9月30日、日本交渉協会が主催する交渉アナリスト1級会員のための勉強会、第34回燮(やわらぎ)会に参加してきました。
今回の講師は、交渉アナリスト1級会員でコミュニケーションプロデューサーの彦田美香子様。「win-win協調的交渉を導くダイアログ体験」と題し、対話がコミュニケーションに与える効果をまさに対話によって体感するワークを行いました。
対話(Dialogue)には様々な定義が成されていますが、その語源はギリシャ語で”dia”(通り抜ける)+”logos”(意味)です。即ち、その場であったり人と人との間、あるいは人の中を「意味が(自由に)通り抜けること」を意味します。これを彦田さんは「率直・深い・自由」という非常に分かりやすい条件でまとめてくださいました。さらに会話との違いを明確にするならば、そこにテーマがあるか否かということが大切になると思います。
なぜ対話が重要なのか?一つには「人は他者の話を聞いている様で聞いていない」ということが挙げられます。これを今回アイスブレイクの中で身を以て味わうことになるのですが、短時間の自己紹介でさえ、その内容を余り思い出せません。日々膨大な情報に曝されている我々は必要でない情報を無意識に素通りする傾向にあるためです。これを防ぐには相手の話に関心を向ける意識の働きが必要となります。第二には、第19回燮会で行った「クルーザー」というワークの通り、倫理に関わる疑う余地のない常識と思えるような事柄でさえ、その捉え方は個々で驚くほど違っているということです。この小さな認識の違いの積み重ねこそが、やがて大きな誤解やコンフリクトを生み、かつその解決を難しくしている主たる要因なのです。対話では「素朴な質問」をすることにより、その認識の違いを明らかにしていきます。この点は『交渉の達人』の「調査交渉術」でも原則の筆頭に挙げられていたポイントでした。このように考えると、対話を抜きにした単純な多数決だけで合意を得ようと期待する方がむしろ無理があると言えます。
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さて、先ほど「対話にはテーマが必要」と述べました。そこで今回の最初のテーマは、「交渉アナリストの理想像は何か?」前提として、日本交渉協会理事の安藤雅旺様より日本交渉協会のビジョンと交渉アナリストの役割についてお話いただきました(詳しくは『交渉学のススメ』をご覧下さい)。
<理念>
①ライシャワー博士の「イーコール・パートナーシップ」
②藤田忠先生の「燮の精神」
③ハーバード流の「協創(統合型交渉の実践)」
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<交渉アナリストの役割>
①「対立を両立に変える合意形成の実践」
②「異質なものの結合による新たな価値創造の実践」
⇒即ち、分配型<価値交換型<価値創造型へと交渉次元を上げる担い手となること
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<ビジョン>
「仁の循環・合一の実現」
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上記をお読みになり、「ここまで交渉アナリストの役割が明らかになっているのであれば、その理想像はそれを実践することであって、何を対話する必要があるのか?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、明確に思えることにこそ、意外な認識の違いが潜んでいるのであり、これを対話により明らかにしなければ同床異夢となってしまう恐れがあるのです。冒頭で彦田さんが「燮会にはもっと対話が必要だと考えたので、このテーマを選んだ」とおっしゃっていましたが、この必要性を感じておられたのではないかと思います。
各チームごとに対話を行い、結論をまとめた後、二番目のテーマへと移りました。「対話はWin-Win交渉にどのような効果を持つのか?」こちらも同様にチーム内で対話を行い、結論をまとめ、最初のテーマと合わせ全体での共有を行いました。様々な意見がありましたが、「対話」は、交渉アナリストがその役割を果たすための欠くべからざるスキルなのだと思いました。
正しいかどうかはともかく、個人的に気付いたことが二点あります。一つ目は、対話はフラクタル構造をなしているという事。あるテーマについて対話していると、相手の発言を解釈したり、自分の中に取り込んだりするために自分の内面との対話が同時に起こります。また、テーマのある部分について疑問や相違があると、そこからまた新たな対話が始まり、同じように他者と自分および自分の内面との対話が同時進行するのです。しかし個々の対話は決して散逸することなく一番上のテーマの大きな対話を構成しているのです。この構造によって対話の質が深まっていきます。
もう一つは、チームメンバーとの対話の中で、仲間の発言に共感するものがあり、それを内面の対話に変換した際、自分の興味や行動の源泉、心の奥深くにあるメンタルモデルと呼応する瞬間がありました。その時、自分の中でこれまで別々の物事として理解され、故に別個に探求されていたものが、一つの源泉から発した共通の物事に過ぎないということに気づきました。対話には物事の捉え方を深めさせるだけでなく、ある特異点に達したところで、捉え方そのものを変容させてしまう効果もあるのではないかと思いました。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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