昨年11月11日、13年振りに訪れた鹿児島で、薩摩藩島津家の別邸「仙巌園」の見学に行きました。錦江湾とその先に雄大な桜島を望む、広大な海辺の邸宅です。冒頭の写真は仙巌園から見た桜島です。
初めに、入口直ぐ左手に設けられた「鹿児島 世界文化遺産オリエンテーションセンター」へ。中には、反射炉の1/10模型があります。近代に入り、島津斉彬によって庭園内に「集成館」と呼ばれる西洋式工業施設が造られ、その一つに鉄砲や大砲鋳造に欠かせない反射炉もありました。
反射炉というのは近代に鉄の精錬に用いられた金属溶融炉のことで、上の写真で分かるように、燃焼室の石炭(上の模型では木炭に見えますが)の熱を天井や壁に反射させ、炉床に集中させることで鉄を溶かす仕組みになっています。反射炉を初めて見たのは、小学6年生の時の卒業旅行で行った伊豆の韮山反射炉だったと記憶していますが、今までなぜ反射炉というのか、その仕組みについて知りませんでした。
そして外に出てすぐのところに見えるのが、反射炉(2号炉)の土台跡です。一部地中に埋まっており、実際はもっと高かったようです。反射炉は1857年に完成しましたが、薩英戦争(1863年)で破壊されました。
つづいて庭園の散策。初めに正門。薩摩藩第12代藩主だった島津忠義が明治時代になってから建てさせたもので、屋根の裏側には島津家の家紋である丸十紋と五七桐が見えます。五七桐は、島津氏の祖、島津忠久(1179年~1227年)の時に摂政関白、近衛基通から賜ったものだということです。材木は楠が使われているそうですが、どっしりとした重厚感のある瓦といい、どこか本州とは異なる情緒を感じます。
正門からなだらかな坂を上ったところにある錫門。今でこそ埋め立てが進んでいますが、江戸時代はこの錫門の手前までが海で、船着き場があったそうです。江戸時代まではこの錫門が正門でした。名前の通り、屋根を瓦ではなく鹿児島の特産品である錫で葺いてあります。銅瓦というのは見たことありますが、錫は初めてですね。この朱塗りの門をくぐることが許されるのは、藩主など限られた身分の者だけでした。
仙巌園最大の灯篭、獅子乗大石灯篭。笠石の大きさは何と8畳分もあるとのこと。その上の石が、獅子が舞い降りてきたように見える(つまり、下が頭)ことから、獅子乗大石灯篭と呼ばれます。
御殿。
中に入ることはせず、外から少し眺めただけですが、銀屏風というのは初めて見ました。
望嶽楼。一見して唐様というか、少なくとも和様でないことが分かると思いますがその通りで、当時薩摩の支配下にあった琉球国王から贈られたものだそうです。
望嶽楼からは、仙巌園の背後にそびえる山に「千尋巌」と彫られた巨石が見えます。以前このブログで中国蘇州の虎丘を紹介しましたが、そこでもあったように景勝地の巨岩に文字を彫るのは中国では見かけますが、日本の大名庭園ではここだけだそうです。他に江南竹林などもあり、望嶽楼と共に唐趣味をとり入れたものでしょう。
曲水の庭。現在でもここで毎年4月に曲水の宴が催されるそうです。
仙巌園
鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした