パリで亡くなったアナーキスト。椎名其二の評伝を図書館から借りてきた。そのプロローグに、ミシェル・フーコーのことばが引用されていた。
自分の人生を一個の芸術作品にすることができないだろうか?なぜこのランプとか、この家が一個の美術品であって、私の人生がそうではないのか。
もちろん、筆者である蜷川讓が、椎名の人生を「芸術作品」と考えているからこそ引用したのである。
蜷川はこう書いている。
「・・・椎名の情熱は、相手がフランス人であろうと日本人であろうと、ときに爆発し、人びとにとまどいを与えることもあった。だが彼は、つねに信念を貫き、容赦しなかった。その強烈な個性のゆえに、彼の許を去る者も多かったが、彼の周囲にはいつも友情が成立し、彼を理解しようとする若者たちに包まれていた。・・・(中略)椎名の豊かな人間味あふれる生き方は、底光りする純粋さに貫かれ、一編の芸術作品にもたとえうるであろう。」
人生を「芸術作品」にするためには、強烈な個性が必要となる。「芸術作品」とは、そこにただひとつの個性が刻印され、それが同時に普遍性へと広がっているものでなければならない。
椎名のことを野見山暁冶の文からのみ知った私としては、そして今日借りてきた評伝を読んでいない私としては、椎名の人生を「芸術作品」だと断定することは出来ない。しかし、その大きな要素として、「信念を貫く」こと、「底光りする純粋さ」が必要である。
残り少ない私の人生の先を見通すと、私の人生はとても「芸術作品」となることはない。
「歴史の進展に一髪の力でも添えうれば満足なのです。添えうるかどうかは疑問だとしても、添えようとして努力するところに僕の今後の生活の唯一の意味があるように思われるのです。」
これは啄木のことばだ。若い頃に読んだ、家永三郎の『数奇なる思想家の生涯』(岩波新書)、これは田岡嶺雲の生涯を描いた本であるが、そのはじめに啄木のこのことばが引用されていた。
とてもよい文だと思い、そのように生きてきたが、今になって「歴史の進展に一髪の力」を添えることができなかった、という思いが強い。歴史が逆行していると思うような時代となってしまっているからだ。
「芸術作品」どころの話ではないが、椎名其二の評伝を読み、少しはその生き方を真似てみようと思う。