遺品の整理というのは、亡くなった者の生きてきた「しるし」を消していくことだと思う。
母が亡くなり、母が生きていたことを証すもろもろのモノを、消していく。母に「これ、もう捨てていいよね」などと語りかけながら、処分していく。その作業をずっと続けている。
今日は雨が強かった。昨日まで、いろいろな遺品のほこりをはらったりしていたが、雨のためそれを辞めて仕事に取りかかった。
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今年、歴史講座で「画家と戦争」をテーマにして話すことになっている。その準備のために、図書館から何冊かを借りだしているのだが、読めないまま借用期限が切れた。そこで図書館に行き、返してまた借りるということを行った。そして帰宅してから、「画家と戦争」のスライド制作をはじめた。導入には、浜松市出身の画家である中村宏さんが、最近みずからの戦争体験を描きはじめたことを話そうと思い、その絵を貼り付けたりしていた。
構想としては、まず戦争に協力した画家たちをとりあげる計画であるが、ふと野見山暁冶さんが、藤田嗣治について書いた文があったことを想い出した。
もう10年以上前に出版された『ユリイカ』の臨時増刊号「野見山暁冶 絵とことば」を書庫から取り出してきて、読みはじめた。野見山さんは画家としてだけではなく、いろいろな面で魅力ある人物であること、とりわけ信州にある「無言館」の創立に関わったことを知っていたのでこの本を買っておいたのだ。
藤田に関する文だけを読もうと思っていたのだが、最初から読みはじめてしまった。野見山さんは文章もうまく、それについていろいろな人が書いていた。たしかに、読ませる文章を書く。
藤田嗣治について書いた「戦争画とその後」も印象的な良い文であるが、そのあとに掲載されていた「マピヨン通り 椎名其二」を読んで深い感銘を受けた。椎名はアナーキストで、ジャーナリストとなったり、製本屋となったりして頑固一徹の人生を貫き、パリで亡くなった。椎名はきわめて個性的で、自らを生き抜く中で椎名其二という人間を、歴史のなかに深く深く刻み込んだ。
椎名の存在を知らなかった私は、自分自身を責めたいと思うほどであった。
野見山は、椎名について、その人物を的確に捉え描写し、私たちにその存在を刻印する。椎名に関する評伝が、藤原書店から出版されていることを知り、図書館から借り出すことにした。
ひとつのことを調べはじめると、次々と新たに関心をもつものが出て来る。知りたいことが際限なくやってくる。私自身は、まだまだこの世に生きつづけたいと思う。
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明日は晴れるという。明日もまた遺品の整理を行う。この歳になって母を亡くすというのはなかなか精神的に厳しいものがある。自分自身も遠くない時にこの世を去ることになる。そのとき、私の生きた足跡も消されていくのだろう。母の遺品整理が終わったら、自分自身の「終活」も本格化させよう。自分で自分自身の生の軌跡を消していく。