浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

ひとりの死と無数の死

2024-11-04 19:26:42 | 日記

 『ブラッドランド』上巻を読み終えたところで、訃報があった。中学時代の友人が今日未明に亡くなったという報せであった。

 今月、中学校のクラス同窓会をもつことになっている。亡くなった友人は、同窓会には毎回出席していた。ラインで、その友人から「今、入院中なので同窓会には出席できない」旨の連絡がきていた。その報せを受けたライン仲間は、じゃあ退院したら退院祝をしようと声をかけ合っていた。しかしそれはできなくなった。

 万年幹事を仰せつかっているわたしとしては、たいへんショックでことばもない。

 友人の死に、ものすごい喪失感を覚える。

 『ブラッドランド』を読んでいくと、スターリン体制下のソ連、ヒトラー政権下のドイツは、ばく大な数の人びとを死に追いやった。〇○で2万人、▲▲で5万人・・・・・・という虐殺された数が並ぶ。わたしはそれを、あまりに酷い、スターリン、ヒトラー、そしてその命令のもとに人びとを殺害した者たち、何ということだ、なぜそんなに残酷になれるのか・・・・いろいろな気持ちをいだきながら読み進んでいた。

 殺された人びとのばく大な数が、この本に記される。

 しかし、それを数にすることは、ほんとうはできないのだ。2万人であろうと、ひとりひとりの死がそこにあるのだ。

 ひとりの友人の死に、大きな喪失感をもち、友人がラインに書き込んでいた文を読んでいると、涙がでてくる。たしかに、『ブラッドランド』といわれる地域で、たくさんの血が流された。しかしその何倍もの涙が、そこでは流されたはずだ。

 人間の死を、数にしてはならない。ひとりひとりの死として、受けとめなければならない。

 Mさん、安らかに。

 

 

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