都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「山下清とその仲間たちの作品展」 市川市文学ミュージアム
市川市文学ミュージアム
「描くことが生きることー山下清とその仲間たちの作品展」
6/13-8/30
市川市文学ミュージアムで開催中の「描くことが生きることー山下清とその仲間たちの作品展」を見てきました。
ちぎり絵で知られ、放浪の画家とも称される山下清。彼が画家としての才能を開化させた切っ掛けの一つに、市川市の知的発達障害児入園施設、八幡学園での生活がありました。
その八幡学園を中核に山下の画業を辿る展覧会です。また重要なのは「その仲間たち」。仲間とは学園に入園していた生徒のことです。いずれも重い障害を抱えていましたが、クレパスやクレヨン画の制作に取り組んでいました。そうした仲間の残した作品も紹介しています。
八幡学園が設立されたのは昭和3年です。創立者の久保寺保久が90坪の自邸を開放。全国で8番目の私立の知的障害児保護施設として開園しました。山下が学園にやって来たのは昭和9年です。当時小学5年生。ここで学園が園児のために課したちぎり絵と出会いました。
展示も最初期、入園時のちぎり絵から始まります。作品は「金魚」や「蝶々」。身近な小動物です。まだ素朴極まりないものですが、翌年の「クリスマス」では園内でのクリスマスイベントの光景を描いています。床の木目、紅白のクリスマスの飾りなどもちぎった紙で表現。昭和12年の「りはつ」はどうでしょうか。園内での散髪です。理容師が何名もの園児へハサミを入れる姿などを描いています。
画家、安井曾太郎が山下の絵を賞賛したのもこの頃でした。安井は学園の教育に関心を持ち、昭和11年に「八幡学園特異児童作品集」を刊行。園児たちの制作した絵画をまとめます。その表紙を山下が手がけたのでしょうか。「花とトンボ」では作品集の題字とともに、紫の菊、そしてトンボがちぎり絵で表されていました。
いわゆる放浪前のちぎり絵には市川の景色が頻繁に登場しています。例えば「江戸川の花火」です。山下が終生、得意とした花火の光景。舞台はもちろん市川を南北に流れる江戸川です。手前には花火を見やる群衆の後ろ姿があり、川面にはたくさんの屋形船が浮かんでいます。そして夜空には大輪の花火が開く。早くも半ば完成された画風を見ることが出来ました。
学園のちぎり絵の色紙は8色でしたが、山下は裏面も使って倍の色を表現しました。また明暗の対比を強調していたのも特徴です。一本の木の肌にも陰影を付けています。さらに作業を効率化するため、ちぎり紙に糊を付けるのではなく、先に画用紙に糊を塗っては紙を貼っていたそうです。
昭和15年11月、山下は突如学園から出奔。以後、何と15年にも及ぶ放浪生活を送ります。
彼は「学園が飽きた」との言葉を残しているそうですが、既に都内でも展示を行うほど有名になっていたちぎり絵です。学園に参観する人が山下の制作を頻繁に覗き込むことも少なくありませんでした。それもストレスになったのかもしれません。また太平洋戦争開戦間近でもあります。徴兵への恐怖心もあったのではないかという指摘もあるそうです。
さて山下の放浪、既に良く知られているように、何も15年間どこにも帰らなかったわけではありません。放浪の期間も時折、学園に戻っては、再びちぎり絵を制作しています。いわば全国各地の風景の記憶を呼び起こしてはちぎり絵に残しています。放浪先で制作することは殆どありませんでした。
戦時下の時代、戦争の色の濃い「大東亜戦争」や「東京の焼けたとこ」も胸を打ちます。後者は焼け野原の東京です。瓦礫のみが広がり、電柱でしょうか。それだけがポツポツ立っているように見えます。何とも惨たらしい。きっと山下の心の中にも深く刻まれたに相違ありません。
後に山下はヨーロッパへも渡り、水彩や陶磁器などの幅広い制作を行ったそうですが、本展の基本になるのは八幡学園とちぎり絵。数点の鉛筆画と「両国の花火」などの油彩画の他は、今も八幡学園の所蔵するちぎり絵のみで構成されています。
さて後半は「その仲間たち」。三名です。その名は石川謙二、沼祐一、そして野田重博。いわゆる虚弱体質であったという石川は、13歳の頃から「猛然」(チラシより)とクレバス画に取り組みます。そして26歳で亡くなるまで100点もの作品を残しました。一方、「原始芸術の風格」と称されたのが沼です。絵の中には終始、異形、あるいは魔物ともとれるような人物が現れます。いずれも目がつり上がっていて鋭い。鬼気迫るものを感じました。
私が一番惹かれたのが野田重博です。読み書きこそ出来なかったものの、何にでも意欲的に取り組んだという野田。クレヨンだけではなく、色紙などの様々な素材を通して絵画を描きました。「農園芝作業」はどうでしょうか。学園内での出来事かもしれません。土地を耕す男たち。地面などを表した色の分割にセンスを感じました。写実的でなおかつ構図としても面白みがあります。ただ残念ながら彼も20歳という若さで亡くなってしまいました。
なお「山下清とその仲間たちの作品展」は前回の式場隆三郎展との連動企画です。式場自身は学園の顧問医という立場から山下の制作を支援していました。
「炎の人 式場隆三郎」 市川市文学ミュージアム(はろるど)
山下の作品40点余に仲間の作品をあわせて全100点。さらに写真パネルや自筆の日記や関連図書も加わります。山下と仲間を紹介する展覧会。それをはじめにも触れたように八幡学園の活動に引き付けて追っています。つまりはご当地、市川ならではの企画だと言えそうです。
ちなみに式場展の時よりもスペースは倍以上あります。と言うのも本展は企画展示室だけでなく、通常展示フロアへも拡張して展開しているからです。その意味でも見応えがあるのではないでしょうか。
最後にアクセスの情報です。市川市文学ミュージアムの最寄は総武線(都営新宿線)の本八幡駅。そこから徒歩で15分強ほどのメディアパーク(中央図書館)の2階にあります。駅からは少し離れています。
本八幡駅北口ロータリーより発着するニッケコルトンプラザ行きの無料シャトルバスも有用です。コルトンプラザは同市最大のショッピングモール。メディアパークのすぐ北に隣接します。
コルトンプラザ内のバス停から多少歩きますが、特に雨の日には重宝するのではないでしょうか。シャトルバスについてはリンク先のコルトンプラザのWEBサイト(コルトンバスのご案内)をご参照下さい。
8月30日まで開催されています。
「描くことが生きることー山下清とその仲間たちの作品展」 市川市文学ミュージアム
会期:6月13日(土)~8月30日(日)
休館:月曜日。但し7月20日は開館。6月26日、7月21日、7月31日。
料金:一般500(400)円、65歳以上400円、高校・大学生250(200)円、中学生以下無料。
*( )内は25名以上の団体料金。
*式場隆三郎展の利用済チケットを提示すると2割引。
時間:10:00~19:30(平日)、10:00~18:00(土日祝)。最終入場は閉館の30分前まで
住所:千葉県市川市鬼高1-1-4 市川市生涯学習センター2階
交通:JR線・都営新宿線本八幡駅より徒歩15分。京成線鬼越駅より徒歩10分。
「描くことが生きることー山下清とその仲間たちの作品展」
6/13-8/30
市川市文学ミュージアムで開催中の「描くことが生きることー山下清とその仲間たちの作品展」を見てきました。
ちぎり絵で知られ、放浪の画家とも称される山下清。彼が画家としての才能を開化させた切っ掛けの一つに、市川市の知的発達障害児入園施設、八幡学園での生活がありました。
その八幡学園を中核に山下の画業を辿る展覧会です。また重要なのは「その仲間たち」。仲間とは学園に入園していた生徒のことです。いずれも重い障害を抱えていましたが、クレパスやクレヨン画の制作に取り組んでいました。そうした仲間の残した作品も紹介しています。
八幡学園が設立されたのは昭和3年です。創立者の久保寺保久が90坪の自邸を開放。全国で8番目の私立の知的障害児保護施設として開園しました。山下が学園にやって来たのは昭和9年です。当時小学5年生。ここで学園が園児のために課したちぎり絵と出会いました。
展示も最初期、入園時のちぎり絵から始まります。作品は「金魚」や「蝶々」。身近な小動物です。まだ素朴極まりないものですが、翌年の「クリスマス」では園内でのクリスマスイベントの光景を描いています。床の木目、紅白のクリスマスの飾りなどもちぎった紙で表現。昭和12年の「りはつ」はどうでしょうか。園内での散髪です。理容師が何名もの園児へハサミを入れる姿などを描いています。
画家、安井曾太郎が山下の絵を賞賛したのもこの頃でした。安井は学園の教育に関心を持ち、昭和11年に「八幡学園特異児童作品集」を刊行。園児たちの制作した絵画をまとめます。その表紙を山下が手がけたのでしょうか。「花とトンボ」では作品集の題字とともに、紫の菊、そしてトンボがちぎり絵で表されていました。
いわゆる放浪前のちぎり絵には市川の景色が頻繁に登場しています。例えば「江戸川の花火」です。山下が終生、得意とした花火の光景。舞台はもちろん市川を南北に流れる江戸川です。手前には花火を見やる群衆の後ろ姿があり、川面にはたくさんの屋形船が浮かんでいます。そして夜空には大輪の花火が開く。早くも半ば完成された画風を見ることが出来ました。
学園のちぎり絵の色紙は8色でしたが、山下は裏面も使って倍の色を表現しました。また明暗の対比を強調していたのも特徴です。一本の木の肌にも陰影を付けています。さらに作業を効率化するため、ちぎり紙に糊を付けるのではなく、先に画用紙に糊を塗っては紙を貼っていたそうです。
昭和15年11月、山下は突如学園から出奔。以後、何と15年にも及ぶ放浪生活を送ります。
彼は「学園が飽きた」との言葉を残しているそうですが、既に都内でも展示を行うほど有名になっていたちぎり絵です。学園に参観する人が山下の制作を頻繁に覗き込むことも少なくありませんでした。それもストレスになったのかもしれません。また太平洋戦争開戦間近でもあります。徴兵への恐怖心もあったのではないかという指摘もあるそうです。
さて山下の放浪、既に良く知られているように、何も15年間どこにも帰らなかったわけではありません。放浪の期間も時折、学園に戻っては、再びちぎり絵を制作しています。いわば全国各地の風景の記憶を呼び起こしてはちぎり絵に残しています。放浪先で制作することは殆どありませんでした。
戦時下の時代、戦争の色の濃い「大東亜戦争」や「東京の焼けたとこ」も胸を打ちます。後者は焼け野原の東京です。瓦礫のみが広がり、電柱でしょうか。それだけがポツポツ立っているように見えます。何とも惨たらしい。きっと山下の心の中にも深く刻まれたに相違ありません。
後に山下はヨーロッパへも渡り、水彩や陶磁器などの幅広い制作を行ったそうですが、本展の基本になるのは八幡学園とちぎり絵。数点の鉛筆画と「両国の花火」などの油彩画の他は、今も八幡学園の所蔵するちぎり絵のみで構成されています。
さて後半は「その仲間たち」。三名です。その名は石川謙二、沼祐一、そして野田重博。いわゆる虚弱体質であったという石川は、13歳の頃から「猛然」(チラシより)とクレバス画に取り組みます。そして26歳で亡くなるまで100点もの作品を残しました。一方、「原始芸術の風格」と称されたのが沼です。絵の中には終始、異形、あるいは魔物ともとれるような人物が現れます。いずれも目がつり上がっていて鋭い。鬼気迫るものを感じました。
私が一番惹かれたのが野田重博です。読み書きこそ出来なかったものの、何にでも意欲的に取り組んだという野田。クレヨンだけではなく、色紙などの様々な素材を通して絵画を描きました。「農園芝作業」はどうでしょうか。学園内での出来事かもしれません。土地を耕す男たち。地面などを表した色の分割にセンスを感じました。写実的でなおかつ構図としても面白みがあります。ただ残念ながら彼も20歳という若さで亡くなってしまいました。
なお「山下清とその仲間たちの作品展」は前回の式場隆三郎展との連動企画です。式場自身は学園の顧問医という立場から山下の制作を支援していました。
「炎の人 式場隆三郎」 市川市文学ミュージアム(はろるど)
山下の作品40点余に仲間の作品をあわせて全100点。さらに写真パネルや自筆の日記や関連図書も加わります。山下と仲間を紹介する展覧会。それをはじめにも触れたように八幡学園の活動に引き付けて追っています。つまりはご当地、市川ならではの企画だと言えそうです。
ちなみに式場展の時よりもスペースは倍以上あります。と言うのも本展は企画展示室だけでなく、通常展示フロアへも拡張して展開しているからです。その意味でも見応えがあるのではないでしょうか。
最後にアクセスの情報です。市川市文学ミュージアムの最寄は総武線(都営新宿線)の本八幡駅。そこから徒歩で15分強ほどのメディアパーク(中央図書館)の2階にあります。駅からは少し離れています。
本八幡駅北口ロータリーより発着するニッケコルトンプラザ行きの無料シャトルバスも有用です。コルトンプラザは同市最大のショッピングモール。メディアパークのすぐ北に隣接します。
コルトンプラザ内のバス停から多少歩きますが、特に雨の日には重宝するのではないでしょうか。シャトルバスについてはリンク先のコルトンプラザのWEBサイト(コルトンバスのご案内)をご参照下さい。
8月30日まで開催されています。
「描くことが生きることー山下清とその仲間たちの作品展」 市川市文学ミュージアム
会期:6月13日(土)~8月30日(日)
休館:月曜日。但し7月20日は開館。6月26日、7月21日、7月31日。
料金:一般500(400)円、65歳以上400円、高校・大学生250(200)円、中学生以下無料。
*( )内は25名以上の団体料金。
*式場隆三郎展の利用済チケットを提示すると2割引。
時間:10:00~19:30(平日)、10:00~18:00(土日祝)。最終入場は閉館の30分前まで
住所:千葉県市川市鬼高1-1-4 市川市生涯学習センター2階
交通:JR線・都営新宿線本八幡駅より徒歩15分。京成線鬼越駅より徒歩10分。
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