浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「なる」と「する」

2011-02-22 17:50:24 | 日記
 日本人は「なる」ということばをよくつかう。たとえば自然現象についてだと、「だんだん温かくなる」というように。人知では致し方ない場合、「・・・なる」をつかうのである。たとえば「頭が痛くなる」。「勉強しなくなる」というときは、その理由がよくわからないので、こういう言い方をするのだ。

 冬が寒いのは毎年のことであって、「寒くなる」けれども、ストーブなどで「暖かくする」のである。「する」ということばは、何らかの主体的な行為(ここで「作為」ということばを使いたいのだが、慣れていないと思うので「行為」を使う。でも「作為」ということばに慣れてほしい。「作為」とは、一般的には「人が自分の意志で作り出すこと」という意味で使われる)を表している。しかし自然現象の「なる」という場合、作為はほとんど考えられない。

 さて社会現象でも「なる」ということばをつかう。「非正規労働者が多くなる」、「日本社会は少子化になる」、「年金がなくなるかもしれない」、「交通が便利になる」、「給料が低くなる」・・・

 しかし社会現象の場合は、自然現象の場合と異なり、その背後に作為がある。「非正規労働者が多くなる」という背景には、非正規労働者(派遣労働者など)を民間企業が雇用して良いという法律(労働者派遣事業法)などが制定され、その対象業務がどんどん拡大され、小泉内閣の時に普通の製造業でも可能となったことから、企業が正社員を雇用するのをやめて、派遣労働者を雇用するようになった。正社員を雇用すると、企業は給与以外に健康保険の掛け金や年金の掛け金なども納めなければならず、非正規雇用だとそういう経費も削ることができる。さらに景気によって派遣労働者を増やしたり減らしたり自由にできる。しかし正社員の場合は、簡単に解雇できない。つまり企業にとっては非正規労働者は使い勝手が良く、また経費削減になるのである。そういう政策をおこなったことにより、非正規労働者が増え、年金の掛け金を納める人が減り(今一ヶ月の掛け金は1万五千円くらい)、年金制度の危機が叫ばれているのである。

 社会科学というのは、社会現象の背後にある「なぜ?」を解明するところにその目的がある。なぜ過疎が進むのか、なぜ地方の財政は苦しいのに東京都の財政は豊かなのか、なぜ浜松の中心市街地はさびれるのか・・・・・・私たちを取り巻く否定的な社会現象について「なぜ?」と問い、その解を見つけ出すために本を読み、考え、現地調査をし、その結果をまとめていくのだ。

 勉強とは、ただ単に本を読めばいいというものではない。きちんとした課題意識をもって勉強するのである。そこに必要なのは、今より少しでも良い社会を創造していくという意志である。
 
コメント
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