浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

社説

2011-02-20 10:06:14 | 日記
 今日の『中日新聞』の社説を読んだ。この『中日新聞』、東京では『東京新聞』である。値段は『東京新聞』のほうが安い。
 
 社説や新聞のコラム(たとえば『朝日新聞』の「天声人語」など)は大学の入試問題にも出題される。出題頻度は『朝日新聞』がもっとも高かった。しかし今、『朝日新聞』の社説やコラムを書く人びとの筆力は落ち、また主張する内容も品性や熟考したあとの見えないつまらないものがほとんどだ。

 社説はコラムは、今や全国紙(『朝日』、『読売』、『毎日』、『日本経済』、『産業経済』)よりもブロック紙(『北海道新聞』、『中日新聞』、『中国新聞』など県域を越えて発売されている新聞)や県紙(『静岡新聞』のようにひとつの県内だけで発売されている新聞)のほうがよくなっている。沖縄の県紙である『琉球新報』や『沖縄タイムス』は、問題意識も鋭く考えさせられるものが多い。

 今や、全国各地の社説やコラムは、インターネットで読むことができる。この点ではインターネットの普及は喜ばしいことだ。

 さて今日の『中日新聞』の社説。

  「優しさは知ることから 週のはじめに考える」という題だ。

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 障害のある人が暮らしやすい社会にしようと、国での話し合いが正念場を迎えています。障害のない人がある人のことを知る。それが第一歩だと思います。

 あるいは失われずに済んだ命だったかもしれません。

 今年一月、東京のJR山手線目白駅のホームから落ち、四十二歳で亡くなった全盲の武井視良さんのことです。ホームには、目の不自由な人に危険を知らせる点字ブロックが敷かれていました。それでも武井さんは転落したのです。

 無知から生じる残酷さ

 なぜ落ちたのかと思い、武井さんと同じ全盲の上薗和隆さん(59)を伴って現場を見ました。彼は靴底でなんべんもブロックを踏み締め、突起がほとんど感じられないと指摘したのです。そして言いました。「視覚障害者にとって点字ブロックは敷設されているだけではだめなのです。きちんと機能しなくては意味がないのです」

 ハッとしました。同じ社会に暮らしながら、視覚障害者の世界を知ろうともしてこなかったことに気づかされたからです。それまで点字ブロックはありふれた風景の一断片にすぎませんでした。

 JR東日本は目白駅の点字ブロックを取り換え、首都圏のホームを点検し直しました。問題のありかが分かれば気配りできます。

 ホームに電車が近づくと「黄色い線の内側まで」下がるようにと放送が流れます。「視覚障害者用の点字ブロックの内側まで」と流せば、見慣れた風景の中で点字ブロックが意味を帯びて浮かび上がります。小さい子も学ぶきっかけになるでしょう。

 人は生来優しい存在のはずです。ただ、無邪気な子どもがそうであるように、無知や無理解や無関心がときに人を残酷な存在にしてしまうことがあるのでしょう。

 障害を価値に変える

 今でも障害のある人の六割が差別を受けたり、偏見を感じたりしているという国の調査があります。二〇〇六年、千葉県は全国に先駆けて障害者差別をなくす条例をつくりました。そのときには八百以上の差別や偏見の事例が寄せられました。悲しい現実です。

 ちょうど同じころ、障害のある人もない人も平等に暮らせる社会にしようと、国連で障害者権利条約が採択されました。日本は〇七年に署名し、今はその批准を見すえた法律づくりが正念場です。

 障害のない人を物差しにしてつくられてきた社会の仕組みが、障害のある人につらい思いをさせています。それは段差だったり、点字のない書類や手話のない会議だったり。病院や施設にがんじがらめにされたりもしています。

 障害のある人も、ない人と同じように学校や職場、地域で自立して活動できるよう仕組みを改め、その権利を保障しようというのが条約の考え方です。

 ホームから落ちたりするのは、目や足の不自由な人よりも、酒に酔った人がはるかに多いのです。ドアや柵をつければ、障害のある人はもちろん、ますます増えるお年寄りや子ども、酔っぱらいまでみんなの安全につながります。

 障害のある人にとって優しいまちづくりとは、結局みんなに優しいまちづくりなのです。だからこそ、障害のある人の世界をみんなが知ることが大事なのです。

 その半面、千葉県の条例づくりに携わった全盲の高梨憲司さん(62)は、障害のある人の情報発信の大切さも説いています。「障害のことを一番よく知っているのは障害のある人自身です。生活のしづらさを周りに伝え、社会づくりに貢献すべきです。それは障害をプラスの価値に転じて活躍することでもあります」

 東京の中野区立中野神明小学校で、七十人近い四年生を集めて出前授業が行われました。やってきたのは、脳性まひでずっと車いす生活の尾上浩二さん(50)です。

 幼いころは手と足にスリッパを履き、はって泥んこになって友だちと野球を楽しみました。小学生時代は独り養護学校(現特別支援学校)に通い、近所に友だちはいませんでした。親や先生の話し合いで通うことができた普通の中学校では、音楽室や美術室まで友だちが負ぶってくれたそうです。

 優しさが芽吹くとき

 子どもたちの柔らかな思いがつづられた手紙が、尾上さんのもとに届きました。「将来困っている人を助ける仕事をしたい」「大きくなったら障害のことを調べてみたい」「障害のない子と野球をしたことが心に残りました」-。

 尾上さんは「障害があっても人との関わり合いの中で、いろいろな活動ができることが伝わって良かったです」と話しています。

 国での法律づくりでは、障害のある人とない人が同じテーブルに着いています。私たちの身の回りでも障害を知り、知ってもらう営みが重みを増す時代です。

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http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2011022002000013.html

たいへん良い内容の社説である。私も、下線を引いたところにあるように、まさに「無知や無理解や無関心がときに人を残酷な存在にしてしまうことがある」のだと思う。だからこそ、現実は知らなければならない。

 そして「障害のある人にとって優しいまちづくりとは、結局みんなに優しいまちづくりなの」だということも、少し考えてみればよくわかる。浜松市の駅周辺は、車の通行を優先させるために、歩く人びとを地下道に誘導していた。私はこれを強く批判していた。浜松駅に降りた、たとえば車いすの人が、目の前にある郵便局に行こうとするとき、単独で行こうとするとかなり大回りをしなければならなかった。少しは改善されたが、駅から郵便局に行く最短距離は、今も地下道を利用するしかない。それからばすもそうだ。車いすでも乗れるという「オムニバス」となってはいるが、バスに乗るためには一度地下に降りてそれからバスターミナルに行かなければならない。階段とエスカレータしかない。車いす利用者にとってはものすごく不便である。エレベータがあればよいのだが。

 私は20年ほど前イギリスに行ったことがある。地下鉄に乗るとき、エスカレータではなくエレベータに乗る。車いすでも可能だ。道路を横断するときはもちろん地下道や横断陸橋などなく、信号だ。それも押せばすぐに青信号にかわる。これがあるべき都市構造だと思う。

 車優先の都市構造を、車いす利用者や老人にとって優しいようにつくりかえれば、私たちも地下道を降りなくてもよくなる。人間いつまでも健康ではない。誰でも年をとる。

 考えなければならないことはたくさんあるのだ。




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