浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

大村愛知県知事の対応

2019-08-05 20:14:07 | その他
 あいちトリエンナーレの「表現の不自由展ーその後」が中止された件について、中止となったことは残念だが、大村愛知県知事の発言は正しい。

大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

権力の横暴と想像力の欠如

2019-08-05 09:19:05 | 社会
 あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展ーその後」の中止は、まことに残念である。この背景には、ネトウヨの諸君に端的に表れている想像力の欠如と権力の横暴がある。

 後者について先ず指摘すると、河村たけし名古屋市長と菅官房長官の権力を笠に着た介入があった。河村は「展示中止」を求め、菅は「補助金交付」に言及した。権力者は、こうしたことに対して謙抑的でなければならない。まさに権力の横暴と言うしかない。

 さらに、ネトウヨ諸君の想像力、さらにいうなら思考力の減退・欠如である。芸術とはいかなるものかを理解しない野蛮な人たち。
 絵画や彫刻など芸術作品は、ひとりひとりの評価は異なるし、それらをもとにして感覚や思考は大きく飛翔するのである。芸術作品は、芸術家の手を離れたあとは一人歩きするのであり、芸術家の思惑や意図とはことなる軌跡を描く。

 「慰安婦」を描いたといわれる少女、そしてその隣に存在する椅子。少女は少女であって、イコール「慰安婦」ではない。その少女を見て、それを鑑賞する者は、何ものかを連想するだろうし、その隣にある椅子にすわりなにごとかを考えるのだろう。

 私はあの少女像に歴史をみる。その少女の歴史は、「慰安婦」のそれかも知れないし、女性差別の歴史かも知れないし、少女の幼い頃の思い出かも知れない。そしてその隣に存在する椅子に座ることによって、この少女が見つめるものを見る、他者の目で見つめるのだ。自分自身の視点ではなく、他者の視点でみつめることの大切さを教えている。

 作者が「慰安婦」をモチーフにして制作したとしても、その作品は作者の意図を離れる。鑑賞者は、みずからの想像力や思考力を駆使して、みずからの精神の内奥と結ぶのである。芸術作品とはそういうものだ。

 現在の日本で、かくも想像力を欠如した者が増えていることを悲しむ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする