今日、朝九時に家を出た。沼津を経由して御殿場まで行かなければならなかったからだ。
駿河療養所のAさんは、戦時中徴用で過酷な労働に従事しているなかでハンセン病を発症した。そこでAさんは、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」による「援護」を求めている。知人の弁護士と共に、その請求を実現すべく、ボクはAさんの主張を事実でもって裏付けるべく、いろいろ調べ上げた。
今日は、その結果を厚労省の担当官に口頭説明する日であった。開始は午後1時。沼津の知人の法律事務所に寄って打ち合わせの後、御殿場に行くという計画であった。
ところが、浜松インターに入ってすぐに、なぜかハンドルはしっかりしているのに、車が蛇行する。おかしいなと思いながら、天竜川を越え上り坂に入る。すると、一応安定。しかしまた車が言うことをきかない。これはだめだと思い、磐田インターで降りる。料金所の手前で停車し、車を降りてみる。後ろの二本のタイヤがパンクである。
すぐに車を購入したネッツトヨタ浜松のIさんへ連絡し、JAFにも連絡する。JAFは30分後に行くという連絡を受ける。実際にきたのは10時30分。車を見てもらい、この状態では応急修理は無理となり、ネッツトヨタへ車を運ぶこととなった。法律事務所に連絡し、直接御殿場に行くこととした。しかし間に合うかどうかわからない。また、ネッツトヨタに連絡し、代車の確保を依頼する。
ネッツトヨタには11時過ぎに到着。後ろの二本のタイヤには、なぜかそれぞれにネジが食い込んでいた。どこかで拾ったのではないかと言われる。しかし同時に後ろだけ拾うというのもおかしな話だ。
ネッツトヨタに到着した時は、まだ代車が届いていなかった。取りに行ってもらい、なんとか代車に乗り込んだのは、11時30分過ぎ。すぐに代車(ヴィッツ)に乗り、第2東名目指して走る。
とにかく一度も停車しないで、走る、走る。
御殿場に到着したのは、13時40分。口頭説明をすぐに行うことができ、何とか間に合った。
ボクは、御殿場行きを中止しようか迷った。中止すれば、Aさんは困るし、弁護士も困る。担当官には今日しか会うことはできない。ボクは、試練に立たされたようなのだ。
せっかく代車を用意してくれたことから、行くしかないと決めた。そして、ひたすら走って何とか今日の責務を果たすことができた。
Aさんを弁護士やボクらが支え、ボクをネッツトヨタのIさんが支えてくれた。支えあいである。こういう連鎖が社会を成り立たせているのだということを実感した。感謝、感謝である。
まだ25日からの腰痛はなおっていない。しかし車の乗降の際には腰痛を意識することがあったが、それ以外は意識することなく、今日を生きた。
たいへんな一日であった。
駿河療養所のAさんは、戦時中徴用で過酷な労働に従事しているなかでハンセン病を発症した。そこでAさんは、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」による「援護」を求めている。知人の弁護士と共に、その請求を実現すべく、ボクはAさんの主張を事実でもって裏付けるべく、いろいろ調べ上げた。
今日は、その結果を厚労省の担当官に口頭説明する日であった。開始は午後1時。沼津の知人の法律事務所に寄って打ち合わせの後、御殿場に行くという計画であった。
ところが、浜松インターに入ってすぐに、なぜかハンドルはしっかりしているのに、車が蛇行する。おかしいなと思いながら、天竜川を越え上り坂に入る。すると、一応安定。しかしまた車が言うことをきかない。これはだめだと思い、磐田インターで降りる。料金所の手前で停車し、車を降りてみる。後ろの二本のタイヤがパンクである。
すぐに車を購入したネッツトヨタ浜松のIさんへ連絡し、JAFにも連絡する。JAFは30分後に行くという連絡を受ける。実際にきたのは10時30分。車を見てもらい、この状態では応急修理は無理となり、ネッツトヨタへ車を運ぶこととなった。法律事務所に連絡し、直接御殿場に行くこととした。しかし間に合うかどうかわからない。また、ネッツトヨタに連絡し、代車の確保を依頼する。
ネッツトヨタには11時過ぎに到着。後ろの二本のタイヤには、なぜかそれぞれにネジが食い込んでいた。どこかで拾ったのではないかと言われる。しかし同時に後ろだけ拾うというのもおかしな話だ。
ネッツトヨタに到着した時は、まだ代車が届いていなかった。取りに行ってもらい、なんとか代車に乗り込んだのは、11時30分過ぎ。すぐに代車(ヴィッツ)に乗り、第2東名目指して走る。
とにかく一度も停車しないで、走る、走る。
御殿場に到着したのは、13時40分。口頭説明をすぐに行うことができ、何とか間に合った。
ボクは、御殿場行きを中止しようか迷った。中止すれば、Aさんは困るし、弁護士も困る。担当官には今日しか会うことはできない。ボクは、試練に立たされたようなのだ。
せっかく代車を用意してくれたことから、行くしかないと決めた。そして、ひたすら走って何とか今日の責務を果たすことができた。
Aさんを弁護士やボクらが支え、ボクをネッツトヨタのIさんが支えてくれた。支えあいである。こういう連鎖が社会を成り立たせているのだということを実感した。感謝、感謝である。
まだ25日からの腰痛はなおっていない。しかし車の乗降の際には腰痛を意識することがあったが、それ以外は意識することなく、今日を生きた。
たいへんな一日であった。