これは減らせない
話し手が「有害物質を減らすことができる」とはっきり言っているのに「有害物質を減らせることができる」と書いてあるテロップを見ました。それで、あれ? もしかして・・・と、ちょっと思いついたことがあります。
まず、「減らせる」は「減らす」の可能動詞ですね。読む→読める、書く→書ける、のように、五段活用の動詞は下一段活用の可能動詞になります。世の中には、「読めることができる」「書けることができる」というように、可能動詞の後に「ことができる」と続けて重複表現になってしまう人がいます。これは明らかにおかしいのですが、意外に多いのですよ、しょっちゅう耳に入ってきますからね。
先月末から今月初旬にかけて、動詞が五段活用から下一段活用へずれていくような現象があるということを書きましたが、そのときは、その現象と重複表現とを直接つなげて考えることはありませんでした。「張り巡らせることができる」は、可能動詞をさらに可能表現にして、重複になっているように感じる、ということは書きましたが、「有害物質を減らせることができる」という文字を見るまでに至り、ひょっとして、下一段化しているから重複であることに気づかないのではないかと思ったのです。
「悩ませる」「つなげる」のように、下一段がすでに一般的になって耳に慣れているものはありますが、「張り巡らす」「張り巡らせる」、「もたらす」「もたらせる」、「研ぎ澄ます」「研ぎ澄ませる」のように、下一段では具合が悪いというものもあるのです。「減らす」も、「減らせる」とは言いません! きっぱり、言い切っちゃう(^‐^)v。「減らせる」は「減らすことができる」という意味です。だから、「減らせることができる」は重複表現であり、誤りだと言い切れます。にもかかわらず「減らせることができる」と書いてしまう人の頭の中では、動詞の下一段化が急速に進んでいるのではないでしょうか。
話し手が「有害物質を減らすことができる」とはっきり言っているのに「有害物質を減らせることができる」と書いてあるテロップを見ました。それで、あれ? もしかして・・・と、ちょっと思いついたことがあります。
まず、「減らせる」は「減らす」の可能動詞ですね。読む→読める、書く→書ける、のように、五段活用の動詞は下一段活用の可能動詞になります。世の中には、「読めることができる」「書けることができる」というように、可能動詞の後に「ことができる」と続けて重複表現になってしまう人がいます。これは明らかにおかしいのですが、意外に多いのですよ、しょっちゅう耳に入ってきますからね。
先月末から今月初旬にかけて、動詞が五段活用から下一段活用へずれていくような現象があるということを書きましたが、そのときは、その現象と重複表現とを直接つなげて考えることはありませんでした。「張り巡らせることができる」は、可能動詞をさらに可能表現にして、重複になっているように感じる、ということは書きましたが、「有害物質を減らせることができる」という文字を見るまでに至り、ひょっとして、下一段化しているから重複であることに気づかないのではないかと思ったのです。
「悩ませる」「つなげる」のように、下一段がすでに一般的になって耳に慣れているものはありますが、「張り巡らす」「張り巡らせる」、「もたらす」「もたらせる」、「研ぎ澄ます」「研ぎ澄ませる」のように、下一段では具合が悪いというものもあるのです。「減らす」も、「減らせる」とは言いません! きっぱり、言い切っちゃう(^‐^)v。「減らせる」は「減らすことができる」という意味です。だから、「減らせることができる」は重複表現であり、誤りだと言い切れます。にもかかわらず「減らせることができる」と書いてしまう人の頭の中では、動詞の下一段化が急速に進んでいるのではないでしょうか。