司氏は画家である。画家の視点から、「戦争画」を論じている。藤田嗣治、宮本三郎ら、「戦争画」を描いた画家たちに批判的である。「ああいう時代だったから仕方なかったのだ」とかいう「戦争画」描いた人びとを擁護する声があるが、司氏はきっぱりとそうではないと断言する。
それはなぜか。「ああいう時代」であっても、「戦争画」を描かなかった画家たちがいたからだ。「新人画会」というグループがあった。麻生三郎、井上長三郎、大野五郎、鶴岡政男、寺田政明、そして靉光、松本竣介らである。彼らは銀座で展覧会を行った。一、二回は日本楽器、三回目は資生堂だった。三回目は、1944年4月であった。そこには「戦争画」はなかった。
「ああいう時代だったから、軍に協力するしかなかった」という「弁解」は、ここで崩れ落ちる。
しかし、美術評論家らは、「戦争画」を描いた者たちを擁護する。その擁護のことばが、本書に収録されている。
軍部は、画家だけではなく、作家たちをも戦地に派遣した。「従軍画家」、「従軍作家」である。ドナルド・キーンはこう書いている。
作家の名声を利用しようとする軍部の思惑に腹を立てるどころか、ほとんどの作家は大陸へ派遣されることに熱心だった。従軍といっても、だいたいがわずか二週間、それもそのほとんどは豪華ホテルで過ごされた。
画家たちも同様だっただろう。
ヒトラーに見込まれてレニ・リーフェンシュタールは、「意志の勝利」などのドキュメンタリー映画を制作した。レニを論じながら、司氏は、
日本の戦争画でもそうですが、画家であるがゆえに描いてしまったということはありません。人より抜きんでた才能の持ち主に限って、権力者からの要請があり、描いているのです。その効果を期待することからすれば当然のこと(28)
一般の人でも、そして日頃反権力的な言辞を弄している者でも、権力者から声がかかると、平気でなびく、そういう人がたくさんいることは、私も見てきている。「権威」に弱いというか、自分自身に個としての自尊心がないのだ。
司さんは、こう記している。
日本の戦争画から生まれたものは、芸術家の奢りと、「無智な大衆」より劣る精神の貧弱さでした。そのような作品(大東亜戦争画)が芸術として評価されてよいはずがありません。(46)
大東亜戦争、あるいは十五年戦争が日本の歴史の恥部であるとすれば、「大東亜戦争画」も恥部、僕はそう思うのです。(61)
司氏は、「戦争画」の画料を書き留めている。銀座の土地、ひと坪一万二千円の頃、一号で10円、「戦争画」は二百号だから2000円が軍から支払われた。
「戦争画」を描く画家には、画材がふんだんに提供された。「ああいう時代だから軍に協力しないと絵が描けなかったんだよ」という弁解もある。だが、新人画会の画家たちは、「戦争画」を描かなかったが、そうでない絵を描くことができた。
新人画会の前で、彼らの弁解は一切の力を失うのだ。