浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

スピーカー

2013-01-28 23:20:37 | 日記
 イヤホンで音楽を聴きながら原稿を書いていたら、家人から「話しかけても返事がない!」と怒られたので、スピーカーを購入した。2階のボクの部屋にはパソコン用のスピーカーがあるが、部屋が寒いので、最近はずっとリビングで仕事をしたり本を読んだりしている。

 アマゾンでの評判をみながら注文したのが、クリエイティヴ2.1チャンネルステレオアクティヴPCスピーカーSP-SBS-A120である。1800円である。

 これをパソコンにセットして、ベートーベンのピアノ協奏曲第五番皇帝を聴いている。アマゾンでの評判通り、なかなかいい音だ。

 1800円という価格でこれくらいの音質なら損はないと思う。

 村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を借りてきた。なかなか厚い。しかし村上春樹ファンは、ボクのように彼の作品をこれほど読んでいるのだろうか。

 Yさんからは、『ねじまき鳥クロニクル』が良いと言われている。そこまでいくのはなかなかたいへんだ。Yさん、そしてHさん、あなたたち、全部読んだの?と聞きたくなる。

 明日から、音楽を聴きながら読み始めよう。今度はどんな世界が見せられるか、ある種の楽しみと共に、ああたいへんだという気持ちもある。

 
 
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過疎

2013-01-28 20:55:47 | 日記
 これからの人口予想を調べてみたら、もうすでに日本の人口は急激に減りつつあるとのこと。2004年12月にピークであった人口(1億1784万人)は、2050年には約9500万人となり、2100年には5000万人前後となるようだ。

 こういう状態では、日本はもう右肩上がりの発展は無理だ。ずっと以前から、少子化対策を進めなければといいながら、何もしていない。若い人の収入が増えず、結婚も出来ない状況を作り出していても、為政者は平気でいるのだから、未来は暗いとしか言いようがない。

 となると、地方はどうなるか。日本の居住地域の6割以上のところで、2050年には人口が半減するという。となると、現在過疎地域、あるいは中山間地域と呼ばれるところはほとんど人が住まない地域になるだろう。人が住まなければ、中山間地域は荒れるしかない。中山間地域、すなわち河川の上流部が荒れるとなると、下流部も海も荒れる。

 今日、浜松市の過疎対策について、市の担当者から話をきいた。高齢化率70パーセントを超える集落が、旧水窪町、旧佐久間町、旧春野町、旧龍山村に多い。過疎の現状を何とかしたいと、あちこちで地域づくりの動きが始まっているが、浜松市内の当該地域では、いまだ取り組みがないようだ。

 行政がまず動いて、というよりも、地域おこしを活発化させているところは、そこに住む人びとが自主的に動き始める。

 いずれは住民の数が激減していくだろうが、いま住んでいる人びとが誇りを持って、安全安心の中で生きていけるようにすること、そして出来うる限りそこで収入を得ることが出来るようにすること、そういう方策を探る必要がある。

 浜松市におけるこの問題を追究していきたいと思う。
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2013-01-28 00:30:28 | 日記
 送られてきた文を、家人の前で読み上げていた。

 「最近、良い文が送られてくるんだ」と言って、メールを開けてすぐに読み始めた。

 ところが、あるところにさしかかったとき、ボクは不意に落涙してしまった。ボクは、涙もろいたちだ。でも、今までボクは、落涙するかもしれないと予想することができたから、その心構えを持ちつつ落涙していた。だが今回は、できなかった。それは不意にきた。

 おそらくそれは、ボクも同じような体験をしていたからだろう。

 ボクは、子どもの頃、決して「よい子」ではなかった。今体罰が問題となっているが、ボクは様々な体罰を受けて育ってきた。スリッパでの往復ビンタ、運動場100周のランニング、職員室に座らせられて、頭を蹴られたこともあった。また、中学一年生のとき、なぜかは誰も思い出せないが、母が菓子折を持って校長に謝罪に行っている。

 だが、最終的には「グレ」ないで、通常の生活をおくることになった。それはなぜか。

 家族の力というか、家族がお互いに気遣いをもって、信頼し合い、支え合うという意思があったからだろう。その意思は、別に表現されたわけではない。心の奥底に、そういう意思が潜在していたのだろうと思う。

 送られてきた文には、たった二行ではあるが、その意思がはっきりと表わされていた。ボクと同じような状態にいた少年が、明確な意思表示をしていた。

 男というのは、そういう意思を表面にはだすことはない。おそらく彼は、その後、このことに言及することはないだろう。だがその二行の文は、端的に家族に力を与えた。

 “ことば”というのは、ほんとうに力を持つ。あるいは力を与えることができる。

 ボクは、送られてきた文に、そのことを教えられた。
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