◎「構造改革」の展開
日本の政治社会構造を新自由主義的に「改造」する改革がすすめられた。
一般に新自由主義とは、「政府などによる規制の最小化と、自由競争を重んじる考え方。規制や過度な社会保障・福祉・富の再分配は政府の肥大化をまねき、企業や個人の自由な経済活動を妨げると批判。市場での自由競争により、富が増大し、社会全体に行き渡るとする」(「デジタル大辞泉」)考え方である。
先鞭を付けたのは、イギリスのサッチャーだった。
サッチャー(1925~2013)は、1979年に首相となり、それから1990年まで新自由主義的な改革を断行した。
サッチャーは「小さな政府」を志向した。「小さな政府」を実現するため、彼女は政府支出の削減と減税を行った。彼女が最初に行ったことは、教育、社会福祉、公衆衛生、住宅等への政府支出の切り詰め、公営企業等への援助金などの縮小であり、その一方で軍人と警官の優遇、軍事費の増額であった。減税は所得税に対して行われ、他方支出税(消費税)が増税された(高所得者への優遇と中・低所得層への冷遇)。
ところでイギリスでは1984年から1985年にかけて、炭鉱の大幅な合理化案に反対する全国炭鉱組合による大規模なストライキが行われた。サッチャーは対決姿勢を鮮明にし、ストライキを組合側の全面的な敗北に導いた。この炭鉱争議は、サッチャーにとって、労働運動を衰退させるための突破口であった。この争議を抑圧するために、サッチャーは政府支出の削減を唱えているにもかかわらず、巨額の費用を投入した。1982年にはアルゼンチンとフォークランド諸島をめぐって戦争が開始されたが、彼女はこれにも巨費を投入した。
サッチャーのものの見方は単純で、すべてを善か悪か、正か邪かで判断する二元論で、悪(邪)とみなしたものを徹底的に攻撃する。彼女にとって「悪」は福祉制度であり、公衆衛生であり、労働組合なのである。そして「善」は納税者である。納税者は政府の株主であり、大金持ちは大株主でもあるから、サッチャーは大口の納税者(大金持ち)の発言には耳を傾ける(「納税者の理論」)。かくて政府は、金持ち階級の「御用政府」となる。(森嶋通夫『サッチャー時代のイギリス』岩波新書、1988年を参照した。)
日本でも、このような改革が推進された。まず「労働規制の撤廃」である。
例:派遣労働の規制緩和(自由化) 労働者派遣法の展開
1985年 専門業務派遣13業種のみ
1996年 専門業務26業務に拡大
1999年 原則自由、臨時的・一般的業務も解禁(期間1年)
2003年 専門業務派遣(原則3年、更新可能)、臨時的・一般的業務(原則1年、3年まで)、製造業派遣も可能
2012年 規制を強化,派遣期間が 30日以内のいわゆる日雇派遣は原則禁止,期限付きで働く派遣労働者が無期限の雇用者となれるよう派遣元が支援すること,派遣労働者と派遣先の労働者との待遇の均衡化に努めること。
2015年 専門26業務の区分が廃止され,すべての業務に関して,派遣先の同一の事業所における派遣労働者の受け入れの上限が原則 3年。派遣元には,派遣先への直接雇用の依頼など雇用安定措置や派遣労働者のキャリアアップ措置の実施が義務づけられた。
またサッチャーの炭坑労働組合への強圧的な動きは、日本では国鉄の分割民営化としてあらわれた(1987年)。このなかで、国鉄労働組合は、徹底的に差別され、抑圧された。
小泉内閣は新自由主義的改革を推進した。「構造改革なくして日本の再生と未来はない」と、小泉は叫んで推進した。その内容は、
①不良債権処理(貸し渋り、貸し剥がし)→倒産、失業
②民営化(「民間部門の活動の場と収益機会を拡大する」)
③「小さな政府」→公務員の減少 しかし、「官製ワーキングプア」
④「規制緩和」
新規参入の自由化
構造改革特区
⑤歳出抑制(財政健全化)
そのような改革の背後にいたのが、経団連などの財界、そしてアメリカであった。
その結果はどうだったのか。
① 経済成長せず
② 大企業だけが内部留保をため込む 「法人企業統計」 大和総研
2016年 社内留保 30兆円+内部留保(利益余剰金)406兆円 +法人企業統計上の内部留保 48兆円(その状態=投資有価証券 304兆円(179兆円)+現預金211兆円(147兆円) 有形固定資産455兆円(464兆円)) ※( )内の数字は2006年の数字
③ 格差社会
④ 人口減少
「日本はもはや、誰もが豊かさを享受する国でも世界の先端を行く国でもない。失敗と迷走を重ねる不安と課題でいっぱいの国なのだ」(吉見俊哉『平成時代』岩波新書、2019年)