『ユリイカ』の最新号を買った。特集は「ハン・ガン」。ハン・ガンの小説を読み、ハン・ガンという作家を理解したいと思ったからだ。
その『ユリイカ』の巻頭に、ハン・ガンとはまったく関係のない、中村稔による「故旧哀傷・川喜多長政・かしこ夫妻」という文があり、最初にそれを読んだ。
最初の出だしは、「川喜多長政、かしこ夫妻の容貌を思い出すと、人の容貌は天賦のものというよりそれぞれの人の人格の陶冶によってつくりだされるものだという感をふかくする。」である。
洋画を日本に紹介し続けた川喜多夫妻、わたしは名前だけを知っているが、その顔は知らない。しかし、中村が書く容貌についての指摘は正しいと思う。
女性の場合、若い頃美人であっても、齢をかさねるなかで美貌は衰えていく。だが美人ではなかったけれども、歳をとってから、輝くような容貌をあらわす人がいる。それは男性も同じである。
男性の場合、「人格の陶冶」がしめる割合は大きいと思う。良い人は、良い顔となり、悪い人は悪い顔となる。ただ、ふつうの人生を生きていた人の顔については、良い顔、悪い顔を判断できるほどの差はない。
ところが、政治家、とりわけ自由民主党や維新の政治家の顔は、ほんとうに悪い顔が多い。だから、政治的な漫画は、自民党の政治家の、その悪い顔の特徴をみごとに表現する。
なぜ自由民主党の政治家の顔が悪いのかというと、傲慢であるからだ。政権を掌握しているから、カネは集まるし、高いポストも与えられる。能力がなくても、ただ自由民主党の議員というだけで、それらが手に入るのである。
今までわたしは多くの学者と交流してきたが、有能な学者ほど謙虚であったということだ。「能ある鷹は爪を隠す」というように、能力ある人は、その能力をひけらかすことはしないのである。
自民党などの保守系の政治家の多くは、みずからの能力についての自覚もなく、地位と名誉とカネを求めて立候補する。世のため、人のため、なんていう気持ちはさらさら持ち合わせてない。そういう輩が、権力と関わるようになると、能力がない輩ほど傲慢になり、それが顔に現れ、悪い顔になるのだ。
「能なき鷹は爪を出す」のである。その爪が、悪い顔をつくりだす。
新聞、雑誌も、そうした輩に関する記事を書く場合、その輩の写真を掲載しないでほしいと思う。見るだけでうんざりするからだ。