『ブラッドランド』上巻を読み終えたところで、訃報があった。中学時代の友人が今日未明に亡くなったという報せであった。
今月、中学校のクラス同窓会をもつことになっている。亡くなった友人は、同窓会には毎回出席していた。ラインで、その友人から「今、入院中なので同窓会には出席できない」旨の連絡がきていた。その報せを受けたライン仲間は、じゃあ退院したら退院祝をしようと声をかけ合っていた。しかしそれはできなくなった。
万年幹事を仰せつかっているわたしとしては、たいへんショックでことばもない。
友人の死に、ものすごい喪失感を覚える。
『ブラッドランド』を読んでいくと、スターリン体制下のソ連、ヒトラー政権下のドイツは、ばく大な数の人びとを死に追いやった。〇○で2万人、▲▲で5万人・・・・・・という虐殺された数が並ぶ。わたしはそれを、あまりに酷い、スターリン、ヒトラー、そしてその命令のもとに人びとを殺害した者たち、何ということだ、なぜそんなに残酷になれるのか・・・・いろいろな気持ちをいだきながら読み進んでいた。
殺された人びとのばく大な数が、この本に記される。
しかし、それを数にすることは、ほんとうはできないのだ。2万人であろうと、ひとりひとりの死がそこにあるのだ。
ひとりの友人の死に、大きな喪失感をもち、友人がラインに書き込んでいた文を読んでいると、涙がでてくる。たしかに、『ブラッドランド』といわれる地域で、たくさんの血が流された。しかしその何倍もの涙が、そこでは流されたはずだ。
人間の死を、数にしてはならない。ひとりひとりの死として、受けとめなければならない。
Mさん、安らかに。