浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「風よ あらしよ」

2024-03-31 22:33:24 | 大杉栄・伊藤野枝

 映画「風よ あらしよ」が上映された。しかし私は観なかった。テレビでも放映された。でも私は見なかった。

 私は、伊藤野枝について、野枝が書いた文、野枝について書かれた文のほとんどを読んでいる。だから私には、野枝をはじめ、大杉や辻潤らのイメージをすでにもっている。私はそのみずからがつくりあげたイメージを大切にしたいと思う。だから見ない。

 子どもの頃、NHKの大河ドラマを見ていた。だから豊臣秀吉を思い浮かべようとすると緒形拳の顔が出てくる。

 だから映像化された歴史は、見ない方がよいという結論を持つに至った。とはいえ全く見ないわけではない。「朴烈と金子文子」の映画は見た。でも、朴烈のイメージと映画の男優とは重ならなかった。でも、朴烈を想起するとき、あの男優の顔が浮かび上がってしまう。

 「風よ あらしよ」を観た友人から、劇場で販売されていた『風よ あらしよ (劇場版)』が送られてきた。ずっと前に送られてきていたのだが、母の死などがあって今まで読んでいなかった。

 今日、読んでみた。

 野枝を演じた吉高由里子さんの「伊藤野枝を演じて」を読んでみて、吉高さんは野枝という人間の本質をとらえている、と思った。私がもつ野枝像と重なるからだ。吉高さんは野枝について書いているが、そこに書かれている野枝は、まさに伊藤野枝という存在であった。しかし野枝のイメージと、吉高さんはイコールではない。

 この映画にでてくる大杉も辻潤も、私のイメージとは大きく異なっている。みなくてよかったと思った。

 ブレイデイ・みかこさんの文はよかった。訪日したバートランド・ラッセルが野枝に会い、訪日中に会った日本人でもっとも「好ましい人物」として野枝をあげたことが記されている。ラッセルは、強い印象を野枝から受けたのだ。

 野枝の「奴隷になるな」という呼びかけは、今も尚生きていることをみかこさんは強調している。野枝が書いた文は、いまも読む価値がある、と私も思う。

 加藤陽子さんの文は、大杉と野枝、橘宗一が殺された「時」を解説している。私も、どこかに書いたことがあるが、1917年のロシア革命、その後のシベリア出兵、朝鮮の3・1独立運動で体験した権力者の意思が、大杉らの殺害の背後にあると考えている。だから、権力者は、いつか大杉らを抹殺しようと考えていたはずだ。

 私は、野枝は、こういう時代だからこそ、振り返らなければならないと思っている。今、他の仕事をしている関係で、野枝に関する書籍などは実家に置いてあるが、「時」が来たら、もう一度すべてを読み直してみようと思っている。

 この映画のパンフレットは、よい。

 この映画を制作した柳川さんがいつごろから野枝の魅力にとりつかれたのかは知らないが、私の場合はもう50年もまえだ。私のほうが先輩である。

 

 

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フェイクに囲まれる現代

2024-03-31 20:33:42 | 社会

 フェイクが身のまわりに迫っている。リアルとフェイクを、私たちは見破ることが出来るのか、というと、それは無理のようだ。

 こういう時代に、私たちはどう対処したらいいのかを考えておく必要がある。

 この動画を見て欲しい。

「人間はもう見破れないと思った方がいい」 専門家も見破れない“AIフェイク動画”最前線 バイデン大統領の“フェイク”制作者に直撃【大石が聞く】

 

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歴史の進み方

2024-03-31 06:56:21 | 歴史

 東京の各所で、公園などで樹木が次々と切り倒されている。ただでさえ東京は緑が少ないのに、残されている公園の緑も消されている。背景にあるのは、カネにならない市民の憩いの場所としての公園ではなく、カネを稼ぐことが出来る場への転換である。資本はブルドーザーの如く、「公共」を蹴散らしてカネ儲けの場へと転換していく。公共機関としての地方自治体も国も、その資本に手を貸している。

 東京では、建物群が上へ上へと伸びていることがわかる。マンションも、どんどん高層化している。それは地方の主要都市にも波及し、背の高さを競っている。背の高さは統一されているのではなく、バラバラ。都市計画は、資本の攻勢の前に沈黙している。

 カネ儲けを原動力とする資本という暴力が、「公共」をなぎ倒している。それが今の「歴史」の特徴である。

 平和主義を建前として保持していた日本国は、ついに戦闘機などの武器を輸出するという暴挙に出て来た。資本の意思としての、武器でカネを稼ぐという明確な宣言である。武器でカネを稼ぐということは、人を殺傷してカネを稼ぐということでもある。資本の暴力があからさまに出現する時代が、現代という「歴史」の特徴である。

 そこには、倫理や道義などということばは消される。人間にはしてはいけないことがあるという、人間の悪しき行動を制御する精神的遺産が歴史的につくられてきたはずであるが、それも蹴散らされていく。そしてその悪しき主体である資本の集積体(経団連など)や国家権力や地方自治体の教育部門が、「道徳」を人びとに強制する。

 そのような人びとを食い尽くす資本の暴虐を前にして、人びとはそれに抗うどころかその資本の意図に従属する。

 最近、様々な詐欺事件が多発している。SNSをつかって、カネ儲けのために詐欺に遭う人が増えているようだ。そのような事件が報じられる度に、その金員の多額に驚く。そんなに持っていたのか、と。ある程度カネを保持する人が、さらに「簡単に」カネを儲けようとして詐欺に遭う。もちろん被害者には同情を禁じ得ないが、しかし、なぜそんなことをしてまでカネを稼ごうとするのか、私にはわからない。

 今や、カネ儲けのためには、倫理や道義、さらにはきちんとした手続きはない。額に汗して得たカネほど尊いものはないというような正当な考えも消されている。資本に追随して国家権力(国家や地方自治体など)が、カネ儲けにはしる姿を見て、人びともそれに追随する。カネ、カネ、カネ・・・・・・

 新自由主義という最悪の資本主義が、世界を席巻し、武器を製造し、人びとを殺傷し、地球環境を破壊している。地球を生きていけない惑星にする最後の仕事として、世界中の資本家や権力者が協力している。それを人びとがながめ、なかにはオレもカネ儲けしようと焦っている人もいる。もちろん、それに抵抗する人びともいるが、その数は少ない。

 ひとりの人間の終末をみつめた私は、今や地球の終末を予想するようになった。終末へと向かう現代の歴史を記述する歴史家は、おそらく存在しないだろう。新自由主義は、歴史をも消していくのだ。

 

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