今日もたくさんの本を古書店に渡した。残された時間のことを考えると、おそらくもう読まないだろうと判断した専門書の多くを手放した。もっともっと身軽になろうと思う。
私は今、浜松演劇鑑賞会の会員で、企画された演劇をただ見るだけの会員であるが、それが浜松演劇鑑賞協議会と言っていた頃、「機関誌部」の一員として、機関誌にいろいろな記事を書いて載せていた。その頃の機関誌を、すべてではないが、今も保存している。
20代の頃で、まだ若かった。大学時代は東京労演の会員で、浜松に帰って来てからは浜松演観協の会員となって演劇を見るようになった。
機関誌(1979年12月)にはじめて書いた文を紹介する。
最近、何か圧迫されているような格子のない牢獄にいるような、そんな感じがしてなりません。
先月、息苦しい生活から逃れようと東北一周の度に出かけてきました。紅葉も終わり、長い冬を待つだけとなった東北の山々は、荒涼たる姿を見せていました。そんななかで津軽富士といわれる岩木山が大空にむかって雄々しくそびえているのを見て、大いに感じるところがありました。「生きていこう」というつぶやきが、どこからか聞こえてきました。
新入りの機関誌部員です。よろしく。
母が亡くなってから、ボーッとしている時がある。自分自身が年齢を重ね、みずからの死を自覚しつつあるときの母の死であるがゆえに、なかなか心が重い。いずれ必ずやってくるみずからの死を考えてしまう。「生きていこう」という前向きな姿勢ではなく、死ぬまでは生きていかなければならない、という気持ちとなっている。