトヨで、水源から集落まで水を引くなども行われた。昭和30年元町の八重川、34年差木地に簡易水道が引かれ、全島に水道が整った」
水道が整ってまだ60年なのですね。

「核実験で放射能が問題になって天水の危険性が心配され、エバークリーナという放射能濾過器が全戸に配られたが、1年ほどでほとんど使われなくなった」


ググってみたら、東京都衛生研究所の論文に「昭和34年度の調査では,大島町で採取した天水から飲料水の許容量を上回る放射能が検出された」、「住民に対して,降りたての雨は捨てる,砂ろ過装置を使用する等の対策を指導した」とありました。

エバークリーナの実物も見せてもらいました。


「昭和30年代後半から40年代前半に、給水区域の拡張と水道普及率の上昇で水道事業は飛躍的な進化を遂げる。昭和47年には処理能力1000㎥/1日のイオン交換膜電気透析法によるかんすい脱塩浄水場が元町に完成。しかし昭和61年の噴火で地下水が温度上昇し、水質も悪化して使えなくなり、北の山地区に移設。その後も、諸々の変遷があって、現在は島の北部(北の山)と南部に浄水場があり、元町に中央監視、各地に貯水池を置き、一度そこにためてから自然流下で各家庭に送っている」。

前回の噴火も影響していたんですね。

「台風15号の断水の時は停電で貯水池に水を貯められなくなり、断水になった。今は脱塩した地下水と、塩分を含まない水を混ぜて水道として各家庭に送っている」

様々な参加型の体験を通しての講演は、とてもとても面白く、参加者からは
「染め物の色が元町の水で染めるとピンクなのに、差木地の水で染めると紫がかるのはなぜ?」
「元町のしょっぱい水を使って美味しいコーヒーを入れるように研究したり、しょっぱい水でも美味しく飲めるお茶を売っている店があったりした」
などなど面白い質問や情報が共有されました。

講師のIさんが「大変な時代を通して今がある」と語られていたように、今の私たちの便利な暮らしは、昔からのたくさんの人の苦労や工夫の上に成り立っているのだと感じました。資料の最後には…
「蛇口からいつでも潤沢な飲料水が出てくるのが当たり前の時代、昔の人達の水を手に入れる苦労を思い出してみましょう」と結ばれていました。

本当に面白くて、感動した講習でした。
資料もぜひ、できるだけ多くの人に見ていただきたいです。

ところで調べたら、このブログの初期の頃、成瀨さんが「天水井戸 ・ いど神様」と題して、エバークリーナのことも紹介していました。
https://blog.goo.ne.jp/gscrikuguide6/e/4917797ed1839200f4ecf80ba89a5378

(かな)

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カラスの行水

2020年01月22日 | 
今の時期、ニンゲンだったらとても耐えられません(なにかの修行している人は別かな)



貯水池でハシブトガラスが水浴びをしていました。
風のない穏やかな日。






おんなじような画像ばかりですが(汗)
さっぱりしたことでしょう。
(撮影日1月14日)

がんま
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