私の実家の近くにある寺には、父の墓がある。檀家が少ないため、父が亡くなってから後に、住職がほかの寺に移った。寺の世話人たちは、近くの寺の住職に兼務をお願いした。
しかしこの住職がとんだ食わせ物であった。
私が幼い頃、父の年忌の際、その坊主は、参列者に袈裟の新調を求めたりした。幼心にもこの坊主に対する不信感が芽生えた。親戚の法事に参加したとき、住職が仏教の話をされたのを聞き、これが法話というものだとはじめて知った。その坊主は、法話を一度もしたことがなかった。
その坊主の金儲け主義にあきれた世話人がその坊主の兼務をやめさせようとしたら、ばく大なカネを要求されたために、断念したということを聞いている。
その坊主は亡くなったが、金儲け主義は受け継がれているようで、遂に私は、父の墓を「墓じまい」することにした。
母は10数年前から姉の住む関東近県に住んでいた。そこで亡くなったことから、葬儀はそこで近親者のみで行った。葬儀の際には、「おぼうさんどっとこむ」に依頼して、曹洞宗のお坊さんを招いた。とても良い坊さんで、清廉さが感じられる方であった。
さて、その墓に母の遺骨を納めようと考えたとき、世話人からは、もしこの寺に遺骨を納めるならこちらで葬儀をもう一度やらなければならないと言われていると伝えられた。その坊主が取り仕切る葬儀は、多くの坊主を従えた大規模なものだ。そんなカネはない。
世話人に聞くと、あまりにカネ、カネ・・・というので、檀家が去って、檀家数が百以上あったのに、今はその7割程度になっているという。
その寺は、私の祖先が土地を寄進してつくったものだ。だから父は「居士」となっている。「居士」となると、寺に関係する費用はいつもかなり求められる。それでも我慢してやってきたが、もう出るしかないと決断した。
破戒僧という言葉があるが、この坊主は「破壊僧」としかいいようがない。カネ儲けのために寺を悪用し、その寺から檀家を追い出し、そして出ていった檀家の多くは神道へと変わったそうだ。
仏教を破壊する坊主。まさに「破壊僧」である。こんな坊主に母の戒名をつけてもらわなくて、ほんとうに良かった。
仏教界は猛省せよと言いたいが、それぞれの寺院はそれぞれが宗教法人となっているから、指揮統制はできないとのこと。今後、主に人口減少を理由として日本の寺院は減っていくであろうが、それに拍車をかけているのが、こうした「破壊僧」である。そうした「破壊僧」の話しは、あちこちにころがっている。
もう墓はもたない、そのほうが子孫は困らないはずだ。寺院に墓があるとカネはとられる。そして土地は売れるが、墓は売れない。
遺骨は、散骨などの自然葬が最善だと思う。