朝日新聞社が発行している『Journalism』1月号、その特集は「民主主義の行方」である。副題は「この国はどこに向かうのか」である。
何故にこのような特集にしたのか。言うまでもなく、安倍政権以降の日本の民主主義が極めて危機的な状況にあるということを憂えた結果であろう。
有益な論考が並んでいるが、特集に関わってもっとも触発されたものは、橋場弦「「直接民主政=衆愚政は方便」である。ギリシアの民主政に関して、私はほとんど理解していなかったことを発見した。
デモクラシーのもとになったギリシアの「デモクラティア」は、「民衆の支配」という意味であることは知っていた。
「ギリシア民主政の命脈は、世界史全体の流れに置いてみると、ほとんど一瞬の光芒に過ぎない。やがてギリシア世界を征服し、地中海の覇者となったローマ共和政は、貧富の差によって参政権に著しい格差を設け、一握りのエリートからなる元老院が実質的な支配者集団となったから、ギリシア人から見ればまぎれもなく寡頭政(少数支配)であり、民主政の系譜に連なるものではなかった。・・前近代の世界に登場した支配体制のほとんどが、君主や貴族による垂直型の強権支配だったといってよい。ギリシア民主政のように権力や権威を集中せず、市民相互の自由と対等を原則とする水平型の支配は、世界的に見ても例外中の例外であった。」
橋場は、近代民主政を正当化するためにいろいろな理由をつけて古代ギリシア民主政を批判するという。
「・・直接民主政が実現不可能な近代国家では代表性(代議制)が最も合理的であるとか、衆愚政に陥った古代の轍を踏まぬためには選挙で選ばれた少数の優れた人々が統治にあたるべきだとか、基本的人権の上に成り立つ近代民主政が本物の民主主義である、という正当化である。」
しかし本当にギリシャの民主政をわれわれは理解しているのであろうか。
「古代民主政は小国だから可能だったというが、民主政が最も典型的に発展したアテナイは、つねに小国分立状態にある当時のギリシア世界では、例外的な大国であった。住民人口は20万から30万人、領域面積も神奈川県に相当した。ほかならぬそのアテナイで最も民主政が発展したのはなぜか。歴史学の立場からすればそれこそが問題である。」
「古代民主政には「代表する」という考え方自体が存在しなかった。・・・古代ギリシア人がもし今日の議会政治を目にしたならば、彼らはそれを民主政とは呼ばず、(プラトンにはアリストテレスでさえ)極端な寡頭政と捉えたに違いない。彼らにとってデモクラティアとは、文字通り民衆が権力を行使することにほかならなかったからである。」
近代民主制が普遍的となり、かつ認められるようになったのは第二次世界大戦後のことである。つまり100年経っていないのだ。しかしアテナイ民主政は186年間も生き続けだという。
「「代表すること」、「代表を選ぶこと」ではなく、すべての市民が公共性に「あずかる」こと、公共の問題を「分かちあう」こと、それが古代民主政のキーワードであった。」
現在の、見るも無惨な日本の代議制の「民主政」は、すでに機能していない。それは日本だけではない。私たちは、この代議制による民主政治というものが否定されなければならない時代に生きているように思うこの頃である。