浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

ジャーナリズムのおかしさ

2011-06-29 21:51:14 | 日記
 原発報道がいかにひどいものであったか、多くの国民は実感したと思う。政府や東電の偽情報をまき散らし、ヒバクシャの一を増やした。

 このことに関して、TBSの金平茂紀(かねひら・しげのり)さんが良い記事を書いている。金平さんは、土曜日夕方の「報道特集」のキャスターをつとめている。私が見る番組の一つである。

 
http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201106090286.html


 また新聞社がいかに権力に卑屈になるのか、を、もと朝日新聞記者の柴田さんが書いている。これも重視しなければならない記事だ。

http://www.magazine9.jp/shibata/110629/


 ジャーナリズムは、現在日本では存在し得なくなっているといってもよいだろう。




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ソニーは買わない

2011-06-29 21:43:08 | 日記
 ソニーは、赤字だそうだ。そうなると「構造改革」で、人員削減、つまり首切りを行って労働者を路頭に迷わせるのだ。
この記事がでたにもかかわらず、ソニー会長の報酬は、8億6千万円、3期連続赤字でも、5000万円アップだそうだ。赤字を出すと言うことは、経営者として失格だろうに、経営者の報酬を上げて労働者を減らすというのは、何ともまあ、新自由主義の本質を現しているとでもいえようか。

 こういう会社の製品は、金輪際買うものかと思ってしまうのは私だけだろうか。


http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20110524/ecn1105241624003-n1.htm

ソニー・ショック…3期連続赤字 また大リストラ?PS流出も追い打ち

2011.05.24

 「ソニー・ショック」も、もう何度目か…。2011年3月期に2600億円の最終赤字に転落する見通しを公表したソニー。業績が悪化するたびに構造改革と称して万単位の人員削減を繰り返してきたが、今回もコスト要因とみなしている国内のものづくり部門を中心に大ナタがふるわれる可能性が高い。

 同社の赤字転落は3期連続。理由は、東日本大震災の影響で国内事業の収益回復が見込めなくなり、将来の利益を見込んで計上していた「繰り延べ税金資産」の取り崩しを迫られたためだ。

 繰り延べ税金資産は、払いすぎた税金を将来取り戻せると見込んで計上するものだが、そもそも利益を上げて税金を納めていないと税金を減らす効果がない。

 ソニーは国内の納税分に関して繰り延べ税金資産を全額取り崩したが、これについて家電担当アナリストは「12年3月期も国内事業は業績回復できないと宣言したのも同じで、思い切った構造改革に踏み切るのではないか」と予測する。

 これまでもソニーは危機に直面した際に不採算事業の整理や人員削減を行ってきた。

 最初にソニー・ショックと呼ばれた2003年の業績悪化局面では世界で2万人の人員を削減。05年の業績悪化で経営陣が交代し、ハワード・ストリンガーCEO(最高経営責任者)体制になった後も1万人の追加削減に踏み切った。リーマン・ショック直後の08年には1万6000人の人員削減を発表している。

 今回は、国内のものづくり、特に赤字が脱却できないテレビ事業がターゲットになりそうだ。生産部門についてはすでに海外移転が進んでいるが「国内中心の開発部門についても縮小や再編は避けられない」(前出のアナリスト)。

 国内市場では地デジ化やエコポイントに伴う特需が終わり、単価の値下がりが続くなど環境は厳しい。海外市場も「供給過剰の状態が続いている」(調査会社)。さらに円高も業績に重しとなっている。

 「ストリンガー氏も次期社長最有力の平井一夫副社長もソフト分野出身。ものづくりを守ろうという勢力は社内で劣勢」(ITジャーナリスト)との指摘もある。

 さらにやっかいなのがプレイステーションなどの個人情報流出問題だ。営業利益で140億円の損失を見込んでいるが、今後被害者の実害が出てくれば損失拡大も予想される。4期連続赤字は避けられるのか。
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想像力

2011-06-29 07:59:52 | 日記
 日本政治の最大の欠陥は、視野狭窄、近視眼的であるということだ。先の見通しを持つことができない。これこれのことをしたら、その先どうなるのか・・・といったことが、軽視されるのである。言ってみれば、想像力の欠如である。


 たとえば「平成の町村合併」。政府の行政の合理化、経済効率から考えた「道州制」(だから財界が積極的に推進する)を理由とした町村合併により、どういう事態が生ずるか。静岡県の場合は、すでに1969年に静岡市に合併した安倍郡井川村の例を振り返れば、合併がいかなる事態を生み出すかはすでに明確であった。合併したばかりは、静岡市もいろいろお金をまわしたりして、井川地区の改善に取り組むのだが、しばらくすると無視ないし軽視するようになる。人口が少ないから議員も少人数しか選出されない。井川地区の声が静岡市政に反映されない。

 今、浜松市に合併した旧市町村からは合併しなければよかった、という声が聞こえる。しかしそんなことははじめから分かっていたことだ。国(政府)や県が推進することに、盲目的に従っていれば事足れりとする議員や首長。合併した後に思いがゆかない。彼らは合併時に、原発立地のようにはいかないが、少しはカネが落とされるので、それに目がくらむのだ。

 想像力が欠如しているのである。残念ながら、想像力が欠如しているのは、議員や首長らだけではなく、地域住民も同様だ。合併を推進する人たちを選出しているのだから、責任がまったくないわけではない。

 今回の原発事故。これにより、福島県ではきわめて長期間人が住めない土地ができた。国土の一部を失ったのだ。尖閣や竹島が・・・・と叫ぶ前に、それよりも広大な土地が失われたのだ。

 「安全神話」が崩壊して、原発は安全ではないと言うことが明確に立証された。だいたいにして、日本の原発安全技術が最先端であるかのようなまさに「神話」をよくも日本の「原子力村」の方々は流すことができたか、不思議でならない。日本の原発技術はアメリカのそれである。日本は自らの技術力で原発をつくりだすことができなかったのだ。

 今、福島県を中心にして被災者が避難している。そして原発から大量に漏れ出した放射能が、水や野菜に入り込み、また海を完膚無きまでに汚している。原発ではたらく労働者らも大量に被曝している。その福島原発は地震のおそれはほとんどなかったところだ。そこで大地震が起き、津浪が襲いかかった。地震に見舞われるのは福島や、はたまた浜岡だけではない。地震や津波が起こった時、どういう状態が現出するのかが既知となった。同様な事態が起きる可能性は十二分にある。

 だとすると、想像力を働かせなければならない。居住地近くにある原発も、福島と同様のことが起きるのだ。いや遠距離にあっても、放射能の影響は受けざるを得ない。自分自身が、福島と同様な状態に陥っても良いのか、ということだ。

 もう原発は、いらない!というしかない。

 ただし想像力は、自生的に生まれてくるものではない。いろいろ勉強して知識を得ていく中で、想像力はひろがっていく。無知からは想像力は生まれない。

 今、原発について、しっかりと学び、現在の、そして未来に生きる人々の日常を守らなければならない。

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