都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「トーマス・デマンド展」 東京都現代美術館
東京都現代美術館
「トーマス・デマンド展」
5/19-7/8
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b0/2d5147a7358bded148d099dfbe8fdd23.jpg)
東京都現代美術館で開催中の「トーマス・デマンド展」へ行ってきました。
何やら青いタイルの貼られた清潔なバスルーム、チラシ表紙の図版を見る限りにおいては、あたかも実在する場所をストレートにおさめた写真と思えるかもしれません。
そこでポイントとなるのが「紙で出来た世界。(リアル)」という言葉です。
実はデマンドはいずれの作品もモデルをほぼ実寸大、しかも紙のみで制作し、それをカメラで写して公開するという表現を行っています。
と言うわけでともかくまず感心するのは、遠目ではおおよそ紙とは分からない、一見するところのリアルな景色です。
入口正面、「森の空地」における木漏れ日をはじめ、薄いブルーの水をたたえたチラシ表紙の「浴室」しかり、まさに本物ではないかと思わせるほど精緻に作り込まれています。
これは本当に果たして紙なのか、そのようなことを考えながら作品へと近づいてみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/0f/c04c59d3a32942bad57b531e2d169d3d.jpg)
トーマス・デマンド「流し」1997年、Cプリント
すると初めの印象とはまた異なった様相が浮かび上がってくるではありませんか。
つまり例えば「踊り場」での階段に粉々に散った瓶の破片や、「流し」のシンクへ入れられた飲み残しのカップなど、細部へ目を凝らすと、やはり紙特有の薄くムラのない均一的な質感、さらにはつなぎ目の微かな綻びなど、確かにモデルが紙であることの証しが見えてくるわけです。
リアルだと思っていた光景はあくまでも紙に過ぎない、そして本来的に全く異なる質感をあえて本物のように表そうとする写真の試み、その相反する要素が表裏一体になっていると言えるのかもしれません。それ故の違和感は強烈でした。
それに総じて空虚でありかつ奇妙なまでに清潔で、また異様なまでに静謐な景色は、それこそ白昼夢を見ているかのような感覚さえ与えられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/80/bc6cc4862049449521e011a0e3f819fa.jpg)
トーマス・デマンド「大統領1」2008年、Cプリント
それにしてもこれらの景色は限りなく匿名に近く、場所を限定させません。殆ど唯一、「大統領」名付けられた何枚かの連作と、未だニュース映像が脳裏から離れない「制御室」だけは、その元来の場所、つまり前者はホワイトハウス、そして後者は福島第一原子力発電所だということをある程度連想することが出来ます。
しかしながらその他はほぼ一体どこなのか、モデルはあるのかそれともないのかすら分かりません。もちろん人の気配も皆無です。つまり一番初めに感じたリアルさは、作品により踏み込んでいけばいくほど喪失します。知らない場所の知らない景色、そして誰もいない世界、恐ろしいまでの強烈な不在感に襲われてなりませんでした。
途中には動画作品を挟みますがこれまた不気味です。突如、ゴーという音を立て、椅子やテーブルが傾き、カフェやバーを連想させるスペースが散乱する様子を表した「パシフィック・サン」も、写真作品と同じように無人ながら、どこかただならぬことが起きていると思わせるような緊迫感がひしひしと伝わってきます。
不在でかつ匿名、滲みや汚れのない純化された景色という、言わばデマンドによって計算されて出来た異化的な世界は、思わず息をのむほどに迫力がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d1/e2cbb5cde8913ff4206fb57b315411f4.jpg)
トーマス・デマンド「スタジオ」1997年、Cプリント
ところがです。実はデマンドの面白さはそれだけにとどまりません。順路最後、出口付近ではじめて取り出せる解説シートを見て驚きました。
そこには当然ながら作品についての解説が記されているわけですが、何と殆どの作品の背景には、それこそ「制御室」における福島の災害しかり、何らかの実際の事件、事故、また自然の名所などが参照されていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/09/52ef68dacfa964934e0500f4d4497007.jpg)
トーマス・デマンド「浴室」1997年、Cプリント
一例を挙げるとチラシの「浴室」も1987年にスイスで起きた殺人事件が、また例の瓶の割れた「踊り場」もケンブリッジの美術館で起きた来館者の転倒事件が素材になっています。
ここに匿名性はがらりと崩れ落ちます。そもそもデマンドはこうした事件などの報道の写真、もしくは動画をもとに、まず紙でモデルを作り上げているそうですが、背景をテキストで知ると、写真作品単体では失われていた場所、また人々の記憶と体験、強いて言えば物語性が急に回復してくるのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/2b/78ceff3c1491f5a35666b9468e738491.jpg)
トーマス・デマンド「制御室」2011年、Cプリント
そうすると今度は逆に事実、つまりリアルが、虚構としての紙世界の中にぐいぐいと介入してきます。
結果、リアルなようでも実は紙の装置であること、また非現実的な光景ようで現実のものであること、そしてモデルに対する写真の関係など、デマンド作品が呼び込む様々な相反するイメージは、まさに鑑賞者に「見えるものとは何か。リアルとは何か。」を強く問いただしているように思えてなりませんでした。
「Thomas Demand Und Die Nationalgalerie」
久々に衝撃的な展覧会に出会った気がします。今都内で開催されている展覧会で一番と問われれば間違いなくこれです。
「Thomas Demand/Museum of Modern Art」
7月8日までの開催です。強くおすすめします。
「トーマス・デマンド展」 東京都現代美術館
会期:5月19日(土) ~ 7月8日(日)
休館:月曜日
時間:10:00~18:00
住所:江東区三好4-1-1
交通:東京メトロ半蔵門線清澄白河駅B2出口より徒歩9分、都営地下鉄大江戸線清澄白河駅A3出口より徒歩13分。
「トーマス・デマンド展」
5/19-7/8
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b0/2d5147a7358bded148d099dfbe8fdd23.jpg)
東京都現代美術館で開催中の「トーマス・デマンド展」へ行ってきました。
何やら青いタイルの貼られた清潔なバスルーム、チラシ表紙の図版を見る限りにおいては、あたかも実在する場所をストレートにおさめた写真と思えるかもしれません。
そこでポイントとなるのが「紙で出来た世界。(リアル)」という言葉です。
実はデマンドはいずれの作品もモデルをほぼ実寸大、しかも紙のみで制作し、それをカメラで写して公開するという表現を行っています。
と言うわけでともかくまず感心するのは、遠目ではおおよそ紙とは分からない、一見するところのリアルな景色です。
入口正面、「森の空地」における木漏れ日をはじめ、薄いブルーの水をたたえたチラシ表紙の「浴室」しかり、まさに本物ではないかと思わせるほど精緻に作り込まれています。
これは本当に果たして紙なのか、そのようなことを考えながら作品へと近づいてみました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/0f/c04c59d3a32942bad57b531e2d169d3d.jpg)
トーマス・デマンド「流し」1997年、Cプリント
すると初めの印象とはまた異なった様相が浮かび上がってくるではありませんか。
つまり例えば「踊り場」での階段に粉々に散った瓶の破片や、「流し」のシンクへ入れられた飲み残しのカップなど、細部へ目を凝らすと、やはり紙特有の薄くムラのない均一的な質感、さらにはつなぎ目の微かな綻びなど、確かにモデルが紙であることの証しが見えてくるわけです。
リアルだと思っていた光景はあくまでも紙に過ぎない、そして本来的に全く異なる質感をあえて本物のように表そうとする写真の試み、その相反する要素が表裏一体になっていると言えるのかもしれません。それ故の違和感は強烈でした。
それに総じて空虚でありかつ奇妙なまでに清潔で、また異様なまでに静謐な景色は、それこそ白昼夢を見ているかのような感覚さえ与えられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/80/bc6cc4862049449521e011a0e3f819fa.jpg)
トーマス・デマンド「大統領1」2008年、Cプリント
それにしてもこれらの景色は限りなく匿名に近く、場所を限定させません。殆ど唯一、「大統領」名付けられた何枚かの連作と、未だニュース映像が脳裏から離れない「制御室」だけは、その元来の場所、つまり前者はホワイトハウス、そして後者は福島第一原子力発電所だということをある程度連想することが出来ます。
しかしながらその他はほぼ一体どこなのか、モデルはあるのかそれともないのかすら分かりません。もちろん人の気配も皆無です。つまり一番初めに感じたリアルさは、作品により踏み込んでいけばいくほど喪失します。知らない場所の知らない景色、そして誰もいない世界、恐ろしいまでの強烈な不在感に襲われてなりませんでした。
途中には動画作品を挟みますがこれまた不気味です。突如、ゴーという音を立て、椅子やテーブルが傾き、カフェやバーを連想させるスペースが散乱する様子を表した「パシフィック・サン」も、写真作品と同じように無人ながら、どこかただならぬことが起きていると思わせるような緊迫感がひしひしと伝わってきます。
不在でかつ匿名、滲みや汚れのない純化された景色という、言わばデマンドによって計算されて出来た異化的な世界は、思わず息をのむほどに迫力がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d1/e2cbb5cde8913ff4206fb57b315411f4.jpg)
トーマス・デマンド「スタジオ」1997年、Cプリント
ところがです。実はデマンドの面白さはそれだけにとどまりません。順路最後、出口付近ではじめて取り出せる解説シートを見て驚きました。
そこには当然ながら作品についての解説が記されているわけですが、何と殆どの作品の背景には、それこそ「制御室」における福島の災害しかり、何らかの実際の事件、事故、また自然の名所などが参照されていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/09/52ef68dacfa964934e0500f4d4497007.jpg)
トーマス・デマンド「浴室」1997年、Cプリント
一例を挙げるとチラシの「浴室」も1987年にスイスで起きた殺人事件が、また例の瓶の割れた「踊り場」もケンブリッジの美術館で起きた来館者の転倒事件が素材になっています。
ここに匿名性はがらりと崩れ落ちます。そもそもデマンドはこうした事件などの報道の写真、もしくは動画をもとに、まず紙でモデルを作り上げているそうですが、背景をテキストで知ると、写真作品単体では失われていた場所、また人々の記憶と体験、強いて言えば物語性が急に回復してくるのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/2b/78ceff3c1491f5a35666b9468e738491.jpg)
トーマス・デマンド「制御室」2011年、Cプリント
そうすると今度は逆に事実、つまりリアルが、虚構としての紙世界の中にぐいぐいと介入してきます。
結果、リアルなようでも実は紙の装置であること、また非現実的な光景ようで現実のものであること、そしてモデルに対する写真の関係など、デマンド作品が呼び込む様々な相反するイメージは、まさに鑑賞者に「見えるものとは何か。リアルとは何か。」を強く問いただしているように思えてなりませんでした。
![](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41P0BHK-r2L._SL160_.jpg)
久々に衝撃的な展覧会に出会った気がします。今都内で開催されている展覧会で一番と問われれば間違いなくこれです。
![](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51G8VD58CHL._SL160_.jpg)
7月8日までの開催です。強くおすすめします。
「トーマス・デマンド展」 東京都現代美術館
会期:5月19日(土) ~ 7月8日(日)
休館:月曜日
時間:10:00~18:00
住所:江東区三好4-1-1
交通:東京メトロ半蔵門線清澄白河駅B2出口より徒歩9分、都営地下鉄大江戸線清澄白河駅A3出口より徒歩13分。
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