この後の小品は、紹介する価値がないようなものが多い。「ビール」は面白い。これはおそらく実話。
ずっと読んでいくが、これはというものはない。「使いみちのない風景」は、エッセイ。「風景」についてだ。旅をしたり、あるいは日々の生活をしていくなかで、記憶にある風景というものがある。そういう風景について、村上は書いている。含蓄のあることも書かれている。記憶にある風景も、すでに過ぎ去ったもの、だから「素晴らしい」。
次の「ふわふわ」は、幼い頃の飼い猫の話。いい話だ。これを読みながら、ボクは飼っていた犬のことを思い出した。ボクは何度か犬を飼ったが、なかでももっとも覚えているのがボンという名のスピッツだ。もうスピッツという種類の犬は見かけないが、ボクが子どもの頃は、あちこちで飼われていた。ボクは病気にかかったボンの断末魔に遭遇した。それからはもう飼うのはやめようと思った(その後もくま五郎という名の犬を飼ったが・・)。死を見つめるのは、とてもつらいものだ。そのとき、身近な存在の死に耐えられないのなら、存在を身近なものにしなければいいのだと思った。小学生の頃だ。
「青が消える」は、フィクションだ。だがそこには、村上が青が好きであることを宣言している。彼の作品には青が多い。やっぱり。ボクは村上のことについて、一つ知ることが出来たと思った。
この後に村上自身の「解題」がある。これは読むのはやめようと思う。
短編集Ⅰは、これで読了。調べたら、1979~1989の間に書かれた短編集もあるようだ。それも読もうと思う。
ボクは別に村上春樹の作品を好きで読んでいるのではない。なぜそんなに好きな人がいるのかを考えるために読んでいる。しかしまあ、よく続く。ということは魅力があるのかも。
ボクに読まれることを待っている本群が、並んでいるのに。