◆ちゃんとしゃべれ!治納由気(はるなゆき)◆

変な日本語、敬語もどき、崩れていく日本語、そして、正しい日本語とハムスター。

察してはもらえない。

2007-02-13 09:34:27 | ストレスと闘いながら
                 おお~
 日本人の文化として、「察する」「気持ちをくむ」ということがあると思います。でも、これには「分かっている」という前提が必要で、これがなければ察することはできません。分かっている人に「あのぉ~」と言えば、「あ、あれね、分かったよ」と言ってくれるでしょうけれども、分かっていない人に「あのぉ~」と言っても、「何だ、何か用か、早く言えよ、言わなきゃ分かんないだろ」と言われるのが落ちですね。前に言ったことなのだから分かっているだろうと思うことがそもそもの間違いなのです。
 たとえ前に説明したことがあっても、相手が忘れてしまっていれば分かるわけがありません。多くを語らずとも察してくれると思うなんて甘いのです。人間、そうそう他人の言っていたことなんて覚えていません。私だって、記憶の引き出しが年々がたついてきて、すーっと開かないのですよ、これが。いやはや困ったものです。記憶容量がだいぶ減っているようで、優先順位の低いものはさっさと忘れます。ただし、忘れてもいいようになるべくメモは取りますが。私にとって最優先のことでも、相手にとってはずーっと下、というか、番外でしょうか、それは忘れてしまいますよね。
 ところで、やっちゃいましたね、警視庁捜査1課が重大な殺人事件の証拠品4点を紛失、誤って廃棄したとか何とか・・・普通はありえないことですが、起きてしまったのですね。このとき、証拠品を入れた段ボール箱の近くにごみの山があったそうで、そこに段ボール箱を置いた人は、「あ、ごみの山だ、近くに置いて間違われたらやばいな」と思わなかったのでしょうか。そういう予感はなかったのでしょうか。人間には危険を察知する勘があるはずですが、そういう勘は働かないのでしょうか。
 危険予測と防止、これはとても大事なことです。私が変な日本語についてわーわー言うのも、この観点からも大事なことがたくさんあるからなのです。ブログ上のコメントのやり取りで、「なぜ句読点というのか」という疑問に、私は、「推測ですが、句点のない文はないけれど読点のない文はあって、句点が基本だから句読点なのでしょう」と答えたことがあります。「○○△△」という言葉は、○○が基本で、次が△△ということが多いものです。したがって、○○が基本であることが明確ならば、やはり○○△△が正しいのです。
 でも、これを△△○○と言う人がいます。ふだん○○△△と言っている人でも、私が「○○△△なのに、なぜ△△○○と言う人がいるのかな?」と言うと、「どっちでもいいと思うけどぉ」なんて言うのですから、こういう人が大勢いたら、やはり混乱は避けられません。○○△△という言葉の持つ概念はやがて崩れていきます。ただでさえ言葉の壁にあっちこっちでぶつかる昨今、こういうことは一つでも少ないほうがいいに決まっていますから、これも予防です。私は危険を察知し、予防しよう、減らせるストレスは減らそうと言っているのです。○○が基本であるということを大切にしたいと思っているのですが、いかがでしょうか。
 写真のハムやんがこの後どうなったか。スクープをねらうカメラマンの気持ちがちょっと分かりましたが、撮影はここまでにして救出しました。
コメント
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