残りの人生の長さを考えると、もう新たな研究は出来ないし、神経を集中させての正確な歴史叙述はできそうもないと思い、蔵書のほぼ半分、とりわけ専門書の多くを処分している。先週の月曜日も多くの本を整理したが、明日も、古書店が私の蔵書をもっていくことになっている。
幕末維新史の研究者であった故原口清先生、私に在日コリアン史の研究を促した故海野福寿先生は、ある時期からまったく書かなくなった。長生きした原口先生からは、歴史研究の方法論をなんどもうかがっていたので、ぜひそれを書いて欲しいと何度も要請したが、先生は書かなかった。
海野先生から、ある時、はがきが送られ、そこにはもう書かないということが、いつもの端正な字で記されていた。
名誉のために名前は記さないが、弱いを重ねた高名な歴史学者であるA氏に原稿を依頼したことがあった。送られてきた原稿はあまりにひどく、このままでは掲載できないと判断した私は、彼の多くの著書を読み込んで、何とか論文としての体裁を整えたことがあった。同じことは、別の歴史学者でも体験した。
学問研究には、引き時があると思う。私は、みずからがまさにその時期にきていると思う。
残されている仕事は二つである。2023年度ですべての責任ある仕事から離脱しようとしたが、二つだけが残された。継続を要請されたからであるが、晩節を汚さないためには、数年の内に「撤退」しようと考えている。
あとどれほど本を読むことができるだろうか。