都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
新日本フィルハーモニー交響楽団 「ショスタコーヴィチ:交響曲第10番」他
新日本フィルハーモニー交響楽団 第409回定期演奏会
オール・ショスタコーヴィチ・プログラム
ヴァイオリン協奏曲第1番 作品77
交響曲第10番 作品93
指揮 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
ヴァイオリン 木嶋真優
演奏 新日本フィルハーモニー交響楽団
2006/12/6 19:15 サントリーホールPブロック
ショスタコーヴィチとの親交も厚かったという(公演パンフレットより。)、ロストロポーヴィチの指揮とのことで聴いてきました。新日本フィルのオール・ショスタコーヴィチ・プログラムです。ちなみに、ロストロポーヴィチが新日フィルの定期を振るのは何と8年ぶりとのことでした。
ヴァイオリン協奏曲のソリストには木嶋真優を迎えます。第一楽章こそややソフトタッチな演奏でしたが、曲が進むにつれて、まるで反応の悪いオーケストラへ喝を入れるかのようにヒートアップしていきました。もちろん最大の聴かせどころである、第3楽章の長大なカデンツァも難なく弾きこなします。総じて高音部での激しさと、ピアニッシモでのすすりなくような弱さの同居した、振幅の大きく、また揺れ動くショスタコーヴィチでした。(あえて言えば、もう少し中音域にニュアンスの変化があればさらに良かったかもしれません。)その力演の様子は、クライマックスにて突然起った弦の切れるハプニングにも表れていたかと思います。全力で音楽に対峙している姿が見て取れました。引き込まれます。
さて、先ほど「反応の悪い。」と述べさせていただいたオーケストラですが、この日の新日本フィルの響きはどうもいただけません。年齢を感じさせないロストロポーヴィチの軽快な指揮に喰らいついていけないのか、終始腰が重過ぎて、時には奇怪なまでに表情の入れ替わる、この曲の変幻自在な面白さを伝えるまでに至っていませんでした。またこれは指揮にも問題があったのかもしれませんが、曲想の変化する部分の処理がとても甘く、結果として音楽が所々でぶつぶつと途切れるような、緊張感に欠けた音楽が生まれていたようにも感じました。確かにヴァイオリン主導で進む祈るようなフレーズこそ、新日フィルに特有な明るい響き(むしろこれがショスタコの演奏ではマイナスポイントになってしまうのかもしれませんが。)が素朴で親しみ易い雰囲気を醸し出していましたが、激しくのたうち回るスケルツォではそれこそハメを外すような激しさが全然足りません。全体的にどうも安全運転とも言えるような、奇妙にこぢんまりとした響きにまとまってしまっていたのが気になりました。ただし、オーケストラ自体の調子はそんなに悪いわけではなかったようです。オーボエやファゴット、それにホルンなども伸びやかなでふくよかな音を奏でていました。とすると、音楽全体のダイナミズムの方向性が示され、または各パート間の交通整理が明快になされていれば、さらに見通しの良い、音楽の構築美を味わえるような演奏になっていたと思います。それぞれの各パートから奏でられる美しい響きが、全体となると何故かとても散漫に聴こえてしまいました。もっと純度の高いアンサンブルを求めたいです。
「ロストロポーヴィチ―チェロを抱えた平和の闘士/新読書社」
終演後、楽譜を大事に胸へ抱き、客席へ大きく掲げるようにして敬意を示していたロストロポーヴィチの姿がとても印象に残りました。先日の第8番は優れていたとも聞きますが、ショスタコーヴィチ演奏にとって重要な指揮者の登場だっただけに、もう一歩踏み込んだ表現が欲しいところでした。少し残念です。
オール・ショスタコーヴィチ・プログラム
ヴァイオリン協奏曲第1番 作品77
交響曲第10番 作品93
指揮 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
ヴァイオリン 木嶋真優
演奏 新日本フィルハーモニー交響楽団
2006/12/6 19:15 サントリーホールPブロック
ショスタコーヴィチとの親交も厚かったという(公演パンフレットより。)、ロストロポーヴィチの指揮とのことで聴いてきました。新日本フィルのオール・ショスタコーヴィチ・プログラムです。ちなみに、ロストロポーヴィチが新日フィルの定期を振るのは何と8年ぶりとのことでした。
ヴァイオリン協奏曲のソリストには木嶋真優を迎えます。第一楽章こそややソフトタッチな演奏でしたが、曲が進むにつれて、まるで反応の悪いオーケストラへ喝を入れるかのようにヒートアップしていきました。もちろん最大の聴かせどころである、第3楽章の長大なカデンツァも難なく弾きこなします。総じて高音部での激しさと、ピアニッシモでのすすりなくような弱さの同居した、振幅の大きく、また揺れ動くショスタコーヴィチでした。(あえて言えば、もう少し中音域にニュアンスの変化があればさらに良かったかもしれません。)その力演の様子は、クライマックスにて突然起った弦の切れるハプニングにも表れていたかと思います。全力で音楽に対峙している姿が見て取れました。引き込まれます。
さて、先ほど「反応の悪い。」と述べさせていただいたオーケストラですが、この日の新日本フィルの響きはどうもいただけません。年齢を感じさせないロストロポーヴィチの軽快な指揮に喰らいついていけないのか、終始腰が重過ぎて、時には奇怪なまでに表情の入れ替わる、この曲の変幻自在な面白さを伝えるまでに至っていませんでした。またこれは指揮にも問題があったのかもしれませんが、曲想の変化する部分の処理がとても甘く、結果として音楽が所々でぶつぶつと途切れるような、緊張感に欠けた音楽が生まれていたようにも感じました。確かにヴァイオリン主導で進む祈るようなフレーズこそ、新日フィルに特有な明るい響き(むしろこれがショスタコの演奏ではマイナスポイントになってしまうのかもしれませんが。)が素朴で親しみ易い雰囲気を醸し出していましたが、激しくのたうち回るスケルツォではそれこそハメを外すような激しさが全然足りません。全体的にどうも安全運転とも言えるような、奇妙にこぢんまりとした響きにまとまってしまっていたのが気になりました。ただし、オーケストラ自体の調子はそんなに悪いわけではなかったようです。オーボエやファゴット、それにホルンなども伸びやかなでふくよかな音を奏でていました。とすると、音楽全体のダイナミズムの方向性が示され、または各パート間の交通整理が明快になされていれば、さらに見通しの良い、音楽の構築美を味わえるような演奏になっていたと思います。それぞれの各パートから奏でられる美しい響きが、全体となると何故かとても散漫に聴こえてしまいました。もっと純度の高いアンサンブルを求めたいです。
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終演後、楽譜を大事に胸へ抱き、客席へ大きく掲げるようにして敬意を示していたロストロポーヴィチの姿がとても印象に残りました。先日の第8番は優れていたとも聞きますが、ショスタコーヴィチ演奏にとって重要な指揮者の登場だっただけに、もう一歩踏み込んだ表現が欲しいところでした。少し残念です。
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