浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

永田町の住人たち

2011-06-03 23:40:35 | 日記
 だました方も、だまされた方も、不信任案を出した方も、そして銀座のホステスと浮気をした方も、みんな永田町の住人。永田町の住民たちは、カネと権力とイロに狂いながらも、堂々と生き続けている。永田町では、権力欲、色欲、そして金銭欲にまみれていない人は、住むことができない。

 東北の方に家族を失い、仕事を失い、家を失った人々が苦しんでいても、永田町の住人たちには他人事。同情心や良心を持っていては、とても住めない。そういうことに胸を痛めていては、永田町の住人にはなれない。

 福島の方の住人が放射線に体を蝕まれていても、「安全です」、「直ちに健康に影響が出ることはありません」と叫び続け、危険であるとされる放射線量が明確に存在していても、その数字を公表せず、住人の被曝をそのままに放っておくのが永田町の住人たち。

 小選挙区制という選挙制度は、永田町の住人たちを変えることができないようになっている。原発を推進してきた自民党・公明党という住人のグループと、被曝に見て見ぬふりをしていた民主党というグループしか当選しないような選挙制度。何をしても、あるいはしなくても、この二つのグループの人たちだけが永田町に住むことができる。

 腐臭を放つこういう住人に、わたしたちは自らの生活の舵取りを任せている。ああ、なんてこった。

 永田町の住人に鉄槌を下すことができるのか。

 もちろん、霞ヶ関の住人も永田町の住人と同じ。カネとイロと権力、これのために税金をつかい、国民を惑わす。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉野源三郎

2011-06-03 12:56:12 | 日記
 今日『人間を信じる』(岩波現代文庫)が到着した。吉野源三郎の本である。今年の5月に出た。

 私の考え方の基本は、この吉野源三郎を範としているといってもよいほど、傾倒している。私は高校時代から岩波書店の『世界』を購読していた。吉野はその頃『世界』の編集長であった。吉野は、編集後記を書く傍ら、自らも論文を書いていた。私は彼の文を読みながら、彼のことばと対話しながら自らの精神を形成してきた。

 吉野が『世界』に書いた論文を集めた『同時代のこと』(岩波新書)という本がある。その本はいつも私の傍らにある。そのなかの「一粒の麦」こそ、私がもっとも影響を受けた論文である。今回出版された『人間を信じる』のなかにも収載されている。

 まだ不定形だった私の精神は、アメリカの侵略によるベトナム戦争との関わりの中で育てられた。ボール爆弾、ダムダム弾、マグネシウム爆弾・・・枯葉剤など、次々と残虐な兵器を開発してベトナム民衆の頭上に投下していくアメリカという大国。
 それに不屈に抵抗するベトナム民衆、そしてベトナム民衆と連帯した世界の良識ある人々。かれらの姿は、人間のあるべき姿を映し出していた。人間はいかに生くべきかを考えていたとき、その具体的な回答はベトナム民衆やベトナム戦争に反対する人々の中にあったのだ。

 それを象徴する人物がホーチミンである。そのホーチミンとベトナムの民衆を、吉野が「一粒の麦」のなかで哲学的に意義づけた。それが私の原点となった。

 吉野源三郎は、直接の面識はまったくないけれども、私の人生の師であると、今も思っている。そして吉野の精神は、今なお『世界』という雑誌に引き継がれている。その基本的な思考は、「人間を信じる」ということである。


  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

服従させたい!

2011-06-03 08:15:53 | 日記
 時事通信の配信記事。「君が代条例、午後成立へ=教職員に起立・斉唱義務付け-大阪府」という記事だ。これについては、日弁連なども日本国憲法の精神に基づいた批判を行っている。しかし、こういう正当な批判に耳を傾けることなく、大阪維新の会は独走する。

 政治の道に入った「維新の会」の面々は、自らの権力をひけらかし、大阪府の教員をみずからの意志のもとに統制下に置こうという魂胆なのであろう。まさに全体主義的な発想である。そういう政治体制がお好きなようだ。

 日本の教育というのは、戦前からそうなのだが「態度主義」をとる。どう考えていても良いが、権力が強制する行動をとらせることが好きなのだ。要は、権力者に服従しているという態度を示すことが求められるのだ。

 たとえば中学校の新学習指導要領の「総合学習」のところに、「学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的に取り組む態度を育て」とある。私は「態度を育てる」という言葉の意味がわからない。おそらく、子どもを見る側(教師とか教育委員会など)が好ましいと判断できる態度を子どもが示せばよいのであろう。権力を握る者がよろこぶような態度を示させる、これが日本の支配のコツなのだ。「服従」させたいのである。戦前の「宮城遙拝」、「神社参拝」などもそれである。

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/110526.html


 
大阪府内の公立学校の教職員に入学式や卒業式といった学校行事で君が代を起立して斉唱することや、府立施設での日の丸掲揚を義務付ける大阪府の条例案が、3日午後の府議会本会議で賛成多数で可決、成立する。文部科学省は義務付け条例について「聞いたことがない」としており、全国初とみられる。
 起立・斉唱義務付けの対象となるのは、府内にある公立の小中学校と高校、特別支援学校に勤める教職員。「服務規律の厳格化を図る」ことなどを目的に掲げた。
 条例案は、橋下徹知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」が提案。同日の本会議では、過半数を占める維新の会が賛成する一方、公明、自民、民主、共産は反対する。
 罰則は設けていないが、知事と維新の会は9月議会で、職務命令に違反した職員の処分基準を明示した別の条例を定める方針。これを適用し、起立を拒む教職員の氏名や所属学校名を公表したり、最終的には懲戒免職処分にできたりする枠組みづくりを目指す考えだ。(2011/06/03-05:49)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする