あいちトリエンナーレの「表現の不自由展ーその後」が中止となったことを、中止させたかった勢力は、「歴史戦の勝利」だと言っているようだ。
「従軍慰安婦」制度そのものが問題であり、「強制性」はその一部を構成しているにすぎないのに、その勢力は「強制性がなかったから慰安婦は問題ではないんだ」という。しかし、軍人らの手記その他でも、あるいは東南アジアでも「強制的」に「慰安婦」にされた例はたくさんある。彼らの「一点突破・全面否定」という「作戦」(まさに「戦闘行為」である!)により、「慰安婦」問題は、日本ではタブー化されてしまっている。驚くべきことに、司法もその勢力の中に取り込まれている。
彼らの暴力的な「作戦」に対して、どう抗したらよいのか。
映画「主戦場」を見ていれば、「慰安婦」否定論者たちの「思い込み」がいかに根拠なきことであるかがわかるのだが、しかし彼らの熱のこもった「攻撃」が、「表現の不自由展ーその後」中止に見られるように、成果をあげていることも事実である。
彼らの「作戦」(「攻撃」)に対して、「表現の自由」論だけで戦えるのか、もっと考えなければならない。
私たちは、とてもひどい時代に生きている。「卑劣」な「攻撃」が「勝利」を導き出しているという時代に・・・