都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「うらめしや~、冥途のみやげ」 東京藝術大学大学美術館
東京藝術大学大学美術館
「うらめしや~、冥途のみやげ 全生庵・三遊亭圓朝 幽霊画コレクションを中心に」
7/22-9/13

東京藝術大学大学美術館で開催中の「うらめしや~、冥途のみやげ 全生庵・三遊亭圓朝 幽霊画コレクションを中心に」を見てきました。
立秋を迎えたとはいえ、まだまだ暑い日が続きますが、これほど涼を感じられる展覧会も少ないないかもしれません。
文字通り幽霊画の展覧会です。作品の半数近くは芸大からほど近い谷中の全生庵からやって来ました。明治の噺家、三遊亭圓朝が蒐集したコレクションです。
会場は芸大美術館の地下二階です。階段、エレベーターを降りると、ぐっと照度の落とされた入口が待ち構えています。とても薄暗い。さすがにお化けが出るとは言いませんが、なかなかムードがあります。
冒頭は圓朝の顕彰でした。河鍋暁斎の描いた「圓朝像」にはじまり、圓朝が賛をつけた影絵、演芸会のポスターに愛用のパイプや湯飲み、数珠などの遺品も加わります。
次いで並ぶのは全生庵の幽霊画コレクションです。展示室内にぐるりと一周、掛軸の作品が勢揃い。全50点です。ただし殆どが会期中に入れ替わるため、実際に出ているのは半数ほどです。なおこのセクションは露出展示でした。さらに上には蚊帳も吊られ、足元には雪洞も灯ります。演出にも抜かりありません。

鰭崎英朋「蚊帳の前の幽霊」 明治39年(1906) 絹本着色 全生庵 *通期展示
圓朝コレクションを代表する作品と言っても良いかもしれません。鰭崎英朋の「蚊帳の前の幽霊」です。行灯、そして蚊帳越しに透けて見える幽霊。少し下を向いては何かに憂いています。髪の毛がしっとりと濡れているように見えました。湯上がりかと思ってしまうほどです。おどろおどろしさは皆無です。むしろ可憐ですらあります。
松本楓湖の「花籠と幽霊」はどうでしょうか。反り返るように姿を現した老婆。かごから花をむしり取っては、口で髪を噛み、さらには左手で強く引っ張っています。鬼気迫るものがありました。
何とも風流な幽霊がいました。鈴木誠一の「雪女図」です。雪が舞い、降り積もる中、マンリョウでしょうか。赤々とした実がなっています。そして背後には雪女のシルエットです。定かではありませんが、いわゆる外隈の技法かもしれません。女の外側に影が出来ています。
圓朝は生前から熱心に幽霊画を集めていましたが、近年の調査研究から、コレクションの全てが彼の収集品ではないことが判明したそうです。広重や芳年、今村紫紅などのビックネームから、名もなき筆者不詳の作品までが並びます。なお圓朝コレクションについては全生庵のサイトに詳しい案内があります。参考になりました。
「円朝幽霊画コレクションについて」(全生庵)
さて本展、タイトルに「中心に」とあるように、何も全てが圓朝コレクションで構成されているわけではありません。後半は錦絵、そして全生庵以外の幽霊画です。所蔵先も福岡市博物館や太田記念美術館、そして京都文化博物館や奈良県立美術館などと幅広い。国内各地の幽霊画が集まっています。

歌川国芳「浅倉当吾亡霊」 嘉永4年(1851) 大判錦絵 *前期展示
「うらみ」がキーワードです。錦絵に幽霊が描かれるようになったのは19世紀前半。かの有名な「東海道四谷怪談」などの怪談物が歌舞伎で評判を呼び、役者絵や芝居絵に多く描かれるようになります。うらみを抱いては死んでいった者たち。亡霊と化して生者に襲いかかります。北斎の「お岩さん」に国芳の描く「崇徳院」。配流先でまさに怨霊と化した姿を描いています。芳年の「偐紫田舎源氏」も面白いのではないでしょうか。いわゆるパロディです。夕顔と源氏。そこに物の怪が現れました。画面を埋め尽くす鮮やかな紋様に彩色。もはや過剰としたら言い過ぎかもしれませんが、ともかく大変な迫力、凄みすら感じられます。

河鍋暁斎「幽霊図」 江戸末期~明治3年(1960年代) 絹本彩色 イズラエル・ゴールドマン・コレクション *前期展示
ラストは再び掛軸画、屏風絵といった日本画です。凄惨なのは渓斎英泉の「幽霊図」です。生首を持って立つ女。首からは生々しい血が滴り落ちています。暁斎の「幽霊図」には驚きました。行灯を前にすくっと現れた幽霊。顔面は筋肉が浮き出ているように見えるほどに力強い。何よりも光の陰影が効果的です。明かりの側を白く、影の部分を薄い墨で塗っています。そして影の方の着物には紋様が浮かんでいました。何とも繊細な描写ではありませんか。

伝円山応挙「幽霊図」 江戸時代(18世紀) 絹本着色 福岡市博物館 *前期展示
師弟の幽霊画のそろい踏みです。応挙(伝)と盧雪です。先の応挙作は「幽霊図」。長い髪をだらりと垂らしては浮かぶのは幽霊。当然ながら足はありません。描表装は秋草でしょうか。風雅です。それにしても品の良い姿です。もはや美人画の域。「うらみが美に変わるとき」とは本展のテーマの一つですが、それを体現したような作品でもあります。
一方の盧雪は応挙い倣いながらも、ややエグ味のあるような表現が目を引きます。口をややすぼめては、細い白目で上を睨む。幽霊の心の内面が現れているかのようです。これから誰かに取り憑こうとしているのかもしれません。
異色の幽霊画と言えるのではないでしょうか。伊藤晴雨です。屏風の前で手招きする幽霊。色は朧げで潤み、どこか溶け合うようでもあります。儚い姿。ふと夢二の描く情緒的な美人画を思い出しました。
ほかには曾我蕭白の「柳下鬼女図屏風」も見どころではないでしょうか。ちなみに前期展示の最後を飾るのは松岡映丘の「伊香保の沼」でした。自失しては蛇に姿を変えたという伝説に基づく作品。湖畔に佇む女性の虚ろで寂し気な表情が際立ちます。そして映丘一流の雅やかなまでの色遣い。優美な中にも妖気が漂っています。改めて感じ入りました。

曾我蕭白「美人図」 江戸時代(18世紀) 絹本着色 奈良県立美術館 *後期展示
展示替えの情報です。一部の圓朝に関する資料を除き、前後期でほぼ全ての作品が入れ替わります。二つあわせて一つの展覧会と捉えて差し支えありません。
「うらめしや~、冥途のみやげ」出品リスト(PDF)
前期:7月22日~8月16日
後期:8月18日~9月13日
なおチラシ表紙を飾る上村松園の「焔」は9月1日から会期最終日までの限定公開です。ご注意下さい。

館内は賑わっていました。後半につれてさらに混雑してくるのではないでしょうか。またグッズ販売、その名も冥途ショップも力が入っています。販売の方が着られていたのは何と白装束でした。
8月11日(火)の圓朝忌、及び8月21日(金)はナイトミュージアムとして開館時間を延長。夜7時まで開館するそうです。

9月13日まで開催されています。
「うらめしや~、冥途のみやげ 全生庵・三遊亭圓朝 幽霊画コレクションを中心に」(@urameshiya_info) 東京藝術大学大学美術館
会期:7月22日(水)~9月13日(日)
休館:月曜日。
時間:10:00~17:00
*ただし8月11日(火)と21日(金)は19時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1100(900)円、高校・大学生700(600)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:台東区上野公園12-8
交通:JR線上野駅公園口より徒歩10分。東京メトロ千代田線根津駅より徒歩10分。京成上野駅、東京メトロ日比谷線・銀座線上野駅より徒歩15分。
「うらめしや~、冥途のみやげ 全生庵・三遊亭圓朝 幽霊画コレクションを中心に」
7/22-9/13

東京藝術大学大学美術館で開催中の「うらめしや~、冥途のみやげ 全生庵・三遊亭圓朝 幽霊画コレクションを中心に」を見てきました。
立秋を迎えたとはいえ、まだまだ暑い日が続きますが、これほど涼を感じられる展覧会も少ないないかもしれません。
文字通り幽霊画の展覧会です。作品の半数近くは芸大からほど近い谷中の全生庵からやって来ました。明治の噺家、三遊亭圓朝が蒐集したコレクションです。
会場は芸大美術館の地下二階です。階段、エレベーターを降りると、ぐっと照度の落とされた入口が待ち構えています。とても薄暗い。さすがにお化けが出るとは言いませんが、なかなかムードがあります。
冒頭は圓朝の顕彰でした。河鍋暁斎の描いた「圓朝像」にはじまり、圓朝が賛をつけた影絵、演芸会のポスターに愛用のパイプや湯飲み、数珠などの遺品も加わります。
次いで並ぶのは全生庵の幽霊画コレクションです。展示室内にぐるりと一周、掛軸の作品が勢揃い。全50点です。ただし殆どが会期中に入れ替わるため、実際に出ているのは半数ほどです。なおこのセクションは露出展示でした。さらに上には蚊帳も吊られ、足元には雪洞も灯ります。演出にも抜かりありません。

鰭崎英朋「蚊帳の前の幽霊」 明治39年(1906) 絹本着色 全生庵 *通期展示
圓朝コレクションを代表する作品と言っても良いかもしれません。鰭崎英朋の「蚊帳の前の幽霊」です。行灯、そして蚊帳越しに透けて見える幽霊。少し下を向いては何かに憂いています。髪の毛がしっとりと濡れているように見えました。湯上がりかと思ってしまうほどです。おどろおどろしさは皆無です。むしろ可憐ですらあります。
松本楓湖の「花籠と幽霊」はどうでしょうか。反り返るように姿を現した老婆。かごから花をむしり取っては、口で髪を噛み、さらには左手で強く引っ張っています。鬼気迫るものがありました。
何とも風流な幽霊がいました。鈴木誠一の「雪女図」です。雪が舞い、降り積もる中、マンリョウでしょうか。赤々とした実がなっています。そして背後には雪女のシルエットです。定かではありませんが、いわゆる外隈の技法かもしれません。女の外側に影が出来ています。
圓朝は生前から熱心に幽霊画を集めていましたが、近年の調査研究から、コレクションの全てが彼の収集品ではないことが判明したそうです。広重や芳年、今村紫紅などのビックネームから、名もなき筆者不詳の作品までが並びます。なお圓朝コレクションについては全生庵のサイトに詳しい案内があります。参考になりました。
「円朝幽霊画コレクションについて」(全生庵)
さて本展、タイトルに「中心に」とあるように、何も全てが圓朝コレクションで構成されているわけではありません。後半は錦絵、そして全生庵以外の幽霊画です。所蔵先も福岡市博物館や太田記念美術館、そして京都文化博物館や奈良県立美術館などと幅広い。国内各地の幽霊画が集まっています。

歌川国芳「浅倉当吾亡霊」 嘉永4年(1851) 大判錦絵 *前期展示
「うらみ」がキーワードです。錦絵に幽霊が描かれるようになったのは19世紀前半。かの有名な「東海道四谷怪談」などの怪談物が歌舞伎で評判を呼び、役者絵や芝居絵に多く描かれるようになります。うらみを抱いては死んでいった者たち。亡霊と化して生者に襲いかかります。北斎の「お岩さん」に国芳の描く「崇徳院」。配流先でまさに怨霊と化した姿を描いています。芳年の「偐紫田舎源氏」も面白いのではないでしょうか。いわゆるパロディです。夕顔と源氏。そこに物の怪が現れました。画面を埋め尽くす鮮やかな紋様に彩色。もはや過剰としたら言い過ぎかもしれませんが、ともかく大変な迫力、凄みすら感じられます。

河鍋暁斎「幽霊図」 江戸末期~明治3年(1960年代) 絹本彩色 イズラエル・ゴールドマン・コレクション *前期展示
ラストは再び掛軸画、屏風絵といった日本画です。凄惨なのは渓斎英泉の「幽霊図」です。生首を持って立つ女。首からは生々しい血が滴り落ちています。暁斎の「幽霊図」には驚きました。行灯を前にすくっと現れた幽霊。顔面は筋肉が浮き出ているように見えるほどに力強い。何よりも光の陰影が効果的です。明かりの側を白く、影の部分を薄い墨で塗っています。そして影の方の着物には紋様が浮かんでいました。何とも繊細な描写ではありませんか。

伝円山応挙「幽霊図」 江戸時代(18世紀) 絹本着色 福岡市博物館 *前期展示
師弟の幽霊画のそろい踏みです。応挙(伝)と盧雪です。先の応挙作は「幽霊図」。長い髪をだらりと垂らしては浮かぶのは幽霊。当然ながら足はありません。描表装は秋草でしょうか。風雅です。それにしても品の良い姿です。もはや美人画の域。「うらみが美に変わるとき」とは本展のテーマの一つですが、それを体現したような作品でもあります。
一方の盧雪は応挙い倣いながらも、ややエグ味のあるような表現が目を引きます。口をややすぼめては、細い白目で上を睨む。幽霊の心の内面が現れているかのようです。これから誰かに取り憑こうとしているのかもしれません。
異色の幽霊画と言えるのではないでしょうか。伊藤晴雨です。屏風の前で手招きする幽霊。色は朧げで潤み、どこか溶け合うようでもあります。儚い姿。ふと夢二の描く情緒的な美人画を思い出しました。
ほかには曾我蕭白の「柳下鬼女図屏風」も見どころではないでしょうか。ちなみに前期展示の最後を飾るのは松岡映丘の「伊香保の沼」でした。自失しては蛇に姿を変えたという伝説に基づく作品。湖畔に佇む女性の虚ろで寂し気な表情が際立ちます。そして映丘一流の雅やかなまでの色遣い。優美な中にも妖気が漂っています。改めて感じ入りました。

曾我蕭白「美人図」 江戸時代(18世紀) 絹本着色 奈良県立美術館 *後期展示
展示替えの情報です。一部の圓朝に関する資料を除き、前後期でほぼ全ての作品が入れ替わります。二つあわせて一つの展覧会と捉えて差し支えありません。
「うらめしや~、冥途のみやげ」出品リスト(PDF)
前期:7月22日~8月16日
後期:8月18日~9月13日
なおチラシ表紙を飾る上村松園の「焔」は9月1日から会期最終日までの限定公開です。ご注意下さい。

館内は賑わっていました。後半につれてさらに混雑してくるのではないでしょうか。またグッズ販売、その名も冥途ショップも力が入っています。販売の方が着られていたのは何と白装束でした。
8月11日(火)の圓朝忌、及び8月21日(金)はナイトミュージアムとして開館時間を延長。夜7時まで開館するそうです。

9月13日まで開催されています。
「うらめしや~、冥途のみやげ 全生庵・三遊亭圓朝 幽霊画コレクションを中心に」(@urameshiya_info) 東京藝術大学大学美術館
会期:7月22日(水)~9月13日(日)
休館:月曜日。
時間:10:00~17:00
*ただし8月11日(火)と21日(金)は19時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1100(900)円、高校・大学生700(600)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:台東区上野公園12-8
交通:JR線上野駅公園口より徒歩10分。東京メトロ千代田線根津駅より徒歩10分。京成上野駅、東京メトロ日比谷線・銀座線上野駅より徒歩15分。
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「衣服が語る戦争」 文化学園服飾博物館
文化学園服飾博物館
「衣服が語る戦争」
6/10-8/31

文化学園服飾博物館で開催中の「衣服が語る戦争」を見てきました。
明治から大正、昭和にかけて、多くの戦争を行い、最終的には壊滅的な打撃を受けた日本。次第に生活は厳しくなり、日々の暮らしも困窮を極めます。身を纏うための衣服も例外ではありませんでした。
主に戦前における生活と衣服、それをとりわけ国家や戦争との関わりについて紹介する展覧会です。
はじまりは明治時代です。富国強兵と国威発揚。日本は日清、日露戦争に勝利します。もちろん実際に高揚感もあったことでしょう。例えば男児の着物に戦艦を描くなど、戦争を濃く反映した衣服が現れました。

「戦艦富士の描かれた布団地」 明治時代後期
明治30年代後半の男の子の着物はどうでしょうか。かつて着物には勇ましい武者の絵が好まれたそうですが、ここには馬に股がる軍人の図柄が描かれています。カーキ色です。また大正の女性の羽織のモチーフは戦闘機でした。流水の紋様に日の丸を付けた戦闘機が上下に描かれています。

「国旗を持つ子供が描かれた着物(部分)」 昭和時代前期
どこか伝統的な紋様に戦争の図柄を取り入れているのも興味深いところかもしれません。例えば昭和12年の男の子の着物は一見、白い梅花風。華やかですらありますが、中には戦闘機や戦艦、戦車が描かれています。これは三軍、つまり陸海空の戦力を示しているそうです。
同じ頃に作られた襦袢にも目が留まりました。図柄自体は江戸の小袖からの引用です。風流な短冊が散っています。ただしモチーフは武器です。それに太平洋の地図も描かれていました。日本が真珠湾を攻撃をしたのは昭和16年。戦争目前です。やはり対米開戦を意識しての図柄なのかもしれません。
明治の頃から公務員に軍装を模した制服が現れたそうです。後には海軍のセーラー服が学生服として普及。やがて制服如何に関わらず、一般にも軍装を意識した衣服が浸透するようになります。
陸軍大佐の礼装の写した七五三用の服がありました。時は昭和13年です。軍服を精巧に再現。もちろんミニサイズではありますが、階級章や帽子の飾りまでを丹念にコピーしています。

「ディ・ドレス」 1933-35年 アメリカ
戦争を反映した衣服、何も日本だけではありません。アメリカやフランスはどうでしょうか。いわゆるミリタリー・テイスト。1930年代のアメリカには軍装を意識したドレスが現れます。また世界恐慌の直後であったことから、実用性も重視されたそうです。カーキ色の生地に金のバックルを付けたドレスはまさしく軍装風。もちろんセーラーカラーも普及します。

「ヴォーグ(アメリカ版)」 1940年3月 文化学園大学図書館
戦前のファッション誌に関する展示もありました。一例が1918年のヴォーグ誌です。何とも麗らかな夫人が表紙を飾っていますが、彼女らが見つめる空には日の丸をつけた戦闘機が飛んでいます。日本の雑誌はどうでしょうか。昭和13年の「服装文化」では時局、すなわち戦時下向けのスタイルを提案。歩兵服に着想を得た衣服などを紹介しています。

「装苑」 昭和16年1月 文化学園大学図書館
雑誌は次第に国家による指導と検閲を受けます。さらに1940年代頃にはいわゆる敵性語が排除されるようになりました。「スタイル」誌が「女性生活」に改名を余儀なくされます。また「婦人畫報」は「戦時女性」に変更。新しい衣服を作ることよりも、作業着を修理して使うことを奨励しています。

「着物を解いて作った更生服」 昭和10年代
このように戦争の長期化に伴い、物資不足は次第に深刻化。衣生活にも多大な影響を与えていきます。昭和13年には綿、羊毛の販売を制限。配給も始まりました。使わなくなった古い着物を解いては洋装に仕上げる更生服も重用されます。雑誌「スタイル」は昭和15年、「古着一枚で洋服二着」なる特集を組んでいます。

「和服地を使ったドレス」 昭和10年代
いわゆる代用品が多く使われました。例えば学章服のボタンです。当初は真鍮製でしたが、軍需用品に廻すために回収運動が勃発。一部では強制的に取り上げられ、代わりに木や陶製のボタンが利用されます。さらに驚くのが革のベルトです。代わりは何と厚紙です。しかも黒いインクを塗り、さも本物の革ベルトのように見せています。
ウサギの飼育も奨励されました。当時の農林省のポスターのスローガンは「皇軍へ示す感謝の軍用ウサギ」。皮革品にも困窮した戦時下、ウサギの皮や毛を軍服の材料にしていたそうです。

「国民服」 昭和15-20年
戦局が悪化するにつれ、衣政策は統制の一辺倒になります。昭和15年には国民服が法制化。後には婦人標準服も決定されます。もちろん目的は戦時体勢の強化、それに伴う衣生活の簡素化です。「軍服と平民被服との近接が急務。」とは陸軍被服廠の外郭団体、被服協會の言葉です。軍服をモデルにした国民服。実際にも星章や襟賞などを除けば、陸軍航空兵の将校の服によく似ているそうです。
当初、国民服はあまり浸透しなかったそうですが、空襲が本格化するにつれ、防空用として身につけるようになりました。一方、婦人標準服は最後まで普及しなかったそうです。かわりに女性が身につけたのはもんぺです。いわゆる作業着、労働のための衣服です。これが半ば義務化されます。戦中においても普及運動が盛んに行われました。
ちなみに婦人標準服に際しては文化服飾学校の教員が休日返上で制作の講習会を行ったそうです。またかの伊東深水が同服に取材した作品を残しています。パネルで紹介されていました。
さて基本は戦前の衣服に着目した展示ですが、戦後間もなく、昭和20年代初頭についても言及があります。

「衣料切符」 昭和19年
昭和25年頃まで衣服の配給切符制度が続いています。当然ながら戦後も物資に乏しい。例えば上着は軍服を解いて仕立たりしています。また戦中に使用した落下傘を祝い着へ転用した服もありました。これも言わば更生服です。戦前は和服を解き、戦後は軍服を解きました。
一時、休刊していたファッション誌は続々復刊。「婦人画報」の復刊は昭和20年です。次いで昭和23年には今も続く「美しい暮らしの手帖」(現、暮らしの手帖)が創刊されました。ただし占領下においてGHQの検閲は続けられます。
戦時下において、人々はどのような衣服を着て、また着させられ、また何が着られなかったのか。戦後70年の節目の年。各美術館では戦争をテーマとした様々な展覧会が行われています。もちろん私も全て見ているわけではありませんが、その中でも「衣服が語る戦争」は異色の内容だと言えるのではないでしょうか。見応え十分でした。
カタログがないのが残念でした。是非とも博物館としての記録を残していただきたかったです。

日曜日が休館日です。また8月9日(日)から16日(日)までは夏休みのため休館となります。ご注意下さい。
8月31日まで開催されています。おすすめします。
「衣服が語る戦争」 文化学園服飾博物館
会期:6月10日(水)~8月31日(月)
休館:日曜日、祝日(但し6月14日、8月2日、23日は開館)。夏期休館(8月9日~16日)。
時間:10:00~16:30
*ただし6月19日、7月3日は19時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:大人500(400)円、大学・高校生300(200)円、中学・小学生200(100)円。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:渋谷区代々木3-22-7 新宿文化クイントビル1階
交通:JR線・京王線・小田急線新宿駅南口より徒歩7分。都営新宿線、大江戸線、京王新線新宿駅(新都心口)より地下通路を進み徒歩4分。0-1出口近く。
「衣服が語る戦争」
6/10-8/31

文化学園服飾博物館で開催中の「衣服が語る戦争」を見てきました。
明治から大正、昭和にかけて、多くの戦争を行い、最終的には壊滅的な打撃を受けた日本。次第に生活は厳しくなり、日々の暮らしも困窮を極めます。身を纏うための衣服も例外ではありませんでした。
主に戦前における生活と衣服、それをとりわけ国家や戦争との関わりについて紹介する展覧会です。
はじまりは明治時代です。富国強兵と国威発揚。日本は日清、日露戦争に勝利します。もちろん実際に高揚感もあったことでしょう。例えば男児の着物に戦艦を描くなど、戦争を濃く反映した衣服が現れました。

「戦艦富士の描かれた布団地」 明治時代後期
明治30年代後半の男の子の着物はどうでしょうか。かつて着物には勇ましい武者の絵が好まれたそうですが、ここには馬に股がる軍人の図柄が描かれています。カーキ色です。また大正の女性の羽織のモチーフは戦闘機でした。流水の紋様に日の丸を付けた戦闘機が上下に描かれています。

「国旗を持つ子供が描かれた着物(部分)」 昭和時代前期
どこか伝統的な紋様に戦争の図柄を取り入れているのも興味深いところかもしれません。例えば昭和12年の男の子の着物は一見、白い梅花風。華やかですらありますが、中には戦闘機や戦艦、戦車が描かれています。これは三軍、つまり陸海空の戦力を示しているそうです。
同じ頃に作られた襦袢にも目が留まりました。図柄自体は江戸の小袖からの引用です。風流な短冊が散っています。ただしモチーフは武器です。それに太平洋の地図も描かれていました。日本が真珠湾を攻撃をしたのは昭和16年。戦争目前です。やはり対米開戦を意識しての図柄なのかもしれません。
明治の頃から公務員に軍装を模した制服が現れたそうです。後には海軍のセーラー服が学生服として普及。やがて制服如何に関わらず、一般にも軍装を意識した衣服が浸透するようになります。
陸軍大佐の礼装の写した七五三用の服がありました。時は昭和13年です。軍服を精巧に再現。もちろんミニサイズではありますが、階級章や帽子の飾りまでを丹念にコピーしています。

「ディ・ドレス」 1933-35年 アメリカ
戦争を反映した衣服、何も日本だけではありません。アメリカやフランスはどうでしょうか。いわゆるミリタリー・テイスト。1930年代のアメリカには軍装を意識したドレスが現れます。また世界恐慌の直後であったことから、実用性も重視されたそうです。カーキ色の生地に金のバックルを付けたドレスはまさしく軍装風。もちろんセーラーカラーも普及します。

「ヴォーグ(アメリカ版)」 1940年3月 文化学園大学図書館
戦前のファッション誌に関する展示もありました。一例が1918年のヴォーグ誌です。何とも麗らかな夫人が表紙を飾っていますが、彼女らが見つめる空には日の丸をつけた戦闘機が飛んでいます。日本の雑誌はどうでしょうか。昭和13年の「服装文化」では時局、すなわち戦時下向けのスタイルを提案。歩兵服に着想を得た衣服などを紹介しています。

「装苑」 昭和16年1月 文化学園大学図書館
雑誌は次第に国家による指導と検閲を受けます。さらに1940年代頃にはいわゆる敵性語が排除されるようになりました。「スタイル」誌が「女性生活」に改名を余儀なくされます。また「婦人畫報」は「戦時女性」に変更。新しい衣服を作ることよりも、作業着を修理して使うことを奨励しています。

「着物を解いて作った更生服」 昭和10年代
このように戦争の長期化に伴い、物資不足は次第に深刻化。衣生活にも多大な影響を与えていきます。昭和13年には綿、羊毛の販売を制限。配給も始まりました。使わなくなった古い着物を解いては洋装に仕上げる更生服も重用されます。雑誌「スタイル」は昭和15年、「古着一枚で洋服二着」なる特集を組んでいます。

「和服地を使ったドレス」 昭和10年代
いわゆる代用品が多く使われました。例えば学章服のボタンです。当初は真鍮製でしたが、軍需用品に廻すために回収運動が勃発。一部では強制的に取り上げられ、代わりに木や陶製のボタンが利用されます。さらに驚くのが革のベルトです。代わりは何と厚紙です。しかも黒いインクを塗り、さも本物の革ベルトのように見せています。
ウサギの飼育も奨励されました。当時の農林省のポスターのスローガンは「皇軍へ示す感謝の軍用ウサギ」。皮革品にも困窮した戦時下、ウサギの皮や毛を軍服の材料にしていたそうです。

「国民服」 昭和15-20年
戦局が悪化するにつれ、衣政策は統制の一辺倒になります。昭和15年には国民服が法制化。後には婦人標準服も決定されます。もちろん目的は戦時体勢の強化、それに伴う衣生活の簡素化です。「軍服と平民被服との近接が急務。」とは陸軍被服廠の外郭団体、被服協會の言葉です。軍服をモデルにした国民服。実際にも星章や襟賞などを除けば、陸軍航空兵の将校の服によく似ているそうです。
当初、国民服はあまり浸透しなかったそうですが、空襲が本格化するにつれ、防空用として身につけるようになりました。一方、婦人標準服は最後まで普及しなかったそうです。かわりに女性が身につけたのはもんぺです。いわゆる作業着、労働のための衣服です。これが半ば義務化されます。戦中においても普及運動が盛んに行われました。
ちなみに婦人標準服に際しては文化服飾学校の教員が休日返上で制作の講習会を行ったそうです。またかの伊東深水が同服に取材した作品を残しています。パネルで紹介されていました。
さて基本は戦前の衣服に着目した展示ですが、戦後間もなく、昭和20年代初頭についても言及があります。

「衣料切符」 昭和19年
昭和25年頃まで衣服の配給切符制度が続いています。当然ながら戦後も物資に乏しい。例えば上着は軍服を解いて仕立たりしています。また戦中に使用した落下傘を祝い着へ転用した服もありました。これも言わば更生服です。戦前は和服を解き、戦後は軍服を解きました。
一時、休刊していたファッション誌は続々復刊。「婦人画報」の復刊は昭和20年です。次いで昭和23年には今も続く「美しい暮らしの手帖」(現、暮らしの手帖)が創刊されました。ただし占領下においてGHQの検閲は続けられます。
戦時下において、人々はどのような衣服を着て、また着させられ、また何が着られなかったのか。戦後70年の節目の年。各美術館では戦争をテーマとした様々な展覧会が行われています。もちろん私も全て見ているわけではありませんが、その中でも「衣服が語る戦争」は異色の内容だと言えるのではないでしょうか。見応え十分でした。
カタログがないのが残念でした。是非とも博物館としての記録を残していただきたかったです。

日曜日が休館日です。また8月9日(日)から16日(日)までは夏休みのため休館となります。ご注意下さい。
8月31日まで開催されています。おすすめします。
「衣服が語る戦争」 文化学園服飾博物館
会期:6月10日(水)~8月31日(月)
休館:日曜日、祝日(但し6月14日、8月2日、23日は開館)。夏期休館(8月9日~16日)。
時間:10:00~16:30
*ただし6月19日、7月3日は19時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:大人500(400)円、大学・高校生300(200)円、中学・小学生200(100)円。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:渋谷区代々木3-22-7 新宿文化クイントビル1階
交通:JR線・京王線・小田急線新宿駅南口より徒歩7分。都営新宿線、大江戸線、京王新線新宿駅(新都心口)より地下通路を進み徒歩4分。0-1出口近く。
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「アートアワードトーキョー丸の内2015」 丸ビル1階マルキューブ
丸ビル1階マルキューブ
「アートアワードトーキョー丸の内2015」
7/31-8/9

丸ビルマルキューブで開催中の「アートアワードトーキョー丸の内2015」を見てきました。
大学の卒業制作などから選抜された若いアーティストを審査形式で紹介するアートアワードトーキョー。今年で早くも9回目です。丸の内を舞台とする現代アート展として認知されてきたような気もします。
これまでの会場は東京駅丸の内口地下先、行幸地下ギャラリーでした。要注意です。今年から場所を移しています。
新たな舞台は丸ビル1階のマルキューブ。幅と奥行きは30メートルもあります。同ビル1階のシンボルとも言える巨大な吹き抜けのイベントスペースです。
参加作家は全20名。1作家1ブースです。ジャンルは様々。絵画、立体、インスタレーションと問いません。
展示初日には審査員によってグランプリ以下、全10賞が選定されました。
「アワード」@アートアワードトーキョー丸の内2015

西太志 Taishi Nishi 京都市立芸術大学大学院
「黒い絵 No.11」 2014年 パネルにキャンバス、水性アルキド樹脂、木炭、顔料
「土の王」 2014年 陶土
その栄えあるグランプリを受賞したのが西太志です。「嵐の中へ」と「黒い絵」と題された平面の前には、一体の彫像、「土の王」が構えます。何とも錯綜した黒い筆致、線は複雑に絡み合い、ただならぬ気配を醸し出していますが、彫像の質感もまた独特です。素材は陶。銀色の兜とも山とも付かないような台に乗り、手にはナイフ、あるいは銃でしょうか。武器のようなものを持っては立っています。目が窪んでいます。表情は伺えません。

西太志 Taishi Nishi 京都市立芸術大学大学院
「嵐の中へ」(部分) 2014年 キャンバスに水性アルキド樹脂、木炭、顔料
「嵐の中へ」には何やら傘を広げては闇とも嵐とも言い難い地平に立ち向かう人の姿も描かれていました。この少年ともとれるような人物は何者なのか。確かに不思議な魅力をたたえています。

田中彰 Sho Tanaka 武蔵野美術大学大学院
「古代よりの光、水、樹」 2015年 ロクタ紙、油性木版
三菱地所賞、今村有策賞を受賞したのが田中彰です。「古代よりの光、水、樹」という3点の油性木版。ともかく細密極まりないテクスチャーに驚かされます。

田中彰 Sho Tanaka 武蔵野美術大学大学院
「古代よりの光、水、樹」(部分) 2015年ほか
タイトルにTokyo、Fukushimaなどと記されているので、それらの地域が舞台なのかもしれません。大樹を囲む人々や頭に輪を付けた女性の姿。両脇にいるのは天使でしょうか。まるで荘厳な祭壇画を見るようでもあります。

田島大介 Daisuke Tajima 愛知県立芸術大学
「五金超大国」 2015年 丸ペン、黒インク、ケント紙に木製パネル
田島大介が神谷幸江賞を受賞しました。「ネオシティ」に「五金超大国」。白い台に載せられたのパネル。都市です。超高層ビルがひしめく大都市が描かれています。

田島大介 Daisuke Tajima 愛知県立芸術大学
「五金超大国」(部分) 2015年
それにしても構図が凄まじい。上空から捉えているというよりも、上から大きく都市を抉りとって見せるような視点です。ビルがこちら側へ迫り、はたまた突き出しています。その意味では不安定、動的でもあります。空から飛び降りている最中に見える景色に近いかもしれません。
筍のように生えるビルは皆、ほぼ同じ形をしていました。そして屋上には様々な設備が置かれています。看板にはハングルや漢字が目立ちました。この奇異で混沌とした風景、とても現実の街を舞台としているようには見えませんが、ひょっとすると東アジア、中国などの都市をイメージしているのかもしれません。

鈴木のぞみ Nozomi Suzuki 東京藝術大学大学院
「光の痕跡」 2014年 解体された家の窓、写真乳剤、青焼き、デジタルフォトフレーム
私が惹かれたのが鈴木のぞみです。フランス大使館賞を受賞。タイトルは「光の痕跡」です。写真でしょうか。おそらくは木の幹、それに水辺のような景色が写されています。ただし必ずしも明瞭ではありません。全ては朧げです。実景なのか、あるいは幻想なのか。ただどこか物悲しいまでに寡黙な自然の景色のみが広がっています。
初めは気がつきませんでしたが、ふと枠を見やるとアルミ製のサッシだということが分かりました。キャプションによれば解体された家の窓だそうです。窓越しにふと垣間見えた記憶の中に留まる景色。どこか懐かしさを覚えてなりませんでした。

富田直樹 Naoki Tomita 東京藝術大学大学院
「Twilight snowfall(Bosetsu)」 2015年 キャンバスに油彩
今年春、オペラシティアートギャラリーのprojectNでも印象深かった富田直樹にも目が留まりました。一点の風景、おそらくは冬の街角です。雪にまみれた車が行き交い、街路樹越しには家々が建ち並びます。何気ない都市風景を切り取っているようにも見えますが、やはり何よりも魅惑的なのが筆触です。
太く、また時に短いストロークが交差する様は、そこだけ切り取ればまるで抽象画のようでもあります。即興的でもありながら、生み出される景色は力強い。絵具は風景をキャンバスに固着させています。
山水画のモチーフを取り込んでいるという奥村彰一も面白いのではないでしょうか。

奥村彰一 Shoichi Okumura 多摩美術大学
「おねえ山水 六月の飲茶」 2014年 楮紙、皮紙に墨、岩絵具、箔
細い指で箸やスプーンを持っては何か涼しげに見やる二人の少女。下着でしょうか。白いノースリーブを着ていますが、よく見ると身体の一部分が山とも化して、その上には中国風の楼閣が建ち、人が集い、松が生えています。ようは人体が山水画の一角を成しているのです。
ガラスケース内の展示であった行幸ギャラリーに比べ、マルキューブはオープンスペース。全て露出の展示です。また各ブースに奥行きがとれるゆえでしょうか。インスタレーションの表現にも幅が広がっていました。

「アートアワードトーキョー丸の内2015」会場風景
一方でガラス張りということもあるのか、時に作品へ容赦なく西日の差し込む厳しい環境でもあります。ただともかく通路然とした行幸ギャラリーに比べて、マルキューブはブロックです。一つの展覧会としてはまとまりが増したような気もしました。
近年、観客参加型のオーディエンス賞の設定があったように思いましたが、今年はありませんでした。投票は出来ません。
会場の都合もあるのか昨年より会期がかなり短くなっています。約10日間限定です。ご注意下さい。(昨年の会期は約1ヶ月でした。)

「アートアワードトーキョー丸の内2015」会場風景
入場は無料です。8月9日まで開催されています。
「アートアワードトーキョー丸の内2015」 丸ビル1階マルキューブ
会期:7月31日(金)~8月9日(日)
休廊:会期中無休
時間:11:00~21:00
料金:無料
住所:千代田区丸の内2-4-1 丸ビル1階
交通:JR線東京駅丸の内地下中央口、東京メトロ丸ノ内線東京駅より地下直結。東京メトロ千代田線二重橋前駅7番出口より地下直結
「アートアワードトーキョー丸の内2015」
7/31-8/9

丸ビルマルキューブで開催中の「アートアワードトーキョー丸の内2015」を見てきました。
大学の卒業制作などから選抜された若いアーティストを審査形式で紹介するアートアワードトーキョー。今年で早くも9回目です。丸の内を舞台とする現代アート展として認知されてきたような気もします。
これまでの会場は東京駅丸の内口地下先、行幸地下ギャラリーでした。要注意です。今年から場所を移しています。
新たな舞台は丸ビル1階のマルキューブ。幅と奥行きは30メートルもあります。同ビル1階のシンボルとも言える巨大な吹き抜けのイベントスペースです。
参加作家は全20名。1作家1ブースです。ジャンルは様々。絵画、立体、インスタレーションと問いません。
展示初日には審査員によってグランプリ以下、全10賞が選定されました。
「アワード」@アートアワードトーキョー丸の内2015

西太志 Taishi Nishi 京都市立芸術大学大学院
「黒い絵 No.11」 2014年 パネルにキャンバス、水性アルキド樹脂、木炭、顔料
「土の王」 2014年 陶土
その栄えあるグランプリを受賞したのが西太志です。「嵐の中へ」と「黒い絵」と題された平面の前には、一体の彫像、「土の王」が構えます。何とも錯綜した黒い筆致、線は複雑に絡み合い、ただならぬ気配を醸し出していますが、彫像の質感もまた独特です。素材は陶。銀色の兜とも山とも付かないような台に乗り、手にはナイフ、あるいは銃でしょうか。武器のようなものを持っては立っています。目が窪んでいます。表情は伺えません。

西太志 Taishi Nishi 京都市立芸術大学大学院
「嵐の中へ」(部分) 2014年 キャンバスに水性アルキド樹脂、木炭、顔料
「嵐の中へ」には何やら傘を広げては闇とも嵐とも言い難い地平に立ち向かう人の姿も描かれていました。この少年ともとれるような人物は何者なのか。確かに不思議な魅力をたたえています。

田中彰 Sho Tanaka 武蔵野美術大学大学院
「古代よりの光、水、樹」 2015年 ロクタ紙、油性木版
三菱地所賞、今村有策賞を受賞したのが田中彰です。「古代よりの光、水、樹」という3点の油性木版。ともかく細密極まりないテクスチャーに驚かされます。

田中彰 Sho Tanaka 武蔵野美術大学大学院
「古代よりの光、水、樹」(部分) 2015年ほか
タイトルにTokyo、Fukushimaなどと記されているので、それらの地域が舞台なのかもしれません。大樹を囲む人々や頭に輪を付けた女性の姿。両脇にいるのは天使でしょうか。まるで荘厳な祭壇画を見るようでもあります。

田島大介 Daisuke Tajima 愛知県立芸術大学
「五金超大国」 2015年 丸ペン、黒インク、ケント紙に木製パネル
田島大介が神谷幸江賞を受賞しました。「ネオシティ」に「五金超大国」。白い台に載せられたのパネル。都市です。超高層ビルがひしめく大都市が描かれています。

田島大介 Daisuke Tajima 愛知県立芸術大学
「五金超大国」(部分) 2015年
それにしても構図が凄まじい。上空から捉えているというよりも、上から大きく都市を抉りとって見せるような視点です。ビルがこちら側へ迫り、はたまた突き出しています。その意味では不安定、動的でもあります。空から飛び降りている最中に見える景色に近いかもしれません。
筍のように生えるビルは皆、ほぼ同じ形をしていました。そして屋上には様々な設備が置かれています。看板にはハングルや漢字が目立ちました。この奇異で混沌とした風景、とても現実の街を舞台としているようには見えませんが、ひょっとすると東アジア、中国などの都市をイメージしているのかもしれません。

鈴木のぞみ Nozomi Suzuki 東京藝術大学大学院
「光の痕跡」 2014年 解体された家の窓、写真乳剤、青焼き、デジタルフォトフレーム
私が惹かれたのが鈴木のぞみです。フランス大使館賞を受賞。タイトルは「光の痕跡」です。写真でしょうか。おそらくは木の幹、それに水辺のような景色が写されています。ただし必ずしも明瞭ではありません。全ては朧げです。実景なのか、あるいは幻想なのか。ただどこか物悲しいまでに寡黙な自然の景色のみが広がっています。
初めは気がつきませんでしたが、ふと枠を見やるとアルミ製のサッシだということが分かりました。キャプションによれば解体された家の窓だそうです。窓越しにふと垣間見えた記憶の中に留まる景色。どこか懐かしさを覚えてなりませんでした。

富田直樹 Naoki Tomita 東京藝術大学大学院
「Twilight snowfall(Bosetsu)」 2015年 キャンバスに油彩
今年春、オペラシティアートギャラリーのprojectNでも印象深かった富田直樹にも目が留まりました。一点の風景、おそらくは冬の街角です。雪にまみれた車が行き交い、街路樹越しには家々が建ち並びます。何気ない都市風景を切り取っているようにも見えますが、やはり何よりも魅惑的なのが筆触です。
太く、また時に短いストロークが交差する様は、そこだけ切り取ればまるで抽象画のようでもあります。即興的でもありながら、生み出される景色は力強い。絵具は風景をキャンバスに固着させています。
山水画のモチーフを取り込んでいるという奥村彰一も面白いのではないでしょうか。

奥村彰一 Shoichi Okumura 多摩美術大学
「おねえ山水 六月の飲茶」 2014年 楮紙、皮紙に墨、岩絵具、箔
細い指で箸やスプーンを持っては何か涼しげに見やる二人の少女。下着でしょうか。白いノースリーブを着ていますが、よく見ると身体の一部分が山とも化して、その上には中国風の楼閣が建ち、人が集い、松が生えています。ようは人体が山水画の一角を成しているのです。
ガラスケース内の展示であった行幸ギャラリーに比べ、マルキューブはオープンスペース。全て露出の展示です。また各ブースに奥行きがとれるゆえでしょうか。インスタレーションの表現にも幅が広がっていました。

「アートアワードトーキョー丸の内2015」会場風景
一方でガラス張りということもあるのか、時に作品へ容赦なく西日の差し込む厳しい環境でもあります。ただともかく通路然とした行幸ギャラリーに比べて、マルキューブはブロックです。一つの展覧会としてはまとまりが増したような気もしました。
近年、観客参加型のオーディエンス賞の設定があったように思いましたが、今年はありませんでした。投票は出来ません。
会場の都合もあるのか昨年より会期がかなり短くなっています。約10日間限定です。ご注意下さい。(昨年の会期は約1ヶ月でした。)

「アートアワードトーキョー丸の内2015」会場風景
入場は無料です。8月9日まで開催されています。
「アートアワードトーキョー丸の内2015」 丸ビル1階マルキューブ
会期:7月31日(金)~8月9日(日)
休廊:会期中無休
時間:11:00~21:00
料金:無料
住所:千代田区丸の内2-4-1 丸ビル1階
交通:JR線東京駅丸の内地下中央口、東京メトロ丸ノ内線東京駅より地下直結。東京メトロ千代田線二重橋前駅7番出口より地下直結
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「絵画を抱きしめてー阿部未奈子・佐藤翠・流麻二果展」 資生堂ギャラリー
資生堂ギャラリー
「絵画を抱きしめてーEmbracing for Painting 阿部未奈子・佐藤翠・流麻二果 Part1:『絵画との出会い』」
7/31-8/23

資生堂ギャラリーで開催中の「絵画を抱きしめてー阿部未奈子・佐藤翠・流麻二果展」のPart.1、「絵画との出会い」を見てきました。
いずれも平面を基盤に制作を続けている3人の作家、阿部未奈子、佐藤翠、流麻二果。タイトルの「抱きしめて」には3名のスタンス、言わば「絵画を使いこなす作家たちの姿を重ね合わせている」(公式サイトより)そうです。
3人の作家によるグループ展です。出展は各2~3点ずつ。いずれも比較的サイズの大きな作品です。(一部、小品あり。)全て2015年に制作されたものでした。
さて場内、まず目立つのは佐藤翠ではないでしょうか。一目で分かるのはクローゼットが描かれていることです。上の棚には靴と鞄が整然と並び、下のハンガーには、もう入りきれないほどにたくさんの洋服が吊り下がっています。
クローゼットは真正面から捉えられています。いずれも全体を濃い緑色が覆っていました。筆致は大胆です。掠れ、あるいは流れるようなストロークは素早い。ピンクや紫の鞄などは時に塗り残しの白の地を利用して象られています。
バラでしょうか。下方にはさも花園を成すかの如く無数に咲く花が描かれていました。気が付けば洋服にも花柄が目立ちますが、おおよそクローゼット内部には花はないはずです。とするとこれは作家の何らかの心象風景なのかもしれません。
「人や自然を抽象化」(公式サイトより)して描いているのが流麻二果です。ともかく目に飛び込んでくるのが、強く、また鮮やかな色使いの絵画平面。「辻を逸れる」では4面のパネルを繋ぎながら様々な色の塗り合わせています。
絵具の色面、それはもはや色の塊とさえ言えるのではないでしょうか。濃い紫や青にオレンジはせめぎ合い、さも互いにぶつかるようにして広がっています。斑点状に爛れているものもありました。ただし背後の水色やピンクは薄塗りです。意外なほど透明感があります。例えれば薄いカーテンと言えるかもしれません。淡い色のカーテン越しに窓の外の光を見るかのようでした。
阿部未奈子は匿名の風景をモチーフにしているそうです。森、あるいは木立でしょうか。グレー、時に水色の空の下には、確かに樹木、そして草地が広がっています。
ただしいずれも歪んでいるのがポイントです。木の枝は大きく屈曲しながら、まるで何かの触手のように伸びています。また草もジグザグに左右へ走っています。木も草も地図の等高線のように広がります。シュールな光景を生み出していました。
実のところこれらは一度撮影した風景をPC上で操作、意図的に歪ませたイメージなのだそうです。
マスキングの技法も見逃せません。図版や遠目ではなかなか判別出来ませんが、確かに近寄って見ると絵具が剥がれていることが分かります。その独特な凹凸感も景色に不思議な感触を与えているのかもしれません。
本展は二部制です。現在は8月23日までのPart.1「絵画との出会い」。8月28日以降は品を全て入れ替えてのPart.2「絵画に包まれて」が開催されます。ただし作家は替わりません。
[阿部未奈子・佐藤翠・流麻二果展]
Part1:「絵画との出会い」 7月31日(金)~8月23日(日)
Part2:「絵画に包まれて」 8月28日(金)~9月20日(日)
後期のPart.2もあわせて出かけたいと思います。
8月23日まで開催されています。
「絵画を抱きしめてーEmbracing for Painting 阿部未奈子・佐藤翠・流麻二果 Part1:『絵画との出会い』」 資生堂ギャラリー
会期:7月31日(金)~8月23日(日)
休廊:毎週月曜日
時間:11:00~19:00(平日)、11:00~18:00(日・祝)
住所:中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階
交通:東京メトロ銀座線・日比谷線・丸ノ内線銀座駅A2出口から徒歩4分。東京メトロ銀座線新橋駅3番出口から徒歩4分。
「絵画を抱きしめてーEmbracing for Painting 阿部未奈子・佐藤翠・流麻二果 Part1:『絵画との出会い』」
7/31-8/23

資生堂ギャラリーで開催中の「絵画を抱きしめてー阿部未奈子・佐藤翠・流麻二果展」のPart.1、「絵画との出会い」を見てきました。
いずれも平面を基盤に制作を続けている3人の作家、阿部未奈子、佐藤翠、流麻二果。タイトルの「抱きしめて」には3名のスタンス、言わば「絵画を使いこなす作家たちの姿を重ね合わせている」(公式サイトより)そうです。
3人の作家によるグループ展です。出展は各2~3点ずつ。いずれも比較的サイズの大きな作品です。(一部、小品あり。)全て2015年に制作されたものでした。
さて場内、まず目立つのは佐藤翠ではないでしょうか。一目で分かるのはクローゼットが描かれていることです。上の棚には靴と鞄が整然と並び、下のハンガーには、もう入りきれないほどにたくさんの洋服が吊り下がっています。
クローゼットは真正面から捉えられています。いずれも全体を濃い緑色が覆っていました。筆致は大胆です。掠れ、あるいは流れるようなストロークは素早い。ピンクや紫の鞄などは時に塗り残しの白の地を利用して象られています。
バラでしょうか。下方にはさも花園を成すかの如く無数に咲く花が描かれていました。気が付けば洋服にも花柄が目立ちますが、おおよそクローゼット内部には花はないはずです。とするとこれは作家の何らかの心象風景なのかもしれません。
「人や自然を抽象化」(公式サイトより)して描いているのが流麻二果です。ともかく目に飛び込んでくるのが、強く、また鮮やかな色使いの絵画平面。「辻を逸れる」では4面のパネルを繋ぎながら様々な色の塗り合わせています。
絵具の色面、それはもはや色の塊とさえ言えるのではないでしょうか。濃い紫や青にオレンジはせめぎ合い、さも互いにぶつかるようにして広がっています。斑点状に爛れているものもありました。ただし背後の水色やピンクは薄塗りです。意外なほど透明感があります。例えれば薄いカーテンと言えるかもしれません。淡い色のカーテン越しに窓の外の光を見るかのようでした。
阿部未奈子は匿名の風景をモチーフにしているそうです。森、あるいは木立でしょうか。グレー、時に水色の空の下には、確かに樹木、そして草地が広がっています。
ただしいずれも歪んでいるのがポイントです。木の枝は大きく屈曲しながら、まるで何かの触手のように伸びています。また草もジグザグに左右へ走っています。木も草も地図の等高線のように広がります。シュールな光景を生み出していました。
実のところこれらは一度撮影した風景をPC上で操作、意図的に歪ませたイメージなのだそうです。
マスキングの技法も見逃せません。図版や遠目ではなかなか判別出来ませんが、確かに近寄って見ると絵具が剥がれていることが分かります。その独特な凹凸感も景色に不思議な感触を与えているのかもしれません。
本展は二部制です。現在は8月23日までのPart.1「絵画との出会い」。8月28日以降は品を全て入れ替えてのPart.2「絵画に包まれて」が開催されます。ただし作家は替わりません。
[阿部未奈子・佐藤翠・流麻二果展]
Part1:「絵画との出会い」 7月31日(金)~8月23日(日)
Part2:「絵画に包まれて」 8月28日(金)~9月20日(日)
後期のPart.2もあわせて出かけたいと思います。
8月23日まで開催されています。
「絵画を抱きしめてーEmbracing for Painting 阿部未奈子・佐藤翠・流麻二果 Part1:『絵画との出会い』」 資生堂ギャラリー
会期:7月31日(金)~8月23日(日)
休廊:毎週月曜日
時間:11:00~19:00(平日)、11:00~18:00(日・祝)
住所:中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階
交通:東京メトロ銀座線・日比谷線・丸ノ内線銀座駅A2出口から徒歩4分。東京メトロ銀座線新橋駅3番出口から徒歩4分。
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「浮世絵師 歌川国芳」 そごう美術館
そごう美術館
「浮世絵師 歌川国芳」
8/1-8/30

そごう美術館で開催中の「浮世絵師 歌川国芳」を見てきました。
幕末期の浮世絵師、歌川国芳(1797-1861)。関東近郊では久々となる国芳の大規模な回顧展ではないでしょうか。
というのもまず端的に作品が多いのです。その数200点。ほぼ全てが国芳画です。会期中、一度の展示替えを挟みますが、入れ替わるのは約30点ほど。よって前後期を問わず、何時出かけても170点もの作品を見ることが出来ます。
冒頭は武者絵でした。作品は「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 九紋龍史進 跳澗虎陳達」。九紋龍史進は棒術を得意とした豪傑。山賊の陳達を生け捕りにしようとしています。全身を覆うのは龍の彫り物です。見るからに勇ましい姿ですが、何でも人気の水滸伝をいち早く錦絵に表したのが国芳なのだそうです。
「本朝水滸伝剛勇八百人一個 天眼礒兵衛 夜叉嵐」はどうでしょうか。本朝水滸伝とは先の通俗水滸伝の人気を受けて出版された摺物。中国の豪傑を日本の英雄に置き換えています。尻を突き出し、刺青を露にしながら、両手を振り上げて立つのが磯兵衛です。対する夜叉嵐は真っ逆さまにひっくり返っています。

歌川国芳「江戸名所見立十二ヶ月の内 六月 山王御祭礼 団七九郎兵衛(四代目中村歌右衛門)」 嘉永5(1852)年
武者絵では大短冊、縦にも長い三枚続の「建久四年源頼朝冨士牧狩之図」にも惹かれました。頼朝が多くの御家人を集めて行ったという富士での巻狩り。それを国芳はダイナミックに描いています。馬上で堂々と股がるのが頼朝です。そこへ突如、巨大な猪が襲いかかりました。食い止めるのは任田四郎。頼朝の信任も厚い武将だったそうです。本作に続く「頼朝公御狩之図」では任田が猪を仕留める様子も描かれています。
忠臣蔵も目立ちました。例えば「誠忠義士肖像 大星由良之助良雄」です。言うまでもなく義士の肖像画ですが、どこか物静かに取り澄ましたような表情が印象深い。モデルを有り体に捉えようと試みています。一方、「誠忠義士伝」のシリーズではデフォルメも加わります。国芳は一人一人の奮闘の様子をテキストに記録しました。さらに三枚続の「義士夜討ノ図」と「忠臣蔵十一段目両国橋勢揃図」が控えます。両国橋のたもとに並ぶのは四十七士です。ぬかるんだ雪道を進みます。どこか皆、興奮した面持ちをしているようにも映りました。
妖怪退治、怨霊に幽霊。国芳画の一つの真骨頂と言えるのではないでしょうか。

歌川国芳「相馬の古内裏」(部分) 弘化2~3(1845~1846)年頃 *前期展示
代表作です。あまりにも有名なのが「相馬の古内裏」。巨大ながい骨が御簾を突きやぶってはぬっと現れ、源頼信の家老、大宅光国に襲いかかろうとしています。何とも大胆極まりない構図。一目で脳裏に焼き付きますが、このがい骨を操っているのが左手の滝夜叉姫。つまり将門の娘というわけです。
ちなみに本作には詳細な図解パネルが付いていました。そこでは作中の登場人物や舞台背景を説明するとともに、滝夜叉姫に吹き出しで「かかれガイコツ!今こそ朝廷に討たれし、父将門の恨みを晴らさん!」とまで語らせています。こうしたパネル、他の代表作にもいくつかありましたが、いずれも親しみやすく、鑑賞の参考になりました。
そして同じく有名な「鬼若丸大鯉退治」や「清盛入道布引滝遊覧 悪源太義平霊討難波次郎」も勢揃い。もう何度も見た作品ですが、やはり素晴らしいものは素晴らしい。妖怪魚のアクロバテックなまでの躍動感に、清盛入道における雷光の凄まじき大スパーク。そこで武士たちが戦います。全てを飲みこむような中央の闇はまるでブラックホールです。国芳は一体どのようにしてこの革新的な構図を生み出したのでしょうか。
肉筆が6点出ていました。うち「文を読む女」は1890年にパリで行われた日本美術の展覧会に出た作品です。左手で文を広げては、何かに気をとられたのか、ふと目を離して向きを変えながら右手を口に寄せています。一瞬の表情を軽快な筆致で捉えます。えぐ味は薄く、むしろ流麗な様が心地よい。素直に魅せられました。
猫も金魚も国芳のアイコンです。「猫の当字 ふぐ」はどうでしょうか。いわゆる寄せ絵です。国芳自身が大好きだった猫。何匹も描いては「ふぐ」の文字を象っています。そしてお馴染み「人がかたまって人になる」も登場。人がぎゅうぎゅうに集まっては人の顔を作っています。さらに可愛らしいのが「金魚づくし 酒のざしき」です。金魚を擬人化したシリーズのうちの一枚。金魚たちが蛙とともに盃を持って酒を飲み交わし、愉快に歌っては踊る姿が描かれています。

歌川国芳「坂田怪童丸」 天保7(1836)年頃
両面相をご存知でしょうか。上下絵とも呼ばれ、だまし絵の一種ですが、上から見ても下から見ても人の顔に見える作品です。今回の国芳展では2点ほど出ています。
上からの様子は簡単に確認出来ますが、作品を動かすわけにもいかず、さすがに下からの顔を見るわけにはいきません。そこで嬉しいのがパネルです。何と両面相の作品を可動式のパネルに転写。実際に動かしては顔が変わる様子を見ることが出来ます。

歌川国芳「近江の国の勇婦於兼」 天保初期(1831~33)年頃 *後期展示
ほかにも役者絵、美人画、さらに西洋の遠近法などを取り入れた洋風表現などの作品が並びます。そごうのスペース、必ずしも広くはありませんが、これだけの物量。行けども行けども国芳です。鑑賞のスピードに個人差はあるとはいえ、一点一点ゆっくり追っていけば、ゆうに2時間はかかるのではないでしょうか。

歌川国芳「横浜本町之図」 万延元(1860)年
ラストは会場の横浜に因み「横浜本町之図」が出ていました。時は1860年。その前年に開港した横浜の新開地を捉えた作品です。
道の両側にひしめき合うのはたくさんの商店。行き交う人も多く賑やかです。大きな洋犬や中国髪を結った外国人の姿も見えます。また荷車に積まれているのは生糸です。輸出用でしょうか。上方には青みを帯びた横浜の港が広がります。汽船も見えました。そして国芳はこの作品を描いた翌年、64歳にて生涯を閉じました。

[浮世絵師 歌川国芳展 出品リスト](PDF)
前期:8月1日(土)~16日(日)
後期:8月17日(月)~30日(日)
会期2日目、日曜日の午後に観覧しましたが、館内はなかなか賑わっていました。また夏休み期間だからでしょうか。ファミリーも目立ちます。ワークシートを片手にしながらニコニコと楽しそうに、また時に「怖い怖い。」とおっかなびっくりに国芳画を見やる子どもたちの姿が印象に残りました。

[歌川国芳展 巡回スケジュール]
広島県立美術館:9月11日(金) ~10月18日(日)
松坂屋美術館(名古屋):10月24日(土)~ 11月23日(月・祝)

短期決戦、一ヶ月限定の国芳夏祭りです。8月30日まで開催されています。おすすめします。
「浮世絵師 歌川国芳」 そごう美術館
会期:8月1日(土)~8月30日(日)
休館:会期中無休。
時間:10:00~20:00 *入館は閉館の30分前まで。
料金:大人1000(800)円、大学・高校生800(600)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:横浜市西区高島2-18-1 そごう横浜店6階
交通:JR線横浜駅東口よりポルタ地下街通路にて徒歩5分。
「浮世絵師 歌川国芳」
8/1-8/30

そごう美術館で開催中の「浮世絵師 歌川国芳」を見てきました。
幕末期の浮世絵師、歌川国芳(1797-1861)。関東近郊では久々となる国芳の大規模な回顧展ではないでしょうか。
というのもまず端的に作品が多いのです。その数200点。ほぼ全てが国芳画です。会期中、一度の展示替えを挟みますが、入れ替わるのは約30点ほど。よって前後期を問わず、何時出かけても170点もの作品を見ることが出来ます。
冒頭は武者絵でした。作品は「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 九紋龍史進 跳澗虎陳達」。九紋龍史進は棒術を得意とした豪傑。山賊の陳達を生け捕りにしようとしています。全身を覆うのは龍の彫り物です。見るからに勇ましい姿ですが、何でも人気の水滸伝をいち早く錦絵に表したのが国芳なのだそうです。
「本朝水滸伝剛勇八百人一個 天眼礒兵衛 夜叉嵐」はどうでしょうか。本朝水滸伝とは先の通俗水滸伝の人気を受けて出版された摺物。中国の豪傑を日本の英雄に置き換えています。尻を突き出し、刺青を露にしながら、両手を振り上げて立つのが磯兵衛です。対する夜叉嵐は真っ逆さまにひっくり返っています。

歌川国芳「江戸名所見立十二ヶ月の内 六月 山王御祭礼 団七九郎兵衛(四代目中村歌右衛門)」 嘉永5(1852)年
武者絵では大短冊、縦にも長い三枚続の「建久四年源頼朝冨士牧狩之図」にも惹かれました。頼朝が多くの御家人を集めて行ったという富士での巻狩り。それを国芳はダイナミックに描いています。馬上で堂々と股がるのが頼朝です。そこへ突如、巨大な猪が襲いかかりました。食い止めるのは任田四郎。頼朝の信任も厚い武将だったそうです。本作に続く「頼朝公御狩之図」では任田が猪を仕留める様子も描かれています。
忠臣蔵も目立ちました。例えば「誠忠義士肖像 大星由良之助良雄」です。言うまでもなく義士の肖像画ですが、どこか物静かに取り澄ましたような表情が印象深い。モデルを有り体に捉えようと試みています。一方、「誠忠義士伝」のシリーズではデフォルメも加わります。国芳は一人一人の奮闘の様子をテキストに記録しました。さらに三枚続の「義士夜討ノ図」と「忠臣蔵十一段目両国橋勢揃図」が控えます。両国橋のたもとに並ぶのは四十七士です。ぬかるんだ雪道を進みます。どこか皆、興奮した面持ちをしているようにも映りました。
妖怪退治、怨霊に幽霊。国芳画の一つの真骨頂と言えるのではないでしょうか。

歌川国芳「相馬の古内裏」(部分) 弘化2~3(1845~1846)年頃 *前期展示
代表作です。あまりにも有名なのが「相馬の古内裏」。巨大ながい骨が御簾を突きやぶってはぬっと現れ、源頼信の家老、大宅光国に襲いかかろうとしています。何とも大胆極まりない構図。一目で脳裏に焼き付きますが、このがい骨を操っているのが左手の滝夜叉姫。つまり将門の娘というわけです。
ちなみに本作には詳細な図解パネルが付いていました。そこでは作中の登場人物や舞台背景を説明するとともに、滝夜叉姫に吹き出しで「かかれガイコツ!今こそ朝廷に討たれし、父将門の恨みを晴らさん!」とまで語らせています。こうしたパネル、他の代表作にもいくつかありましたが、いずれも親しみやすく、鑑賞の参考になりました。
そして同じく有名な「鬼若丸大鯉退治」や「清盛入道布引滝遊覧 悪源太義平霊討難波次郎」も勢揃い。もう何度も見た作品ですが、やはり素晴らしいものは素晴らしい。妖怪魚のアクロバテックなまでの躍動感に、清盛入道における雷光の凄まじき大スパーク。そこで武士たちが戦います。全てを飲みこむような中央の闇はまるでブラックホールです。国芳は一体どのようにしてこの革新的な構図を生み出したのでしょうか。
肉筆が6点出ていました。うち「文を読む女」は1890年にパリで行われた日本美術の展覧会に出た作品です。左手で文を広げては、何かに気をとられたのか、ふと目を離して向きを変えながら右手を口に寄せています。一瞬の表情を軽快な筆致で捉えます。えぐ味は薄く、むしろ流麗な様が心地よい。素直に魅せられました。
猫も金魚も国芳のアイコンです。「猫の当字 ふぐ」はどうでしょうか。いわゆる寄せ絵です。国芳自身が大好きだった猫。何匹も描いては「ふぐ」の文字を象っています。そしてお馴染み「人がかたまって人になる」も登場。人がぎゅうぎゅうに集まっては人の顔を作っています。さらに可愛らしいのが「金魚づくし 酒のざしき」です。金魚を擬人化したシリーズのうちの一枚。金魚たちが蛙とともに盃を持って酒を飲み交わし、愉快に歌っては踊る姿が描かれています。

歌川国芳「坂田怪童丸」 天保7(1836)年頃
両面相をご存知でしょうか。上下絵とも呼ばれ、だまし絵の一種ですが、上から見ても下から見ても人の顔に見える作品です。今回の国芳展では2点ほど出ています。
上からの様子は簡単に確認出来ますが、作品を動かすわけにもいかず、さすがに下からの顔を見るわけにはいきません。そこで嬉しいのがパネルです。何と両面相の作品を可動式のパネルに転写。実際に動かしては顔が変わる様子を見ることが出来ます。

歌川国芳「近江の国の勇婦於兼」 天保初期(1831~33)年頃 *後期展示
ほかにも役者絵、美人画、さらに西洋の遠近法などを取り入れた洋風表現などの作品が並びます。そごうのスペース、必ずしも広くはありませんが、これだけの物量。行けども行けども国芳です。鑑賞のスピードに個人差はあるとはいえ、一点一点ゆっくり追っていけば、ゆうに2時間はかかるのではないでしょうか。

歌川国芳「横浜本町之図」 万延元(1860)年
ラストは会場の横浜に因み「横浜本町之図」が出ていました。時は1860年。その前年に開港した横浜の新開地を捉えた作品です。
道の両側にひしめき合うのはたくさんの商店。行き交う人も多く賑やかです。大きな洋犬や中国髪を結った外国人の姿も見えます。また荷車に積まれているのは生糸です。輸出用でしょうか。上方には青みを帯びた横浜の港が広がります。汽船も見えました。そして国芳はこの作品を描いた翌年、64歳にて生涯を閉じました。

[浮世絵師 歌川国芳展 出品リスト](PDF)
前期:8月1日(土)~16日(日)
後期:8月17日(月)~30日(日)
会期2日目、日曜日の午後に観覧しましたが、館内はなかなか賑わっていました。また夏休み期間だからでしょうか。ファミリーも目立ちます。ワークシートを片手にしながらニコニコと楽しそうに、また時に「怖い怖い。」とおっかなびっくりに国芳画を見やる子どもたちの姿が印象に残りました。

[歌川国芳展 巡回スケジュール]
広島県立美術館:9月11日(金) ~10月18日(日)
松坂屋美術館(名古屋):10月24日(土)~ 11月23日(月・祝)

短期決戦、一ヶ月限定の国芳夏祭りです。8月30日まで開催されています。おすすめします。
「浮世絵師 歌川国芳」 そごう美術館
会期:8月1日(土)~8月30日(日)
休館:会期中無休。
時間:10:00~20:00 *入館は閉館の30分前まで。
料金:大人1000(800)円、大学・高校生800(600)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:横浜市西区高島2-18-1 そごう横浜店6階
交通:JR線横浜駅東口よりポルタ地下街通路にて徒歩5分。
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「村野藤吾の建築」 目黒区美術館
目黒区美術館
「村野藤吾の建築ー模型が語る豊饒な世界」
7/11-9/13

目黒区美術館で開催中の「村野藤吾の建築ー模型が語る豊饒な世界」を見てきました。
「戦前戦後を通して幅広く多様な建築を数多く設計」(公式サイトより)したという村野藤吾(1891-1984)。目黒界隈ではまさに区の拠点、現在の目黒区総合庁舎(旧千代田生命本社ビル)を手がけた建築家でもあります。
村野の業績を文字通り建築模型から見定める展覧会です。出品は模型80件。全て京都工芸繊維大学美術工芸資料館に寄託されたものです。ほかにも図面、建築写真、さらには一部の建築物の備品までを網羅しています。
一階エントランスホールの建築模型のみ撮影が出来ました。
冒頭は東京の建築です。もちろん目立つのは目黒区総合庁舎。1966年に千代田生命本社ビルとして建てられ、後に区に売却。改修工事を経て、2003年に同区の庁舎となった建物です。

「千代田生命本社ビル 現:目黒区総合庁舎」 1966年・2003年改修
東京都目黒区 鉄骨鉄筋コンクリート造 現存
模型:小野直紀 2006年制作 1:200
端正な格子状の外観が目を引きますが、これらはいずれもバルコニー。元々はアルミ鋳物の縦格子だったそうです。彫は深くともどこか軽快な印象さえ与えます。村野の戦後を代表する建築物でもあります。

「読売会館・そごう東京店 現:読売会館・ビックカメラ有楽町店」 1957年
東京都千代田区 鉄骨鉄筋コンクリート造 現存
模型:松岡祐亮 2013年制作 1:200
都内近辺にお住まいの方は一度は足を踏み入れたことがあるのではないでしょうか。有楽町の読売会館、現在のビックカメラ有楽町店です。竣工は1957年。かつてそごう東京店として使われていました。特徴的なのは三角形の敷地であるということです。実際に現地へ行くと、確かに南から北に開ける三角形をしていることが分かりますが、それを村野は巧みに利用。水平線を際立たせた外観も流れるようで美しいもの。また西側外壁は今でこそ金属パネルに覆われていますが、当初は小さな四角い小片によるモザイクタイルが敷き詰められていたそうです。

「日本生命日比谷ビル(日生劇場)」 1963年
東京都千代田区 鉄骨鉄筋コンクリート造 現存
模型:平井直樹・永田拓章 2006年制作 1:200
同じく有楽町の日生劇場も村野の設計でした。模型では分かりませんが、外装は万成石が敷き詰められ、一転して重厚かつ非日常的な雰囲気を演出しています。実は私も何度か利用したことがありますが、曲線を利用した内部空間も独特で印象深いもの。天井のアコヤ貝もあるのか、どこか有機的とは言えないでしょうか。生き物の中に飲み込まれたかのような不思議な感覚を受けたものでした。
東京に続くのは美術館、教会・修道院、住宅、庁舎、娯楽・集会施設にオフィスビル、交通などです。これらのテーマ別に村野建築の模型が示されます。戦前、戦後は問いません。
美術館では個人コレクションを公開する施設を多く設計したそうです。うち糸魚川の谷村美術館には驚きました。竣工はほぼ最晩年の1983年。遺作とも言われています。敦煌の石窟寺をイメージしたそうですが、ともかく外観が個性的です。日本庭園の中央部に、半円、立方体の箱状の建物が無骨なまでに連なります。何ら形状し難い特異なフォルム。一体、内部はどのような空間が広がっているのでしょうか。想像すら付きません。
住宅は戦前に手がけたものが目立ちます。純和風の建築もありました。その中で異質なのは1939年の「川崎航空機工業岐阜工場社宅」。戦闘機を生産する軍需工場の社宅です。三角の大きな屋根の長屋が立ち並んでいます。ちなみにこの建築は村野の生前に刊行された作品集には掲載されていないそうです。
なお「川崎航空機工業岐阜工場社宅」は一部、現存していますが、ほかには既に失われたものや計画のみで実現しなかった建築の模型も少なからず出ています。その辺も興味深いポイントと言えそうです。

「森五商店東京支店(近三ビルヂング)」 1931年・1956年増築・1959年増築・1992年改修
東京都中央区 鉄筋コンクリート造・一部鉄骨造 現存
模型:鷹野友美 2006年制作 1:100
80件を細かに挙げていくとキリがありませんが、その分、逆に一点一点の建築模型に見応えがあります。スケールが大きいのは「甲南女子大学」。さらに「新高輪プリンスホテル」では模型のほかにホテル内の備品も展示されています。また「近鉄橿原神宮前駅」や「横浜市庁舎」も村野の手によるもの。展覧会タイトルに「豊穣」、ないし「幅広く多様な」とありますが、まさしく特徴をとても一言で表せないほどに幅広い。凄まじいまでの創作力です。

「日本興業銀行本店 現:みずほ銀行本店」 1974年
東京都千代田区 鉄骨造・鉄筋コンクリート造・鉄骨鉄筋コンクリート造 現存
模型:老松穂波 2007年制作 1:200
一切の奇を衒わずに、ひたすら丹念に模型を見せる「村野藤吾の建築」展。言葉は適切ではないかもしれませんが、今回ほど実直に建築に向き合う建築展も少ないのではないでしょうか。なお模型は京都工芸繊維大学の学生が図面から起こして作ったものだそうです。いずれも緻密な再現です。思わず頭が下がります。
ところで初めにも触れたように村野藤吾は目黒区総合庁舎の設計者です。美術館の最寄りは目黒駅。一方で総合庁舎があるのは中目黒駅です。直接、電車で行くことは叶いませんが、直線距離で測れば南北に1.1キロほど。道なりでも1.4キロです。歩けてしまいます。
よって今回は区役所も見学してきました。美術館からは目黒川沿いを北上。山手通りへ出た後、駒沢通りとの交差点を左折します。そこからやや坂道です。少しあがった右手に庁舎は位置します。ゆっくり歩いて約20分ほどでした。

目黒区総合庁舎外観
外観はご覧の通りです。縦に長いスリットが連続します。格子は全部で8900もあるそうです。保険会社時代にアルミ鋳物の上へアクリル樹脂が塗装されました。また屋上にも同様に格子の先端が上へ突き出しています。そしてこの格子のバルコニーによって室内に光がもたらされるそうです。

南口玄関棟エントランスホール
南口玄関からエントランスホールへ進みました。床も壁も白い大理石ばりです。奥行きがかなりあり、また広く、さらに天井も高い。イベントでも開催出来るのではないでしょうか。その反面に両側の窓は意外なほど低い位置にあります。そこから入る光は間接照明のようです。また上には明かり取りの窓があります。ステンドグラスが施されていました。

エントランスホール天井のガラスモザイク(作野旦平)
ホールは左右非対称です。確かに右側の方が余裕をもって作られています。またこのスペースには当初、エミリオ・グレコの彫像が置かれていたそうです。

本館螺旋階段
本館の螺旋階段も村野の設計です。良く見ると一段目が浮いているように見えます。素材は鋼鉄製。手すりやポリカーボネート製の板は後に取り付けられたものです。ただし村野のデザインを損なわないよう、螺旋の曲線を写した形で設置されています。

本館と別館の渡り廊下
本館と別館の渡り廊下が何やらSFに登場する宇宙船内部のようでした。搭乗ブリッジのイメージもあるようですが、縦に細く長いガラスから仄かな光が差し込んできます。

茶庭と茶室(外から)
内部に茶室と茶庭があるのには驚きました。まさしく純和風。茶室は京間で4畳半あるそうです。庁舎のモダンな外観からすれば想像もつかないスペースです。なお和室と茶室は登録団体のみ利用可能です。立ち入りは出来ません。(しじゅうからの間のみ平日8:30~17:00の間、見学出来ます。)

ほかにもエレベータホールやレストラン前の白タイルなど、庁舎内の随所に村野のデザインを見ることが出来ました。なお入口受付にあるリーフレット、「目黒区総合庁舎 村野藤吾の建築意匠」が大変有用です。見学の大いに参考になります。しかも無料です。是非手にとってみて下さい。

目黒区総合庁舎中庭池方向
目黒区美術館の「村野藤吾の建築」展。少し歩いて目黒区総合庁舎とあわせて見に行くのも良いのではないでしょうか。村野の建築世界を存分に堪能出来ました。
9月13日まで開催されています。
「村野藤吾の建築ー模型が語る豊饒な世界」 目黒区美術館(@mmatinside)
会期:7月11日(土)~9月13日(日)
休館:月曜日。但し7/20(月)は開館し、7/21(火)は休館。
時間:10:00~18:00
料金:一般800(600)円、大高生・65歳以上600(500)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:目黒区目黒2-4-36
交通:JR線、東京メトロ南北線、都営三田線、東急目黒線目黒駅より徒歩10分。
「村野藤吾の建築ー模型が語る豊饒な世界」
7/11-9/13

目黒区美術館で開催中の「村野藤吾の建築ー模型が語る豊饒な世界」を見てきました。
「戦前戦後を通して幅広く多様な建築を数多く設計」(公式サイトより)したという村野藤吾(1891-1984)。目黒界隈ではまさに区の拠点、現在の目黒区総合庁舎(旧千代田生命本社ビル)を手がけた建築家でもあります。
村野の業績を文字通り建築模型から見定める展覧会です。出品は模型80件。全て京都工芸繊維大学美術工芸資料館に寄託されたものです。ほかにも図面、建築写真、さらには一部の建築物の備品までを網羅しています。
一階エントランスホールの建築模型のみ撮影が出来ました。
冒頭は東京の建築です。もちろん目立つのは目黒区総合庁舎。1966年に千代田生命本社ビルとして建てられ、後に区に売却。改修工事を経て、2003年に同区の庁舎となった建物です。

「千代田生命本社ビル 現:目黒区総合庁舎」 1966年・2003年改修
東京都目黒区 鉄骨鉄筋コンクリート造 現存
模型:小野直紀 2006年制作 1:200
端正な格子状の外観が目を引きますが、これらはいずれもバルコニー。元々はアルミ鋳物の縦格子だったそうです。彫は深くともどこか軽快な印象さえ与えます。村野の戦後を代表する建築物でもあります。

「読売会館・そごう東京店 現:読売会館・ビックカメラ有楽町店」 1957年
東京都千代田区 鉄骨鉄筋コンクリート造 現存
模型:松岡祐亮 2013年制作 1:200
都内近辺にお住まいの方は一度は足を踏み入れたことがあるのではないでしょうか。有楽町の読売会館、現在のビックカメラ有楽町店です。竣工は1957年。かつてそごう東京店として使われていました。特徴的なのは三角形の敷地であるということです。実際に現地へ行くと、確かに南から北に開ける三角形をしていることが分かりますが、それを村野は巧みに利用。水平線を際立たせた外観も流れるようで美しいもの。また西側外壁は今でこそ金属パネルに覆われていますが、当初は小さな四角い小片によるモザイクタイルが敷き詰められていたそうです。

「日本生命日比谷ビル(日生劇場)」 1963年
東京都千代田区 鉄骨鉄筋コンクリート造 現存
模型:平井直樹・永田拓章 2006年制作 1:200
同じく有楽町の日生劇場も村野の設計でした。模型では分かりませんが、外装は万成石が敷き詰められ、一転して重厚かつ非日常的な雰囲気を演出しています。実は私も何度か利用したことがありますが、曲線を利用した内部空間も独特で印象深いもの。天井のアコヤ貝もあるのか、どこか有機的とは言えないでしょうか。生き物の中に飲み込まれたかのような不思議な感覚を受けたものでした。
東京に続くのは美術館、教会・修道院、住宅、庁舎、娯楽・集会施設にオフィスビル、交通などです。これらのテーマ別に村野建築の模型が示されます。戦前、戦後は問いません。
美術館では個人コレクションを公開する施設を多く設計したそうです。うち糸魚川の谷村美術館には驚きました。竣工はほぼ最晩年の1983年。遺作とも言われています。敦煌の石窟寺をイメージしたそうですが、ともかく外観が個性的です。日本庭園の中央部に、半円、立方体の箱状の建物が無骨なまでに連なります。何ら形状し難い特異なフォルム。一体、内部はどのような空間が広がっているのでしょうか。想像すら付きません。
住宅は戦前に手がけたものが目立ちます。純和風の建築もありました。その中で異質なのは1939年の「川崎航空機工業岐阜工場社宅」。戦闘機を生産する軍需工場の社宅です。三角の大きな屋根の長屋が立ち並んでいます。ちなみにこの建築は村野の生前に刊行された作品集には掲載されていないそうです。
なお「川崎航空機工業岐阜工場社宅」は一部、現存していますが、ほかには既に失われたものや計画のみで実現しなかった建築の模型も少なからず出ています。その辺も興味深いポイントと言えそうです。

「森五商店東京支店(近三ビルヂング)」 1931年・1956年増築・1959年増築・1992年改修
東京都中央区 鉄筋コンクリート造・一部鉄骨造 現存
模型:鷹野友美 2006年制作 1:100
80件を細かに挙げていくとキリがありませんが、その分、逆に一点一点の建築模型に見応えがあります。スケールが大きいのは「甲南女子大学」。さらに「新高輪プリンスホテル」では模型のほかにホテル内の備品も展示されています。また「近鉄橿原神宮前駅」や「横浜市庁舎」も村野の手によるもの。展覧会タイトルに「豊穣」、ないし「幅広く多様な」とありますが、まさしく特徴をとても一言で表せないほどに幅広い。凄まじいまでの創作力です。

「日本興業銀行本店 現:みずほ銀行本店」 1974年
東京都千代田区 鉄骨造・鉄筋コンクリート造・鉄骨鉄筋コンクリート造 現存
模型:老松穂波 2007年制作 1:200
一切の奇を衒わずに、ひたすら丹念に模型を見せる「村野藤吾の建築」展。言葉は適切ではないかもしれませんが、今回ほど実直に建築に向き合う建築展も少ないのではないでしょうか。なお模型は京都工芸繊維大学の学生が図面から起こして作ったものだそうです。いずれも緻密な再現です。思わず頭が下がります。
ところで初めにも触れたように村野藤吾は目黒区総合庁舎の設計者です。美術館の最寄りは目黒駅。一方で総合庁舎があるのは中目黒駅です。直接、電車で行くことは叶いませんが、直線距離で測れば南北に1.1キロほど。道なりでも1.4キロです。歩けてしまいます。
よって今回は区役所も見学してきました。美術館からは目黒川沿いを北上。山手通りへ出た後、駒沢通りとの交差点を左折します。そこからやや坂道です。少しあがった右手に庁舎は位置します。ゆっくり歩いて約20分ほどでした。

目黒区総合庁舎外観
外観はご覧の通りです。縦に長いスリットが連続します。格子は全部で8900もあるそうです。保険会社時代にアルミ鋳物の上へアクリル樹脂が塗装されました。また屋上にも同様に格子の先端が上へ突き出しています。そしてこの格子のバルコニーによって室内に光がもたらされるそうです。

南口玄関棟エントランスホール
南口玄関からエントランスホールへ進みました。床も壁も白い大理石ばりです。奥行きがかなりあり、また広く、さらに天井も高い。イベントでも開催出来るのではないでしょうか。その反面に両側の窓は意外なほど低い位置にあります。そこから入る光は間接照明のようです。また上には明かり取りの窓があります。ステンドグラスが施されていました。

エントランスホール天井のガラスモザイク(作野旦平)
ホールは左右非対称です。確かに右側の方が余裕をもって作られています。またこのスペースには当初、エミリオ・グレコの彫像が置かれていたそうです。

本館螺旋階段
本館の螺旋階段も村野の設計です。良く見ると一段目が浮いているように見えます。素材は鋼鉄製。手すりやポリカーボネート製の板は後に取り付けられたものです。ただし村野のデザインを損なわないよう、螺旋の曲線を写した形で設置されています。

本館と別館の渡り廊下
本館と別館の渡り廊下が何やらSFに登場する宇宙船内部のようでした。搭乗ブリッジのイメージもあるようですが、縦に細く長いガラスから仄かな光が差し込んできます。

茶庭と茶室(外から)
内部に茶室と茶庭があるのには驚きました。まさしく純和風。茶室は京間で4畳半あるそうです。庁舎のモダンな外観からすれば想像もつかないスペースです。なお和室と茶室は登録団体のみ利用可能です。立ち入りは出来ません。(しじゅうからの間のみ平日8:30~17:00の間、見学出来ます。)

ほかにもエレベータホールやレストラン前の白タイルなど、庁舎内の随所に村野のデザインを見ることが出来ました。なお入口受付にあるリーフレット、「目黒区総合庁舎 村野藤吾の建築意匠」が大変有用です。見学の大いに参考になります。しかも無料です。是非手にとってみて下さい。

目黒区総合庁舎中庭池方向
目黒区美術館の「村野藤吾の建築」展。少し歩いて目黒区総合庁舎とあわせて見に行くのも良いのではないでしょうか。村野の建築世界を存分に堪能出来ました。
9月13日まで開催されています。
「村野藤吾の建築ー模型が語る豊饒な世界」 目黒区美術館(@mmatinside)
会期:7月11日(土)~9月13日(日)
休館:月曜日。但し7/20(月)は開館し、7/21(火)は休館。
時間:10:00~18:00
料金:一般800(600)円、大高生・65歳以上600(500)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:目黒区目黒2-4-36
交通:JR線、東京メトロ南北線、都営三田線、東急目黒線目黒駅より徒歩10分。
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