「欲望の美術史」(光文社新書)

産経新聞夕刊に連載された宮下規久朗先生の「欲望の美術史」のエッセイシリーズ。その記事を加筆修正、新たに書き下ろしを加えての新書版です。光文社より刊行されています。


「欲望の美術史/宮下規久朗/光文社新書」

テーマは言うまでもなく美術と欲望。「そもそも美術というものは、純粋に美を求める気持ちから作られ、鑑賞されたものばかりではない。」とはまえがきの一節です。美術を生み出す力、また求める時の欲望を多面的にピックアップする。古今東西の作品を引用し、「人間の様々な欲望を映し出す鏡」(p.22より引用)としての美術の諸相を抉り出しています。

[目次]
まえがき
第一章 欲望とモラル
第二章 美術の原点
第三章 自己と他者
第四章 信仰、破壊、創造
あとがき



エル・グレコ「聖衣剥奪」1579年 スペイン、トレド大聖堂

さて冒頭では食欲や愛欲、それに金銭欲など、半ば誰もが持ち得る欲望から美術作品を挙げていますが、実に具体的な例を引き寄せているのも興味深いポイントです。例えばグレコ。デビュー作の「聖衣剥奪」ではマリアの描写が不適切として注文主の大聖堂からクレームが付いてしまいます。そのため一度は低い報酬しか受け取れませんでしたが、グレコは果敢にも訴訟を起こし、結果的に高い金額を受け取ることに成功しました。

また日本にも目を向けているのも特徴です。明治時代、内国勧業博覧会に出品された暁斎の水墨が高過ぎるとして評判になったエピソードなどを紹介しています。


リチャード・ダッド「お伽の樵の入神の一撃」1864年 ロンドン、テート・ブリテン

また美術の原点における欲望にも論考がありました。その一つが「空間恐怖」です。人にはやむにまれぬ装飾への要求があり、それが表れることで美術になる。ほかにも古代ギリシャの壺やケルトの装飾写本、それにイギリスのヴィクトリア朝の室内装飾などの例が挙げられています。

さらに面白いのが、何かを埋め尽くそうとする「空間恐怖」に対して反発する在り方もあるというものです。いわゆる日本の『余白の美』も一例ですが、さらに筆者はアメリカのミニマルアートについても言及します。ミニマルの表現は当時、席巻していた、作家の熱い感情などの充満する抽象表現に対しての反発、言い換えれば一つの禁欲の表れだとも指摘しているのです。


黒鳥観音(山形県東根市)の内部

山形の村山地方に伝わるムカサリ絵馬も興味深いのではないでしょうか。若くして亡くなった子が幻の配偶者と結婚式を挙げているシーンを描いて奉納するという絵馬。鎮魂のために表される婚礼です。その何とも言い難い雰囲気。複雑な死生観が示されています。

ラストには何かとタブー視されがちな戦争画から、昨年、高知での展覧会が話題となった絵金へ。扱っている作品も必ずしも『美術作品』と呼ばれるものにとどまりません。

「欲望の美術史/宮下規久朗/光文社新書」

エッセイという軽妙な語り口ながらも、美術の裏側を鋭く考察した一冊。図版も全てカラーです。一気に読むことが出来ました。

「モチーフで読む美術史/宮下規久朗/ちくま文庫」

なお宮下先生、ちくま文庫からも新刊を出されました。そちらも追って読み、またご紹介したいと思います。

「オールカラー版 欲望の美術史」 光文社新書
内容:美術を生み出し、求めるときの様々な欲望に光を当て、美術というものをいろいろな観点から眺めたエッセイ。世界的な名作から、通常は美術とは目されない特殊なものまで様々な作品を扱い、四つの観点から、「美が生まれる瞬間」を探る。
著者:宮下規久朗。1963年愛知県生まれ。美術史家、神戸大学大学院人文学研究科准教授。
価格:920円(+税)
刊行:2013年5月
仕様:79頁
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