浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】本間義人『地域再生の条件』(岩波新書)

2013-01-24 22:05:52 | 日記
 地域が衰退している、そういう状況が見える。だが、そういう地域ばかりではない。衰退せずにがんばっている地域、一度衰退したがもう一度盛り返した地域、いろいろある。政府が地方切り捨て政策を推進しているが故に、政府の切り捨て政策に流されたまま衰退しているところがあれば、そうではなく、それに抗して自立的な政策を対置して、衰退を食い止めているところがある。

 今、地方は、がんばりどころだ。

 この本には、頑張っているところが紹介されている。頑張っているところは、共通して、政府の言うがままになっていないところだ。自立的な動きをしているところが、衰退を食い止めている。

 さて、この本の内容は、それぞれの章のテーマを並べればよくわかる。

 第一章 なぜ、地域再生なのか
 第二章 人権が保障された地域をつくる
 第三章 地場産業で生活できる地域をつくる
 第四章 自然と共生し、持続可能な地域をつくる
 第五章 ヨコ並びでない地域をつくる
 第六章 住民の意思で地域をつくる
 第七章 地域再生に向けて

 それぞれの内容が、具体的な地域の実例をあげながら説明されている。

 地域はそれぞれ異なる条件をもつ。だから地域を考えていくこと、地域の再生をすすめるということは、個性的な動きをしなければならないということだ。そしてその主体は、そこに住む住民でなければならない。

 ボクも、地域の仕事の一部分を担っているが、「上から」仕事が下ろされてくるので、いつも腹を立てている。地域をつくるということは、住民が自主的に考え、動いていくのでなければならない。地域住民を何らかの行政目的の手段とするようなあり方は、はっきりと排除しなければならない。

 人を、手段としてではなく、目的としなければならない。カントではないが、「各人がそれぞれ自律的な人格を手段ではなく目的として尊重する」なかでこそ、自立的・自律的な動きが可能になるのだ。

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変わらない

2013-01-24 09:06:25 | 日記
 変わるべきであるものが変わらないという現実がある。変わらなくてもいいと思っている人が多いからでもあるが。変わらないことによって何らかの利益を得る人がいるからでもある。

 部活動顧問の暴力が原因で生徒が自殺した事件の報道をみていると、議論されるべきことが議論されていないと思わざるをえない。何度も書いているが、高校の部活動のありかたが議論され、現在の部活動そのものが変革されない限り、この種の暴力はなくならないと思う。

 この顧問が 暴力をふるっていることは、生徒もまわりの教師も当然知っていたはずだ。もしこの事件が起きなければ、暴力を背景にした部活動がそのまま続けられていただろう。

 部活動と暴力は、「指導」という名の下に正当化されてきた。しかし、はたして部活動は教育活動の一貫としてその枠内におさまっているのだろうか。

 そんなことはない。部活動は今や教育活動ではなく、学校の名声をあげるための手段とされ、また顧問の「指導力」を示すためとなっている。つまり、部活動の生徒たちは、そのための手段と化しているのだ。

 それぞれの学校が力を入れている部活動に参加する生徒は、そうした目的の手段とされ、日常生活のほとんどを部活動に投入し、部活動一色の生活となっている。生徒たちも、そういう生活が当たり前だと思い、その生活こそがわが生活だと確信している。勉強や読書などは、彼らの関心の外だ。

 部活動で、根性が育てられた、礼儀やマナーを教えられたなどと、部活動に参加した生徒はいうが、その内実についてなんら検討されない。礼儀やマナーは、その部活動の中だけで完結している姿はしばしば見られることだ。部活動と関係ない他者に対して、礼儀やマナーは発揮されるのか。また根性というのは、「先輩」や顧問による理不尽な行動を我慢する精神ではないのか。

 今議論されるべきは、部活動を教育活動の枠内にとどめるにはどうしたらよいか、でなくてはならない。いきすぎた部活動が「勝利至上主義」を生み出し、だからこそ暴力という「指導」がまかり通るのである。

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