ノーベル平和賞を受賞した日本被団協代表の演説を聴いていたら、自然に涙がでてきた。
この本は、もう二日前には読み終えていた。しかしなかなか読後の気持ちを書こうとは思わなかった。
わたしがこの本を読むなかで、何度も活字を追うのを止めて空を見つめることがしばしばであった。それだけではなく、読みはじめると、異次元の世界に入り込んだような気持ちになってしまい、現実の日常生活と『別れを告げない』の作品世界との間に、大きな懸隔があることにきづいた。何度も立ち止まり、立ち止まりつつ、やっと読み終えた。
1948年韓国済州島では、あらんかぎりの暴虐が吹き荒れた。アメリカ軍、李承晩政権、軍隊、警察、そして右翼青年たち。国家のお墨付きを得た者たちが、次々と残酷な死を多くの人びとに強いた。
きょうの新聞に、作者のハン・ガンのノーベル賞受賞記念講演で語られたことが記されていた。そこには、「私と肩を寄せ合いながら立っているこの人たちも、通りの向こう側の人たちも、一人一人が独自の「私」として生きている」と書かれていた。ハン・ガンらしい指摘である。
たくさんの人びとが虐殺されるとき、それは数で表される。どこでも同じである。しかし、そこで表された数だけ、「私」があったのである。
おそらくハン・ガンであろうこの小説の主人公キョンハは、友人のインソンとともに、済州島で虐殺された「私」を探っていく。インソンの母は、あの虐殺のまっただなかにいて、多くの血縁者、地域の人びとを殺された。インソンの母は、連行されていった兄の行方を探索していた。しかしインソンは、母が亡くなるまでそれを知らなかった。
母も、兄もその他の人びとは、すでにこの世にはない。ならば、その「人びと」の「私」を知るためには、死後の世界に入りこむしかない。もちろん、生きている者が死の世界に入り込むことはできない、生と死のすれすれのところで、インソンもキョンハも母の行動をたどる。残された資料には、「私」に関する事項は残されている。しかし、それは「私」ではない。「私」には、怒り、悲しみ、歓びなどの感情がある。しかし資料には、「私」の感情は記されていない。母という「私」がどのように、人びとの死をたどったか、その足跡も記されていない。
ならば、生きている者たちは、「私」を、どうして生の世界だけで知ることができよう。
ハン・ガンは、「窮極の愛についての小説」を書いたという。愛情をもつ「私」が、亡くなった者たちの、同じく愛情を持つ「私」を掴み取るのである。掴み取らなければ、さまざまな感情を抱き、その感情を表していた亡くなった者たちの「私」は、わからないではないか。
人間は、愛の対象でもあり、愛の主体でもある。しかしその人間が亡くなるということは、愛する、愛されるという主体・客体が同時に消えていくということである。愛によって結ばれていた人間の関係が、断たれること、それが死なのだ。
その死が、突然、何者かの暴力によってやってくる。暴力は、人間を死に至らしめるだけではなく、愛によって結ばれていた無数の人間関係をも断つ。
ハン・ガンは、そうした人間の死、そしてその死によって断たれた関係を、それぞれの心理の奥深くまで、静かに静かにさぐっていく。その先にあるのは、おそらく人間をつなぐ愛なのであろう。
この小説の色は、黒と白と赤である。赤は、血の色だ。黒は木々であり、殺された人びとである。そして白は雪である。雪は、色を隠していくが、同時に、生きる者を包むものでもある。
ハン・ガンは先のノーベル賞受賞記念の講演で、「文学を読み、書くという営みは、同じく必然的に、生を破壊する全ての行為に真っ向から対立するということです。この文学賞を受賞する意味を、暴力に真っ向から立ち向かう皆さんと分かち合いたい」と語る。
暴力が吹き荒れる現在の世界で、「生を破壊する全ての行為に真っ向から対立する」ハン・ガンが受賞した意味は大きい。被団協のノーベル平和賞受賞と共に、その意味は大きい。
ハン・ガンの小説は、続けて二度読まなければならない深みをもつ。もう一度、わたしも読み直さなければならない。
なお、訳者あとがきに、1948年に済州島で起きた事件の内容が、記されている。この事件は、日本にも影響をもたらした。済州島から日本に逃れてきた人びともいた。作家の金時鐘らがそうである。
ちなみに、この事件の背景には、日本の植民地支配があったことを認識しておかなければならない。