浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

She Broke Japan’s Silence on Rape

2017-12-30 20:59:00 | その他
 伊藤詩織さんのことが New YorkTimes に掲載されている。

 She Broke Japan’s Silence on Rape
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知っておかなければならないこと

2017-12-30 20:45:55 | その他
 『東京新聞』の「私説・論説室」から。

 これはきちんと知っておかなければならないことである。


生活脅かす迎撃基地

2017年12月18日

 防衛省は弾道ミサイルを迎撃するイージス・アショアの導入を検討している。イージス護衛艦の迎撃システムをそっくり活用するが、問題は周囲にだれもいない海ではなく、人々が生活する地上に置くことだ。


 イージス護衛艦は人体に影響のある強力なレーダー波を出すことから航海中、乗員は甲板に出ることを許されていない。


 同様に強いレーダー波を出すXバンドレーダーが置かれた京都府京丹後市の米軍経ケ岬通信所の場合、航空機の計器類を狂わせるおそれがあり、半径六キロ、高さ六キロの半円柱状の空域を飛行制限空域としている。


 京都府医療課によると、レーダーの運用が始まった二〇一四年十二月から今月までに救急患者の搬送に使われるドクターヘリが基地周辺を飛行するためレーダー波の停波を要請したのは九回あった。電話やファクスで停波を依頼し、基地から回答があってはじめて飛行が認められる。


 米国で試験用のイージス・アショアが置かれているのはハワイ州の西端にあるカウアイ島だ。広大な米軍施設の中に置かれ、人的、物的被害は想定しがたい。


 防衛省はイージス・アショアの候補地を東北地方や中国地方の自衛隊施設とする方向だが、周囲に飛行制限空域が設けられる可能性は高い。迎撃ミサイル基地は人々の日常生活と無縁ではないのだ。 (半田滋)
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りんごとみかん

2017-12-30 19:58:20 | その他
 わが家では、りんごとミカンを箱で買う。遠州地方は昔からミカンの産地。子どもの頃から、みかんはいつも箱の中に入っていた。今東京などにいる子どもたちも、ミカンは箱から出して食べるものだと思っているらしく、ミカンの時期になると送ってくれと連絡が入る。

 今年はすでに2回送っている。しかし、今年は異変が・・・・

 というのは、ミカンが異常に高い。2回目は、知り合いを通して三ヶ日のミカンの生産農家から直送してもらったので、10㎏4500円だった(送料別)。しかし、店頭で見ると8000円くらいで売っていた。聞くところによると、今年は不作だから、という。

 今日、信州からりんごが届いた。これも今年2回目である。中川村の生産農家から買っているのだが、こちらは15㎏4500円(但し、家庭用。送料別)である。

 りんごは体によいといわれ、それ以来ずっとその農園から送ってもらっている。

 こんなにミカンが高価なら、箱買いを考えなければならない。

 ミカンは、この地方では冬の季節の庶民の果物であった。そういう時代もなくなっていくのだろうか。

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【本】高杉一郎『シベリアに眠る日本人』(岩波書店)

2017-12-30 13:46:17 | その他
 高杉一郎のシベリア訪問記である。みずからが抑留され、強制労働を強いられた現場をさぐる旅である。

 高杉は、みずからを強制労働に駆り立てたスターリン(体制)については、まったくの憎悪を示す。当然である。しかし、ロシア人、そこらにいるロシア人を悪く言うことはない。

 もちろん、ロシア人にもずるがしこやつもいれば意地の悪いやつもいるが、一般的に言って、あんなにあけっぴろげで、率直で、見せかけやつくろいのない裸のままの魂をぶつけてくる、心のあたたかい民族がほかにあろうとは思えない。(9)

 関東軍兵士などが、戦後ソ連によってシベリアで強制労働をさせられた。しかし、日本の政治は、抑留者がいることを知っていながら、何もしようとしなかった。だから高杉は、「棄民」ということばをつかう。

 日本という国家は、平気で自国の民を棄てる。満州移民、特攻隊兵士、普通の兵士(多くは栄養失調などで亡くなった)などがその例で存、戦後でもハンセン病者や水俣病患者、そしてフクシマ。

 こういう日本は、もういい加減に替えたいと思う。

 図書館で借りた本。


 
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久しぶりによい文

2017-12-30 13:37:24 | その他
 『朝日新聞』の「天声人語」は、むかしその文といい、内容といい、うなるようなものがあった。最近は、書いている人が何を書こうとしているのかパトスがないものがほとんどであったが、今日のはよかった。

  「君たち、何があっても、戦争だけはしてはいけない」。多くの大臣を経験した故・宮沢喜一さんが折にふれ、部下の役人たちに語っていた言葉である。20年ほど前に耳にした時には、ぴんと来なかった。平和を当たり前だと思っていたからだろう。いまは違う▼起きるはずがないと思っても、戦争は起きる。宮沢さんは、そう言いたかったのだろう。言葉の重みを感じるのは、この1年、戦争の2文字がちらつくようになったからだ。北朝鮮が核とミサイルの開発を進め、挑発を続けている▼現在の危機は、長い年月の結果である。不幸なのは「小さなロケットマン」などと挑発し返すような人物が、米国大統領だということだ。外交を担う国務省幹部の任命も遅れ、機能の低下が危ぶまれている▼先月の紙面で、元米国防長官ウィリアム・ペリーさんがもどかしそうに語っていた。「私が驚くのは、実に多くの人が戦争がもたらす甚大な結果に目を向けていないことです」。もしも核戦争になれば、韓国は朝鮮戦争の10倍、日本も第2次大戦並みの犠牲者が出るかもしれない。だからもっと真剣に外交を、との訴えである▼「国難」なる言葉で北朝鮮を前面に出した選挙があった。不可解なのは、万が一の時、人間の肉体がどれだけ破壊される危険があるのか、被害想定すら政府が示さないことだ。どこかひとごとのような奇妙な危機意識が広がっている▼間違っても核戦争が起きることなく、来年の年末を迎えたい。切にそう願う。


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【本】中野利子『父 中野好夫のこと』(岩波書店)

2017-12-30 13:34:50 | その他
 中野好夫なんて知らない人が多いだろう。英文学者である。シェイクスピアの翻訳は、最近は白水社版の小田島雄志訳が有名だが、それまでは福田恒存や中野好夫のものがあった。東京大学の教授であったが、家族の多い中野は東大の給料では喰っていけないと退職し、その後は文筆業で生きた。

 そのほかに中野好夫は、『蘆花徳富健次郎』の評伝なども書いている。明治生まれの知識人である。

 私が若い頃、中野好夫は、自民党の政治路線に対抗して、社会党・共産党をはじめ、労働組合や様々な市民団体を糾合して「統一戦線」の維持に力を尽くしていた。しかし政党というのは融通が利かない組織で、いつの時代でもそうだが、自党優先、独善主義でなかなかうまくいかない。しかしそれでも、吉野源三郎とともに、両党の間に入り。「統一」、いまでいうなら「野党共闘」を模索していた。

 中野は、戦後は平和主義者として一貫していたが、戦前はそうではなかった。彼は自らこう記している。

 12月8日以後は国民の義務としての限りは戦争に協力しました。欺されたのではない。進んでしたのであります。私は古い人間であり、私の中にある明治以来の教育の潜在的根強さには、私自身半ばは嫌悪をもって、今でも最もよく知り、また驚いているものです。

 戦時下、中野はアメリカの伝単(ビラ)などを研究していた。アメリカが日本に落とした伝単は、「大本営発表では日本軍は勝利につぐ勝利を続けているのに、連日のこの空襲をあなたたちはどう思いますか?おかしいとは思えませんか?」と、日本人の理性に訴えかける内容のものであった。しかし、日本軍の米兵向けは、男女抱擁の絵などもっぱらアメリカ兵の官能をあおり、厭戦気分をつくりだそうとするものだった。

 中野はこう書いている。

 人前で平気で抱擁し合うことに違和感を持たない米兵にこのような伝単は無意味であったし、また自分の頭でものを考える習慣を持たない日本人に理性に働きかける内容のものは無意味であった、と。

 なるほど、その通りである。

 この本にこういう箇所があった。

 詩人の金子光晴は、軍隊に息子を行かせないようにすべく、応接間に閉じ込めて松葉でいぶし、肺にカゲをつくり入営審査を不合格にして息子の命を守ったそうだ。

 すばらしい父親である。

 中野は、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の翻訳を行った。哲学者・古在由重、中野の追悼文で、中野が「政治の世界での人間の私欲や権勢欲や陰謀などは現代と古代ローマでもあまりかわりませんなあ」と語っていたことを記す。いつの時代も、同じような人間がいる。

 リンカーンの「人民の、人民による、人民のための」の意味は、民主政治の客体と主体と目的を述べているのであって、「人民の」は「人民を治める、統治する」という意であって、「民主政治は、まず正しく治められる知恵と技術をもった人民が存在しないところでは、とうてい実現されるものではない」と中野は指摘する。「真に治められることを知る人民にしてはじめて、真に自治することができるのだ」。

 本書は、娘の目から見た父・中野好夫の実像である。ほのぼのとした、父に対する愛情がこめられている文である。中野好夫という人物を等身大で知ることができた。

 でも、中野好夫は、今の人はほとんど知らないだろう。過去、立派な人がたくさんいたのだ。

コメント (2)
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