浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『芸術新潮』2月号

2013-01-26 16:45:16 | 日記
 『芸術新潮』2月号の特集が、小林秀雄であることはすでに紹介した。冷たい風に閉ざされて戸外にでることなく、ボクはその特集を読んだ。

 小林秀雄は、かつて国語の教科書にも載せられ、また『無常といふこと』は、確か読まされた記憶がある。しかし、熱心に読んだ覚えはない。若く血気にはやる時期には、あまりフィットしない文章であったような気がする。

 ところが、この特集を読んでいると、美術や音楽、あるいは陶器など、それぞれの作品について小林が記した文を読んでいくと、何とも味わいがある文なのだ。それぞれの作品そのものが芸術であるのに、それについて記した小林の文もまた芸術なのだ。
 
 素晴らしい文章である。若い時には気がつかなかった。こういう文は、本当に書けないなあと思った。

 語彙の豊かさ、表現された文の奥に秘められた深い思索。

 もちろん、小林の思想そのものについては厳しい指摘がなされていることは知っている。だが文は、とにかく上手い。

 学ぶべきところはたくさんある。


 
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『芸術新潮』

2013-01-26 11:36:43 | 日記
 『芸術新潮』は、ボクが毎月購読している雑誌の一つだ。その2月号が今届けられた。

 昨日から、冷たい風が吹きつける。日本海を渡ってくる雪雲の断片が、遠州地方の空にも到達し、太陽の光をさえぎる。老いたボクは、外に出る元気もなく、ひたすら活字と対面し、またインターネットでいろいろな情報を集める。今日中にA4一枚の時評を書かなければならない。さて何を書くべきか。昨年末の総選挙以降、石川啄木ではないが、どうも「時代閉塞」の感を強めていて、その「閉塞」状態からの打開策を見出しかねている。しかしまだまだ諦観の境地にはなれない。

 さて『芸術新潮』の特集は、小林秀雄だ。文芸評論家ということでいいのだろうが、彼もまた日本近代の知の巨人である。この特集はさておいて、ぱらぱらと頁をめくっていたら、若き頃の小田実の写真があった。小田実は作家であると共に、活動家でもあった。

 作家としての作品で、ボクがもっとも好きなのは、『「アボジ」を踏む』だ。それ以外にも、ボクはたくさん小田実の作品、とくに評論を読んでいる。

 小田の著書のなかで読んで欲しい本はたくさんあるが、とくに若い人には、『何でも見てやろう』は、読んでほしいと思う。フルブライト奨学金でアメリカに留学した後、日本に帰るまでの無銭旅行を綴ったものだ。

 説明を忘れたが、小田実の写真は、美術史家である辻惟雄の連載、「奇想の発見 ある美術史家の回想」のなかにあった。辻と小田は同年同月生まれで、東大時代からの知り合いだったのだそうだ。60年安保の闘いにも参加したようだ。その関係で、小田についての言及がなされた。

 辻の美術史家としての業績は面白い。『奇想の系譜-又兵衛、国芳』、『奇想の図譜 からくり・若冲・かざり』(いずれもちくま学芸文庫)などは、通常の美術史にないものとなっている。辻の著作によって教えられたものは多い。

 『芸術新潮』の辻の文中、自殺したO君のことが書かれている。村上春樹の『ノルウェイの森』にも若くして自殺した人が描かれていたが、自殺や行方不明は、ボクの学生時代にもあった。人生の不可思議さは、そういう実例によっても、教えられた。

 失恋した○○君は、そのまま大学からいなくなった。今、どうしているのだろうか。生きていく途上のどこかに、『ノルウェイの森』の冒頭部分に書かれているような「野井戸」があって、時にそこにはまり消えていく、そういう人がいる。

 人生不可解!
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