浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

検察は控訴するな!!

2024-09-26 14:34:28 | 社会

 袴田巌さんは無罪!!!あたりまえの判決である。

 袴田さんを犯人に仕立て上げるために、証拠を捏造した。静岡県警は、そういうことをする捜査機関であった。「冤罪のデパート」と呼ばれるほどの非法の捜査を繰り広げてきたのが静岡県警である。

 今日の判決でも、裁判長は「捏造」を認めたようだ。

 捜査機関だけに問題があるのではなく、検察官、今までこの事件に関わった多くの裁判官にも責任がある。

 とにかく、検察は、控訴することなく、素直に判決を受け入れ、判決を確定するべきである。

 

 そして再審に関する制度をきちんとつくりあげるべきだ。検察官は証拠を隠すことをできなくさせる、無罪判決が出たら控訴することはできない、こういう制度を確立すべきである。

 

 まずはよかった。

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ああ、愚策ばかり・・・

2024-09-23 08:55:56 | 社会

 昨日の『東京新聞』の「こちら特報部」の記事を読むと、いろいろ怒りが湧いてくる。

 まず民生委員。わたしは一期だけ民生委員を務めたことがある。以前にも書いたことがあるが、わたしは意欲的に仕事をした。一人暮らしの老人宅には、毎月一回訪問し、近況を聞き、世間話をしたりした。そういう仕事が民生委員の仕事だと思っていたからだ。

 毎月一回、民生委員の地区会があった。そこには社会福祉協議会の人、市役所の人が参加していた。そこでは、意見交換が行われたりした。それは必要なことだと思ったが、それ以外に社会福祉協議会の仕事、市の仕事が民生委員におろされてきた。その仕事が半端ではない。『東京新聞』の記事にもあったが、「あて職も多く、行政などに『何でも屋』のように頼まれやすい。・・・・担い手不足の根源は、負担の過多にある。」

 市役所では「行政改革」の名の下、正規の職員が減らされ、実際に住民と接する仕事は非正規に任されるようになった。市役所などの窓口にいるのは非正規ばかりである。福祉の関係の、高齢者などと接して行う仕事は、民生委員にやらせるのである。民生委員は若干の手当はでるが、原則無給である。猛暑の中、あるいは冷たい風が吹きつける中、民生委員は自転車に乗ってそれぞれの家庭に足を運ぶ。

 わたしは民生委員になった当初は、果たして必要な仕事なのかと思いながらも、仕事を行った。しかしそれが度々であったので、抗議するようになった。一度は、市から調査して欲しいといわれ、調査したが一軒だけ、いつ行っても不在、そこでいつも不在だから、そちらでやってくれと言いに行ったところ、結局市はやらなかった。やらなくてもいい仕事を、なぜに民生委員にやらせるのか、腹が立った。

 民生委員のなり手がいない、というが、行政はタダでつかえる労働力として民生委員を位置づけるのはやめるべきだ。それが最初に行うことだ。

 

 さてもうひとつ。前川喜平さんの「五輪選手を教師に?」というコラム。文科省はいったいなにを考えているのかと思う。五輪選手を教員として採用するなら、「特別免許状」を発行し、国庫負担金を加配するというのである。体育の教員は多い。毎年どこかで行われる国民体育大会のために、それが近づく中で体育の教員をたくさん採用する。するとその後では、体育の教員の採用は長期間なくなる。

 静岡県の某校では、体育の授業は、2クラスに体育教員が3~4名貼り付く。ティームティーチングだとのこと。

 そのうえさらに五輪選手を教師にする、というのである。前川さんはその目的を「アスリートの生活安定のためだ」と断じる。教員が足りない状況の中で、体育系の教員、それも彼らの「生活安定のため」に増やしていくのはまったく、学校現場の苦境を何とも思わない所業である。

 もうひとつ、強権をふるう河野太郎が、マッチングアプリで「ロマンス詐欺」が多い、ということから、その利用に際して「マイナンバーカード」を利用させればよい、と言っているそうだ。マイナンバーカードは個人情報が関連付けられているわけだが、要するに、マイナンバーカードを利用させ、それらの個人情報が流出しても良いということなのだろう。日本のようなデジタル後進国、しばしば情報が流出するような国で、こんなことにつかわせたら、ダダ漏れ間違いナシである。

 こんな政治家や官僚に、アホな施策を行わせている日本の行く末は真っ暗である。

 

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「地位が人をつくる」

2024-09-02 07:44:51 | 社会

斎藤知事と風呂場で語り合った「1コ下」の元担当記者がみた知事の素顔 就任3年間で斎藤知事に何があったのか...

 上記の記事を読んで思ったことを書く。

 人間みんなチョボチョボだ、という認識を持つわたしは、いかなる有名人であっても、いかに地位が高い人であっても、近所の人でも、どんな人でも、わたしの対し方は変わらない。わたしが唯一考慮するのは「長幼の序」である。

 さて、在職中の同僚の姿を見ていると、「長」の肩書きがつく人には、卑屈な態度を取っていたことを思い出す。「出世」して管理職になった人は、その前までは「ヒラ」なのだ。その「ヒラ」だった人が、「長」としての貫禄をつくっていくのは、周囲の卑屈な態度ではないか。

 わたしは職場の組合の「長」になったことがあるが、職場の「長」と組合の「長」は同じ「長」なのであるから、対等に話すし、要求もする。兵庫県知事のような人間は、その人独自ではつくられない。まわりの卑屈な人間たちが祀りあげることによって、その人間を増長させ、エラそうな人格をつくるのだ。

 兵庫県の職員は、おそらく県知事に対して卑屈な態度で接していたのだろう。なぜ卑屈になるかというと、「長」にゴマすることによって、みずからを引き上げてもらい、「出世」したいという魂胆を持っていたはずである。公務員はよほどのことがない限りクビにはならないから、ずっと「ヒラ」でも一定の給与は保障される。いいじゃないか、ずっと「ヒラ」でも。ひょっとして「左遷」されることはあるかもしれないが、自宅から通えるならそれでもいいじゃないか。

 わたしは最初の赴任校でM校長と何度かわたりあい、4年過ぎたところで転勤することを命じられた。伊豆の南にある学校が赴任先である(「左遷」!!)が、わたしは内々示の段階で、いろいろ手を回してそれを阻止し、全県1学区の全寮制の農業高校(自宅から通える)に転勤した。転勤後、そこの校長から、「キミはそんなに悪い人間ではないなあ」といわれたことがある。おそらくM校長がわたしについてひどいことを書き送ったのだろう。

 最後の学校で、こういうことがあった。翌日雪が降るという予報があった。たしかに雪が降ったが、わたしは公共交通機関をつかって何とかたどりつくことができた。ところが校長がいない。生徒や教員は、全員ではないが来ている。翌日、わたしは校長にこう言った。「雪が降ることは確実視されていたのだから、校長は学校近くのホテルかどこかに泊まるべきであった。校長の自宅が山間部にあるから車では来られないことはわかる、だからこそ、万難を排して出勤できるようにすべきだ。一部の教員や生徒は来ているのだから、責任者が来ていないのはおかしい」と。校長は、わたしの指摘が正しいことを認めた。

 「ヒラ」であっても言うべきことは言う、そういう姿勢を堅持していれば、「長」が増長することはない。「長」がエラそうになるのは、まわりの人間の卑屈な姿勢である。まわりの人間が、エラそうな増長した「長」をつくるのだ。

 なおわたしは、研究会や運動団体で「事務局長」という「長」のしごとはしたことがあるが、給与をもらうところでは、いっさい「長」の肩書きはつかなかった。ストライキで処分を受けたり、昇給延伸という「罰」を受けたことはあるが、それでもその給与で生きてこられた。

 

 

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【歴史講座レジメ】「大航海時代のなかの戦国時代(15~6世紀)」その3

2024-08-28 16:18:14 | 社会

 ヨーロッパが「欠乏」の下、豊かな物産に恵まれたアジアへ進出し、さらに新大陸へ侵出し、先住民を虐殺し、略奪を繰り返すなか、ヨーロッパの学問は大きく進歩した。

ヨーロッパにおける学問の進歩(16世紀文化革命)

○人文主義←ルネサンス(14~16世紀)=エリート知識人の運動(ラテン語教育、ギリシャローマの普遍的教養)

○商人・職人の動き13世紀「商業革命」(「遍歴商業」から「定住商業」へ)→為替手形と書簡による商業→“読み書きそろばん”の必要性→「算数教室」、「俗語(地域の口語)学校」→文字文化の浸透→16世紀数学革命(複式簿記、代数)

○俗語の発達(ラテン語はキリスト教と結合した統治のための言語。庶民は知らない)=「国語」の形成→宗教改革(聖書の各国語への翻訳+15世紀半の活版印刷)
※16世紀は、「宗教改革」の時代。
 俗語=無知な大衆の話し言葉(英語、仏語、独語、伊語)の普及←職人・芸術家・技術者が俗語で学問的な書物を発刊
※俗語(国語)の成立と活版印刷が、16世紀ヨーロッパを変えた。

○透視図法、分解組立図法、断面図法などの発明(三次元物体の二次元平面への投影法)

○美術の宗教への従属からの解放

○戦争(火薬の使用)→学問・技術の発展
 ※百年戦争(1337年~1453年、イギリスとフランスとの間で断続的に行われた戦争)
  火薬使用→火砲(大砲)→小火器(マスケット銃)
  鉱山業の発展(機械化)、機械学、力学、数学などの発展
  大砲を船に積載(ポルトガル、スペイン)
※16世紀には、陸上でも海上でも火力が使用されるようになり、17世紀には火力が支配的となる。熱心に戦争していたヨーロッパでは、武器が発達していた。その武器を持って、非ヨーロッパ世界に侵攻していく。

 

大航海時代と日本 16世紀のヨーロッパの変化をうけて、ヨーロッパ諸国はアジアの交易のネットワークに入り込む。

(1)環シナ海交易圏
○冊封体制と勘合貿易システム
明(1368~1644)海禁政策(民間の海外貿易を禁止)=冊封体制(朝貢貿易)・・「人臣ニ外交ナシ」
 冊封・勘合貿易・海禁政策はセット

○後期倭寇の時代(16世紀)←明の海禁政策
  王直(密貿易商人の首魁五島列島から平戸へ)
   中国人を中心とした密貿易集団(海賊)

(2)ヨーロッパ人の参加
○ポルトガル
 1511年マラッカ(インド洋と南シナ海を結ぶ海の道の要衝)占領
 ※西方インドからは、綿織物・アヘンが、東方中国からは陶磁器・絹織物・武器などがもたらされ、現地東南アジアからは香料・象牙・白檀・獣皮・樹脂・金・スズ・銅・硫黄・真珠母・貝・鼈甲・さんごなどの特産品がインドと中国に輸出された。
 1517年 明との国交を求める、皇帝拒否ポルトガル人=仏郎機(フランキ)
 1519年 ポ船、広州湾の船舶を襲撃・略奪
  以後、密貿易に従事。
 1552年 王室艦隊司令官リオネル・デ・ソーサポ海賊や密貿易商人を服従させる
 1553年 マカオ上陸
 1557年 明、暫定的にマカオ居住を認めるマカオ←→長崎
 1573年 明、正式にポ人のマカオ居留を認める
    (マカオのポルトガル植民地化は、1887年)
ポルトガル人の貿易(日中貿易の運送業)
明から日本へ 生糸・陶磁器  日本から明へ 銀
 ※ヨーロッパ人、輸出用の物品なし(毛織物、各種金属、珊瑚、象牙、宝飾品、時計、美術工芸品など)→運送業をやるしかなかった。

○スペイン人の参加
1571年 マニラに拠点を置く。
   マニラ-アカプルコ間の定期航路・ポトシ銀山の銀、アジア(中国)へ

(3)ヨーロッパ文化の日本浸透
○鉄砲の伝来(木綿の使用=16世紀に栽培が始まる)
1543(1542カ?)年 中国のジャンク船(王直)、種子島に漂着←倭寇のネットワーク
  種子島→根来寺(僧兵という軍事集団)
  堺(橘屋又三郎)→国友
1575年 長篠の戦い

○キリスト教、日本上陸
1549年ザビエル、アンジローと鹿児島へ(アンジローは鹿児島でポ船に乗り込みマラッカへ)。
もちろん密貿易商のジャンク船。
鹿児島→平戸→山口(大内氏)→京都→山口→豊後(大友氏)→インドへ

○キリシタン大名=大友義鎮(ポルトガルと積極的に貿易)、大村純忠(肥前・最初のキリシタン大名、長崎を教会領として寄進)、有馬晴信(肥前)、高山右近(摂津)、小西行長(肥後)
※ポルトガル・スペインの貿易活動とキリスト教布教は一体。植民帝国建設の先兵としての宣教師の活動
※イエズス会の日本報告書(松田毅一『南蛮史料の発見』中公文庫、1964年)

○南蛮文化・・金平糖(confeito)、合羽(capa)、castella、『日葡辞書』
※「南蛮」は差別語。

 

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これも自由民主党の方

2024-08-13 22:08:05 | 社会

 自由民主党って、こういう人しかいないのか。

自民重鎮の元秘書が「JK性加害」の衝撃!衆院青森3区から出馬表明も、酒乱トラブル続出の過去

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「主体性」、「自治」

2024-08-11 21:43:43 | 社会

 『世界』9月号に、国語教育について、武田砂鉄がインタビューする文があった。

 そこにこういう指摘があった。

 「主体的であれ」とか「主体的に考えろ」って言いながら、学校から隙間とゆとりが奪われている。主体的に考える時間を奪っているのです。

 これは、インタビューの相手五味渕典嗣さんの発言である。奪っているのは、もちろん国家、この場合は文科省であろうが、しかしそれに矛盾はない。「主体的であれ」と文科省がいうとき、それは自由に、おのれの思考と判断で「主体的に」なにかに取り組め、というものではなく、一定の枠のなかで「主体性」を発揮させようと考えているのだ。

 文科省が狙う「主体的な」人間像とは、要するに前安芸高田市長の石丸氏のような、ネオリベラリズムを内面化し、国家権力に敵対しない、国家の枠の中で「主体的に」活動する人間のことをさす。

 ちょうど同誌には、伊藤昌亮氏の「石丸現象 TikTok」という文が掲載されていて、そこに「「世の中をどうこうするよりも「自分を何とかする」」という説明があったが、文科省の「主体性」が向かう方向性は、「世の中をどうする」というものに行かないようなものなのである。

 大日本帝国時代に、日露戦後の地方改良運動、大正期の民力涵養運動などでも「自治」ということばが多用された。その場合の「自治」というのは、国家に依存せず、国家に迷惑をかけないで自立し、国家の行政の下請けをしなさいということであった。通常考える「自治」とは異なる内容を、当時の国家は保有していたのであって、現在も官僚たちはそう考えているように思う。

 この「自治」に対する考えのように、国家権力や支配層が考えることばは、通常の意味とは異なるのだ。

 

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「闇が訪れる前に」

2024-08-10 20:34:16 | 社会

 友人から教えてもらった動画。

闇が訪れる前に

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オリンピック?

2024-08-07 08:40:19 | 社会

 テレビを見ないから、オリンピックとは無縁の生活である。新聞にオリンピックの記事があるのだが、それらはさっととばしていく。だからわたしの日常生活は、オリンピックのことはまったく見ない。

 スポーツは、決してキレイ事ではない。スポーツも、カネまみれであることを知っているわたしは、スポーツを礼賛する気にはならない。

 斎藤幸平氏も、ニュース23で、オリンピックを見ないと語ったそうだが、同感である。オリンピックは平和の祭典などというが、戦争を起こしている国家に対する姿勢はダブルスタンダードである。イスラエルは参加させ、ロシアは参加させない。要するに、オリンピックは、「西側」、つまりアメリカの側に立つ国家の祭典と化しているのだ。

 先に行われた東京オリンピック・パラリンピックも、まったく関心の外にあったが、それを開催するに当たり、土建屋その他を儲けさせるために、巨大な施設をどんどん建設し、オリンピック村と言われたマンション群は、不動産屋に格安の価格で払い下げられた。

 日本で行われ、公費が投入される事業は、すべて特定の企業に儲けさせる(政治家にもその金の一部が返される)、利権そのものとなっている。

 スポーツも、そのための手段にされている。

 この利権構造にメスを入れない限り、日本はよくならない。

 しかし、その利権構造に、庶民も巻き込まれきわめて少額のカネが渡されるので、つまり利権構造の末端にある関係で、その構造を壊そうとしない。

 極右政党の自民党の支持者が多い理由は、裏金問題に見られるように、その裏金が選挙時に大いに「活躍」するのだ。

 そうした利権構造のなかで、日本はどんどん沈んでいく。

 オリンピックを、日本がさらに開催するような言辞が、IOCから流されてきているが、IOCのメンバーは、東京オリンピック・パラリンピックでよほど甘い蜜を吸わされたのだろう。金権IOC、もうオリンピックはやめよう!!

 

 

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柔道人口の半減

2024-07-31 09:30:52 | 社会

 クーリエが、「仏紙が報じる「激減した柔道の競技人口をアニメで回復したい日本」」という記事を流している。

 そうだろうと思う。柔道の指導者には、ヒドイ人が多かった。

 高校の部活動には、生徒会費、PTA会費、後援会費からカネが配分される。しかしそれでは不足するのか、部員から部費としてカネを集める。野球やサッカー、剣道など、運動系の部活はほとんど集めている。その集めた部費の使途については不明瞭で、不正が明らかになる例がでてきた。そこで、県教委では、部費の管理は部員の保護者がおこなうように指示がだされた。そうであっても、どうつかうかは、顧問の裁量である。

 子どもが柔道部に属している生徒の保護者から、部費がどうつかわれているのか、一度も会計報告がないという相談を受けたことがなんどかあった。

 ある柔道部の顧問(体育科)は、昼間、学校を留守にする(年次有給休暇もとらないで)。体育の授業があっても帰ってこない。すると、柔道部の生徒が、先生の代わりをつとめる。

 その顧問の趣味は狩猟である。狩猟に行くときには、部員が駆り出される。猟犬の代わりを務めるのだ。顧問が撃つ、その獲物を捕りに行くのは部員である。

 多くの柔道部の顧問を、見てきたが、ヒドイ人が多かった。柔道人口が減るのは、だから当然だと思う。

 

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悪人はそこにいる!

2024-07-28 22:34:19 | 社会

 今まで社会福祉に興味関心を持っていない、しかし土地財産がある人が、突然老人ホームを経営するようになった。もうずっと前のことだ。以前からいろいろなことに投資して失敗していた人なのに、なぜ福祉に参入したのだろうか、と思っていた。

 そしてその社会福祉法人は、規模を拡大し続けた。老人相手の社会福祉事業は、カネが儲かるのだということを認識していた。

 そしてこの番組をみた。やっぱりか。政府は国民から集めた介護保険のカネを湯水の如く流入させて、そのカネがきちんとつかわれているのかどうかをまったく監視していない。ということは、そうした福祉事業者に甘い蜜を吸わせている、ということになる。おそらくこれも、利権につながっているのだろう。

競走馬のエサ代で月169万円…「特養」で相次ぐ不正流用 「内部をYESマンで固めて…」“監査の甘さ”突く悪質手口【報道特集】

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統一教会はまだ動いている

2024-07-26 23:01:38 | 社会

「テレビで『統一教会の摘発がなかったのは“政治の力”』と話したら、翌日から今日まで出演が一切なくなりました」ジャーナリスト有田芳生が語る『誰も書かなかった統一教会』

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従順でない人々への差別

2024-07-26 13:34:27 | 社会

 『週刊金曜日』に、「裁判官が国を訴える異例の裁判 リベラル派弾圧への「倍返し」だ」という記事があった。

 弁護士から中部弁護士連合会の推薦を受けて裁判官になった竹内浩史裁判官、従順でないことから様々な差別的待遇を受け続ける。

 竹内裁判官は、地域手当の格差是正を訴えて国を訴えた。公務員には、給与に上乗せする地域手当というのがある。東京都に勤務すると20%、大阪市は16%・・・などと、地方に行くほど低くなる。竹内裁判官は、名古屋市の16%から津市の6%へと移り、司法修習同期の裁判官が判事一号の給与(月額117万5千円)を得ているのに、竹内裁判官は判事3号(月額96万5千円)の等級に留まっている。

 わたしからみれば、3号でもなかなかの高額の給与だと思うが、しかし同じ資格を持ち、同じだけ法曹で働いてきたのに、なぜこのような格差がつくられたのかと疑問を持つのも当然だろう。

 竹内裁判官は、格差の原因をこう分析している。まず竹内裁判官が青年法律家協会(青法協)会員であること。

 ちょうどわたしが法学部生の頃、司法反動の嵐が吹き荒れ、青法協に入っている裁判官に猛烈な圧力がかけられた。裁判官で青法協会員であった者たちは、ほとんどが青法協を脱退させられた。竹内裁判官がいまだに青法協会員として残っていることに、わたしは驚いた。こういう裁判官がいたのだ!という感動である。司法反動の嵐の中で、良心的な裁判官は一掃されたと思っていた。

 そして青法協会員としての裁判官は、竹内裁判官のみであるという。また竹内裁判官は「日本裁判官ネットワーク」にも属している。

 おそらくもうそれだけで、最高裁の事務局は、竹内裁判官を「危険分子」としてみているのだろう。

 さらに竹内裁判官はブログもやっている。そこでは裁判官の人事に対して果敢に批判している。

 判決文を書かない裁判官が「出世」していく現実がそこには記されている。しかしそのような傾向は、教員世界にもある。最初は教員だが、途中から教育委員会に行き、長年そこで働いたのちに管理職として学校に戻る、という人事が明確にある。

 日本の公務員世界はどこでも同じである。従順な者は「出世」する。従順な者は、せっせと付け届けもするし、有力者のコネをも使う。そういう姿を、わたしも見てきた。またこの人こそ管理職に相応しいと思っていた人が、もし付け届けもせず、コネも使わないと、「出世」しない。

 そういう世界に、竹内裁判官は果敢に立ち向かう。

 司法が、行政の隷属下にあることは、種々の裁判報道でも明らかである。政府の方針に逆らうような判決は、書かない。とりわけ、沖縄の辺野古問題に関しては、100%国が勝利する。そのような判決を書く裁判官を派遣しているからだろうが、多くの裁判官は従順であるから、逆らわない。

 三権分立は、日本はすでに崩壊しているといってよいだろう。しかしそれでも、竹内裁判官は闘い続ける。

 

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「紙媒体の衰退」

2024-07-25 15:24:33 | 社会

 今日、いつもは夕方の郵便の配達が、3時頃にあった。『週刊金曜日』7月26日号が入っていた。仕事の手を休めて、読みはじめた。

 わたしは最終頁の「金曜日から」から読みはじめる。スタッフ達が書いた短文が並ぶ。そのなかに「紙媒体の衰退が止まりません」とあった。

 わたしは、年齢を重ねる中で、医者に行くことが増えてきたが、待っている人びとは、ただ自分の診察の番になるまで、ただただじっとしている。わたしは必ず本を持っていって読んでいるのだが、本を読んでいる人はいない。若い人の中にはスマホを見ている人もいるが、高齢者は、ただじっと待っている。

 電車に乗っても、新聞や本を読んでいる人は見かけなくなっている。電車の中では、圧倒的にスマホである。夕方(猛暑のため!!)わたしは畑で短時間の農作業を行っているが、まわりを犬の散歩をしている人びとが通るが、スマホ散歩である。飼い主の関心は、犬よりもスマホかよ!と思ってしまう。

 いずれにしても、紙媒体のものを読んでいる人を見かけなくなった。

 『週刊金曜日』も、「部数減に苦しんでい」ると記されている。最近、継続のお願いと振込用紙が送られてきた。2ヶ月前になったら送られてくるようだ。

 『週刊金曜日』、初代の編集長であった故・和多田進さんから協力を乞われ、浜松市で、本多勝一、筑紫哲也の講演会、しばらくたって椎名誠の講演会もやった。だから購読をストップすることはありえない、という関係だ。

 『週刊金曜日』、『地平』、『世界』これらはぜひ読んで欲しい雑誌である。日々メディアに伝えられる情報のなかにはないようなものを伝え、事件などを背景も含めて説明してくれたりする。これらの雑誌がなければ、わたしは政治や社会の真実をつかむことができない。

 今この部屋の三方向には、書棚があり、床には本が散らかっている。何らかの仕事をするためには、書籍や雑誌を読みながら、それらによって事実を確認しながら、思考力を働かせていかなければならない。紙媒体は、幼い頃からずっと身近にあったものだ。今更手放すことはできない。

 しかし紙媒体が衰退しくことで、はたして人びとの認識はどうなっていくのだろうか。

 最近、いろいろな研究成果。それを知と呼ぶとするなら、人びとの日常生活と知とが大きく乖離してきているように思う。知の世界に生きる人びとは、あまりそういうことを考えないで研究を続けているようだが、あなたたちの本も売れなくなっているでしょう?と言いたくなる。

 人びとの日常生活と知は、紙媒体によってつながっていたように思う。紙媒体が衰退するということは、知の世界が狭小になっていくことでもある。

 購読している『東京新聞』の購読料が、9月から3400円にアップされるとのこと。あらゆるものの価格が上昇しているから、やむを得ないとも思うが、購読者が減れば減るほど、購読料は上昇していくことだろう。

 紙に印刷されている活字を読むことによって、わたしは知識を得、思考を深めてきた。紙媒体の衰退を押しとどめたいと思う。

 

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小林製薬という会社

2024-07-24 08:44:51 | 社会

 紅麹サプリで死者まで出した小林製薬に関する記事が、今日の『中日新聞』に一面トップで掲載されている。関連記事は、3面、22面でも掲載されているが、まったく話にならない会社である。「タンクに青カビ付着を認識も放置 検証委、小林製薬創業家2人辞任」という記事であるが、小林製薬の無責任体質は、創業家の会長・社長辞任の際にも露わになった。まず記者会見をしなかったこと。広報担当も姿を見せなかったことなど、まったく責任追及から逃れているとしか見えなかった。

 22面の記事には、被害者のもとに謝罪の一文が載った治療費の請求に関する書類が届いたとあるが、そこには社長の名もなかったという。

 創業家の面々は、会長、社長を辞任して雲隠れ。これでは被害者の怒りはおさまらないだろう。

 わたしも、小林製薬は一切買わない。

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増大する外国人観光客

2024-07-18 19:25:39 | 社会

「訪日消費8兆円視野」

という記事がある。

 もう6~7年前だったか、所用で九州に行った。時間が余ったので、レンタカーを借りていろいろなところをまわった。あまり有名でないところまで行ったが、そんなところにも外国人観光客がいたので驚いたことがある。

 今はもっとたくさん来ているのだろう。

 ユーチューブのニュースで、外国人が「日本はとても安い」と言って喜んでいるのを聞いて、よい気持ちがしない。というのも、「安い」といわれているものが、わたしにとってはあまりに高く、手が出ない金額だからだ。

 この30年間の経済的停滞で、人びとの生活は貧しくなっている。円安が進み、物価も激しく上昇しているが、所得は増えていないので節約生活を余儀なくされている。輸出企業はウハウハだろうが、庶民は苦しんでいる。

 そんな状況の中、首相がすべきは苦しんでいる庶民に手を差し伸べることではないか。それなのに、外国人観光客をもっと増やして、彼らにカネを落とさせて日本の経済に寄与させようと考えているのだろうが、それは本末転倒ではないか。 

 庶民の可処分所得が増えて、人びとが健全な消費生活ができるようにすれば、「訪日消費」云々は必要ではなくなる。外国人観光客に依存するような経済は、経済的に停滞している国の特徴である。キシダがそういう政策を推し進めていけばいくほど、庶民は節約生活を余儀なくされる。

 それよりも、円高にもっていくことが必要ではないか。多くの資源を外国に依存している日本は、円安になればなるほど日常生活で必要な物品の価格は上昇する。円高になり、庶民の収入、可処分所得が増えていけば経済は活性化するはずで、外国人観光客に依存する必要がなくなる。

 キシダの政策は、日本の経済を停滞させるものだ。それよりも、国民を大切にしなさい、といいたいが、極右の自民党は聞く耳を持たないだろう。未来に繋がる今が暗い。

 

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