世田谷区で大きな問題が起きている。世田谷区では、新たに区史の編纂を始めているようだ。もちろん、そうした歴史の編纂に当たっては、市職員ができるものではなく、ある程度の専門性が求められるから、歴史研究者にその編纂を委嘱する。
自治体史の編纂に当たって、委嘱された者たちの多くは、史料調査を行い、その史料を生かすために、その史料に関わる関連する文献を読み込み、あるいは当該自治体に住む方々から話を聞き、何を書くべきかを考え、文章にまとめていく。自治体史編纂に関わると、多くの時間と、また文献を購入するために多額のカネをつかう。まさに自治体史の原稿を書くことは、委嘱された者にとっていわば全身全霊をつぎこむ作業なのだ。もちろん、何を書くかは、委嘱された者の価値観に左右される。
私もいくつかの自治体の歴史編纂の仕事をしてきたが、今まで一度も書いたものに関して修正を要求されたことはない。ただ一回、書いた原稿を送ったところ、なぜそういうことが書けるのかとクレームを受けたことがある。もちろん歴史というものは資料に基づいて書くわけであるから、まったく事実がないことを書くわけがない。私は、その資料は、当該市のホームページに掲載されてもいるし、市が発行するパンフレットにも書かれていることを指摘したら、当該市の担当者が謝罪に来られた。それには私もさすがに呆れた。
世田谷区は、なにゆえに編纂を委嘱した者の著作権を奪おうとするのか。まったくわからない。委嘱した者には、とうぜん原稿料その他を支払うから、世田谷区は原稿料を払うということは著作権を得る、ということだと考えているのだろうか。しかしそれは間違いである。
こういうことがあった。あるとき、自治体史の関係者から、私が書いた原稿(すでに自治体史として発行されている)をやさしく書き直すので、その許可が欲しいという連絡があった。私に著作権があるので、その対応は当然のことである。私はすぐに許可するという文書を送った。
なお私は、自治体史であろうとも、書く内容については一切妥協しない。全身全霊を投入して書き上げるのだから、専門的(学問的)な見地からではない物言いを受け付けるわけにはいかないのである。
世田谷区の区史編纂室には、歴史の専門家が入っているのだろうが、全時代について歴史の見地を持つ者はいないだろう。専門的な知見を持つからこそ、専門家が書いたものについては尊重するのである。
そういう要請が来たら、私なら委嘱を断るが、それを問題にした研究者がいたからこうして報じられている。その研究者に委嘱しないという決定を、世田谷区が行ったという。
これは大きな問題である。たとえば東京都なら都知事がそう考えていないからということで、関東大震災における朝鮮人や中国人虐殺が歴史叙述から消されることにもなりかねない。ネトウヨが否定する佐渡金山における朝鮮人の強制労働は「新潟県史」に書かれているし、東京都の過去の自治体史に関東大震災の際の虐殺も書かれている。歴史的事実は歴史的事実なのである。過去のそうした忌まわしい歴史的事実をきちんと踏まえたうえで、現在や未来をつくっていくのである。