浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

この本を読んだ②

2011-02-27 14:49:13 | 日記
 崔善愛『ショパン 花束の中に隠された大砲』(岩波ジュニア新書)を読みました。ショパンは、もちろんポーランドの作曲家です。「幻想即興曲」、「子犬のワルツ」などでとても有名です。

 ショパンのエチュードに「革命」という曲があります。この曲は短いながら、一度聴くと忘れられません。崔さんはこう記しています(93)。

 この曲の左手(低音パート)は地響きのようにうねり、まるで奈落の底に落ちていくような絶望感に満ちています。そして右手のパートは、まるで天に向かって手を突き出し、またときにうなだれ、慟哭の声をあげているようです。

 ショパンはこの曲を作曲したとき、彼の祖国ポーランドではロシアに対するワルシャワ蜂起が失敗に終わった情報を聞いたときだったそうです。

 19世紀のポーランドは、ロシアとプロイセン、そしてオーストリアの強大な帝国に囲まれていました。主にロシアとプロイセンがポーランドを蹂躙していました。誇り高いポーランド人は、何度も何度も自らの民族の独立をはかり抵抗しましたが、隣国の強大な軍事力に何度も抑えつけられていました。

 ショパンは、そういうポーランドの独立を自らもその一員となって闘いとろうとしていました。したがって、ショパンの音楽は、ただ単なる音楽ではなく、祖国ポーランドの厳しい歴史を背景としたものなのです。

 あまりに美しいショパンの曲は、メランコリックで抒情的で・・・まさに「ピアノの詩人」と呼ばれるとおりのものです。しかしその音楽の後ろには、ポーランドの独立を求める強靱な意志が込められているのです。

 それを知っている音楽家はこう書いているといいます。

 シューマンはー

 もし北方の強力な専制君主が、ショパンの作品にはマズルカのような簡単な曲の中でさえ、危険な敵がひそんでいることを知ったなら、音楽などきっと禁止されてしまっただろう。ショパンの作品は、花のかげに隠れた大砲である。

 リストはー

 ショパンの《ポロネーズ》のいくつかを聴くと、運命が持ちうるあらゆる不正なものに、勇敢にそして大胆に立ち向かう人間の、断固として重々しい、というような形容では表し得ぬほどの足音を聞く思いがする。

 そういうショパンを、ピアニストの在日韓国人の崔さんが、自らの民族がおかれた歴史と崔さん自身の指紋押捺に抵抗した体験を背景に描いた本です。

 ショパンの音楽を聴いたり、ショパンの生涯について部分的によんだりしていますが、きちんと知らなかったことが多いことに気づきました。最低限ショパンに関する知識が、崔さんからの視点から丁寧に記されています。

 ショパンの音楽は、もちろんCDを買えば聴けますが、インターネットでも十分です。radio chopinサイトにアクセスすれば、ほとんどの曲を聴くことができます。


 http://www.radiochopin.org/ 

 なお岩波ジュニア新書は、中高校生に向けて書かれた本ですが、大人が読んでも有益な本がたくさんあります。片っ端から読んでみましょう。 


 
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何をするか⑤

2011-02-27 00:22:04 | 日記
 今年の大学卒業者の就職内定率は70パーセント未満。三人に一人の就職先がない。惨憺たる状況だ。生まれた年によって就職できるかできないかが決まるというのは、理不尽である。

 社会の理不尽さを少しでもなくしていくことが、若者の責務である。そのために諸君は学ぶのだ。

 さて、就職ができないというとき、もちろん経済社会情勢が大きな背景にあることは事実である。しかし状況が悪いからといって、その状況に負けているわけにはいかない。とにかく生きていかなければならないのだ、私たちは。

 今日TBSの「報道特集」という番組を見た。土曜日の午後5時30分から毎週やっている。おそらく諸君は見たことはないだろうが、良質な番組である。低俗テレビは見ないで、しっかりと見るべきものは見よう。あとはたとえば、日曜日夜NHK教育テレビでやるETV特集(22時から)。これもきわめて良質だ。

 「報道特集」で、秋田市にある国際教養大学の就職状況をやっていた。ほとんどが一流企業に就職しているとのこと。求人に企業側が秋田市までくるという。

 http://www.aiu.ac.jp/japanese/

 24時間、大学の講義から私生活までほとんどを英語で過ごす。テキストも英語である。そして1年間、どこかの国に留学するという。そうなると、おそらく英語は完璧に話せるようになるだろうし、もちろん読み理解することができる。ここの学生には遊ぶ暇はないようだ。

 別に一流企業に就職できれば良いというものではない。しかし、ある能力をきちんとつけることは必要だ。そのためには、遊んでいてはダメだ。日本の大学は入学は厳しいが、入ってしまえばラクだ。そうなると、水が低いところに流れるように、学生も楽な方にどんどん流れていってしまう。遊びに遊んでおいて、さあ就職だといっても、それは甘いといわざるを得ない。

 大学4年間に本を大量に読むことは当たり前。大学の教育課程を修めるのも当たり前。だがそれだけでは不足なのだ。

 英語の本を読み、英会話もできる。自分の意見もきちんと言える。あるいは英語以外のことばもしっかり勉強し、三つないし4つのことばを自在に操ることができるようになれば、就職は一発合格だ。そういうような能力をつけよう。

 最近亡くなられた歴史学者(専攻は日本近世史)の林基氏は、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語、オランダ語、ポルトガル語、スペイン語、中国語、朝鮮語、イタリア語、ラテン語を読むことができたそうだ(斎藤純「林基氏の生涯を振り返って」、『歴史評論』2011年3月号)。こういう語学の達人もいる。短期間に一気にやることがコツだそうだ。私はもちろんできなかった(私が若い頃は、グローバリズムは進展していなかった)が、諸君はできるだけ頑張ろう。

 歴史を学ぶ場合は、古文書をすらすらと読めるようにしよう。そういう能力が高ければ、就職先は生まれてくるだろう。ただし、古文書を読めるだけではダメだ。

 古文書を地域で学ぶグループが全国各地にある。だからそれに参加している人びとには、古文書をものすごく読むことができる人がいる。しかし、歴史学の本をきちんと読んでいないので、その読むことができた史料を位置づけることができない。したがって、歴史を学ぶ者はその両方を学ばなければならない。

 大学は、学ぶところである。

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