今日届いた『週刊金曜日』に、世田谷区史編さんをめぐっての著作権人格権問題が和解したという記事があった。本来、こうした問題が生じることはほとんどない。このように問題となったことこそおかしい。
かつてこのことについては、書いたことがある。世田谷区史の問題を指摘した谷口雄太氏のような経験はないが、そういえばこういうことがあった。
わたしは被差別部落の部分を担当した。わたしは、地名をそのまま書いたところ、地名は伏せてほしいといわれたことがある。わたしと自治体の担当者との間にU氏が間に入り、結局、地名をアルファベット表記にした。話し合いの結果である。
執筆者は当然著作権をもつが、自治体側がなんらかの問題を感じたときには、率直に話し合えばすむことである。
執筆委員を委嘱する際に、世田谷区は、「著作権の放棄と著作者人格権の不行使」を求めたという。わたしは自治体史を7つ関係したが、そんなことは一度も求められなかった。そんなことが一般化すれば大問題となる。わたしも、そういうことを求められれば抵抗するだろうし、委員を引き受けない。世田谷区の執筆委員が何人いるか知らないが、他の人たちはどういう対応をしたのだろうか。おかしいと指摘したのが、谷口氏ひとりであったことに、わたしは驚いてしまう。
歴史研究者には、気骨が失われてしまったのだろうか。