浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「対抗」文化の存在

2011-06-12 07:31:56 | 日記
 原発事故が収束しない。今も放射能は出続けているはずだ。莫大な放射能を出し続けていても、それでもなお「原発利権」にありついてきた人々(自民党や地方の政治ボス、土建屋など)は、原発の再開などを求めている。

 この原発事故の原因について、推進する側とチェックする側(保安院)が同一の経済産業省内にあることが指摘されている。しかし私が思うのは、それだけではなく、原発に関わる人々のほとんどが推進側であるということ(電力会社や土建屋は儲かる、研究者には潤沢なカネが入る)であり、またそれに加えて原発の危険性に気づいた少数の人々を徹底的に排斥してきたことが原因なのではないか。

 逆に言えば、原発に疑問を抱いた少数派の人々は、危険な原発推進政策に対して影響力を与えることができなかったことである。

 残念ながら、日本の政治文化は、ある事業について少数の利権を持つ人々が、その利権の一部を多くの人々に分け前として与えて従属させ、どんどん推進していく、そしてその事業に反対する少数派にたいしては、無視ないしは排除していく、というものではないか。

 これは国政のレベルでも、小さな組織内部のレベルでも、同様である。それぞれのレベルの社会のなかで、主流の動きや考えに対する対抗的な勢力や文化が縮小の一途をたどってきた、あるいは縮小するように、主流の側が仕掛けてきたこと、それに対抗勢力の側が切り崩され、主流の側に取り込まれ、対抗勢力が対抗できるだけの力をどんどんそぎ落とされ、持てなくなった。

 そのような動きは、おそらく1970年代の後半からはじめられたのではないか。主流の側はいつも権力を握っているが故に、その権力を自覚的に、あるときは強硬に、あるときは柔軟にふるうことにより、学校や職場、地域など普通の人々が生活するところから「対抗」文化の素地を消していく作業を行ってきたのではないのか。

 たとえば学校では部活動の必修化により子どもたちをスポーツを中心にして権力の側に取り込んでいく、それとともに教員を多忙化させ、創造的な動きを封じる、職場では戦闘的な労働組合を切り崩し、少数組合化して無力化をはかる。もちろん「対抗」文化の担い手は抵抗を繰り広げるのだが、それは最終的に1990年代はじめに押さえ込まれてしまう。

 日本の社会のどこのレベルでも、「対抗」文化が大きな勢力として出現しなくなって20年。

 沖縄では基地問題の矛盾が県民生活を恒常的に苦しめているが故に「対抗」文化は消えないでいるが、それ以外の地域ではほとんど根絶やしにされてしまっている。

 そして今回、福島の原発事故が起きたことにより、その事故が国民生活をおおいに不安に陥れたため、この問題に関する「対抗」文化が、大きな勢力として力を持ちつつある。だがその行方はまだ闇の中だ。影響力を持つ政治勢力として、原発推進勢力という主流の動きを阻止し、変革できるか。

 私はその確信がもてない。つまり「対抗」文化としての政治勢力として“彼ら”と対抗できるのか。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする