テレビはないので、ユーチューブで、民放各局のニュースをみているが、最近、見たくない顔が増えた。斎藤元彦兵庫県知事、そして維新の兵庫県議会議員、前安芸高田市長・・・・・・・・・・いずれも鼻持ちならない顔である。
以前も書いたことがあるが、それぞれの顔はその人の人生を刻んで、そのひとなりの顔をつくっていく、とわたしは思っている。それには一定の年齢、経験の積み重ねが必要だ。人生の経験が、そのひとの顔を作りだす。
「今だけ、カネだけ、自分だけ」という生き方をしてきた者たち、とりわけ自由民主党の議員たちの顔は醜く、わたしにとっては見たくもない顔だ。それに引き換え、近所に住まうふつうの人々の顔をみていると安心する。
さて、兵庫県会議員であった竹内さんの死のきっかけをつくった維新の県会議員の三人が記者会見を開いた。わたしはその顔を見たくもないのでみていないが、ネットで長時間中継された。それに参加した記者やジャーナリストたちには、ご苦労様と言いたい。見たくもない顔を見続ける元気は、わたしにはない。
この件で、プチ鹿島さんが書いている。「兵庫知事疑惑》「ひどい。こんなにギョッとしたのは」兵庫県関係者の衝撃的な証言が…亡くなったX氏を追い込んだ7人の脅迫者」である。
鹿島さんが書くとおりである。この件の関係者達には、「良識」というものが感じられない。「良識」を持たない人々が、斎藤兵庫県知事の周囲に集まってきた感じである。「類は友を呼ぶ」である。
「良識」を持たない人々が増えたと感じるのは、わたしだけだろうか。先日も、もと新聞記者の方と話したが、「良識」を持たない人々が増えたということで意見が一致した。とりわけ、政治家や政治家になろうという者たちにそれがなくなっている。
わたしの知り合いにも、議員になりたくて、社会民主党、立憲民主党、れいわ新選組、参政党とわたりあるいてうまくいかず、今は東京で某所の事務局長におさまっている者がいる。この某所については、『東京新聞』も報じていたところだ。
あらゆる点で、わたしたちの今後の生活に希望が見いだせなくなっている。世界的にそうなのだろうとも思うが、やはり日本の現実に目が行ってしまうために、日本に対する絶望感が強い。
人間が卑しくなった。