浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】ティモシー・スナイダー『ブラッドランド』下巻

2024-12-05 19:36:26 | 

 やっと読み終えた。他の本と並行して読んでいるので、なかなか読了できなかった。

 さて、黒海からバルト海に至る「ブラッドランド」では、ナチスドイツとスターリンによって1400万人が殺された。

 「1400万というのは、ナチス・ドイツとソ連が故意におこなった大量殺人政策により流血地帯で殺害された人々のおよその数である。」とスナイダーは書いている。

 もちろん、この数字には、様々な脱落がある。詳しくは本書にあたって欲しいが、すべての死亡者数ではない。もっともっと多くの人が亡くなっている。

 なぜ人間は、このような大量殺戮をおこなうことが出来るのか?ソ連ではスターリンが命令し、ドイツではヒトラーが命令した。その命令を受けた人々が、殺戮に手を貸した。実際に殺戮をおこなった者たちはどのような人間で、彼らに責任はなかったのか。

 ハンナ・アーレントの結論は、彼らは「凡庸な人間」であった。命令に従順になる人、殺戮すれば上司の覚えがよくなると思った人、そうすれば出世すると思った人・・・・・・・

 そして大量殺戮がおこなわれたあとに生き残った人びとは、みずからを「被害者」と位置づける。

 「20世紀の大戦争や大量殺人は、すべて最初に侵略者や犯罪者が自分はなんの罪もない被害者だと主張するところからはじまっている。」(263)

 日本国政府もご多分に漏れず、「ABCD包囲陣」により、戦争を余儀なくされたのだ、被害者だと主張することと同じである。

 ブラッドランドでは、たくさんの人が殺されたが、戦争に関わったそれぞれの国は、「戦争犠牲者」として死者の数を「盛っている」。死者は、ナショナリズムや「被害者だと主張する」なかで、水増しされる。

 スナイダーは、1400万人という死者の数を、このように考えるべきだと主張する。「1×1400万人」。つまり殺されたひとり一人に着目させようとする。その通りだと思う。

 さて今も、イスラエル国家は、ガザをはじめ、周辺の国地域に住む人びとに爆弾の雨を降らせている。イスラエルに来たユダヤ人のなかでも、このブラッドランドから生き延びてきた人が多いという。ブラッドランドはでは、その名の通りたくさんの血が流された。そういう体験をもった人びとが、イスラエルに移っていった。

 暴力に囲まれて生きていた人びとは、暴力を憎むのだろうか、それとも自分が暴力を振るうようになるのだろうか。

 歴史は、ここだけではなく、地球上のどこでも、暴力が吹き荒れ、多くの血が流された事実を刻む。

 人間とはいかなる存在なのか。この問いは、今でも考える意味がある。

 

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根拠なき情報

2024-12-05 11:17:16 | 日記

 ネットにはフェイクを含む多様で雑多な情報が渦巻いている。とりわけ、X(旧Twitter)やYouTubeは顕著である。誰もが情報や動画を発信できるというところから、そして閲覧数が多ければ多いほど発信者にはおカネが入るということになれば、有象無象の人びとがそこに参入するのは間違いのないことだ。

 さて昨日の集まりで、どのような情報を信じたらよいかはわからない、というような意見が出た。

 まずわたしは、Xについては、信頼できる情報とはみなさない。だからXを利用もしていないし、見てもいない。というのも、たとえそこに信頼できる情報があったとしても、短い字数では的確な情報を流すことは出来ないと思うからである。重要な情報であるならば、短い字数で丁寧に説明できるわけがない。まずその情報を誰が、どのような根拠にもとづいて、なぜ発信したのかがわからなければならない。Xでは、おそらく根拠を示すことは難しいだろう。

 わたしは長い間、歴史研究を行ってきたが、歴史はまず史料がなければ成りたたない。つまり根拠である。史料なしに歴史を組み立てることはできない。またその史料が使用に耐えるほどの信頼性があるのかを、他の史料や文献その他で厳密に検討していく(これを「史料批判」という)。

 そのような習性がついていることから、いろいろな情報が流されてきても、すぐに信用することは絶対にしない。その情報が信頼に価するかどうかを、他の資料(文献や公刊資料など)を参照しながら考えていく。

 そもそもわたしは、自分で納得しない限り、流されてくる情報を信じない。ときに送られてくる情報について、はやくそれについての考えを示して欲しいと求められることがあるが、しかし当方にも調べなければならないこと、読まなければならないことなど、ほかにしなければならないことがあるので、その求めに即座に対応することは出来ないのである。

 そのため、送られてきた情報をそのままにしておかざるを得ないのだが、それが功を奏して、タイムラグが生じることから、その情報の真偽や軽重がおのずから明らかになってしまうということがある。情報が流されてきても、その情報に対する判断を停止しておくことも大切だと思う。

 少なくとも、わたしはいろいろな情報を、本から得ることを基本としている。そのなかには、雑誌も入る。雑誌は、『週刊金曜日』、『世界』、『地平』、『法と民主主義』を定期購読しつつ、時に『現代思想』を購入している。また単行本を買い、あるいは図書館から借りだすなど、とにかく本を通して情報を得るようにしている。本の中にはろくでもないものもあるが、そこは今までの読書経験から判断してろくでもないものについては基本的に読まないようにしている。

 唯一ネットで信用しているのは、YouTubeの「デモクラシータイムズ」である。いつも見ているわけではないが、信頼できる人びとが出演しているからである。

 

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