◆ちゃんとしゃべれ!治納由気(はるなゆき)◆

変な日本語、敬語もどき、崩れていく日本語、そして、正しい日本語とハムスター。

察してはもらえない。

2007-02-13 09:34:27 | ストレスと闘いながら
                 おお~
 日本人の文化として、「察する」「気持ちをくむ」ということがあると思います。でも、これには「分かっている」という前提が必要で、これがなければ察することはできません。分かっている人に「あのぉ~」と言えば、「あ、あれね、分かったよ」と言ってくれるでしょうけれども、分かっていない人に「あのぉ~」と言っても、「何だ、何か用か、早く言えよ、言わなきゃ分かんないだろ」と言われるのが落ちですね。前に言ったことなのだから分かっているだろうと思うことがそもそもの間違いなのです。
 たとえ前に説明したことがあっても、相手が忘れてしまっていれば分かるわけがありません。多くを語らずとも察してくれると思うなんて甘いのです。人間、そうそう他人の言っていたことなんて覚えていません。私だって、記憶の引き出しが年々がたついてきて、すーっと開かないのですよ、これが。いやはや困ったものです。記憶容量がだいぶ減っているようで、優先順位の低いものはさっさと忘れます。ただし、忘れてもいいようになるべくメモは取りますが。私にとって最優先のことでも、相手にとってはずーっと下、というか、番外でしょうか、それは忘れてしまいますよね。
 ところで、やっちゃいましたね、警視庁捜査1課が重大な殺人事件の証拠品4点を紛失、誤って廃棄したとか何とか・・・普通はありえないことですが、起きてしまったのですね。このとき、証拠品を入れた段ボール箱の近くにごみの山があったそうで、そこに段ボール箱を置いた人は、「あ、ごみの山だ、近くに置いて間違われたらやばいな」と思わなかったのでしょうか。そういう予感はなかったのでしょうか。人間には危険を察知する勘があるはずですが、そういう勘は働かないのでしょうか。
 危険予測と防止、これはとても大事なことです。私が変な日本語についてわーわー言うのも、この観点からも大事なことがたくさんあるからなのです。ブログ上のコメントのやり取りで、「なぜ句読点というのか」という疑問に、私は、「推測ですが、句点のない文はないけれど読点のない文はあって、句点が基本だから句読点なのでしょう」と答えたことがあります。「○○△△」という言葉は、○○が基本で、次が△△ということが多いものです。したがって、○○が基本であることが明確ならば、やはり○○△△が正しいのです。
 でも、これを△△○○と言う人がいます。ふだん○○△△と言っている人でも、私が「○○△△なのに、なぜ△△○○と言う人がいるのかな?」と言うと、「どっちでもいいと思うけどぉ」なんて言うのですから、こういう人が大勢いたら、やはり混乱は避けられません。○○△△という言葉の持つ概念はやがて崩れていきます。ただでさえ言葉の壁にあっちこっちでぶつかる昨今、こういうことは一つでも少ないほうがいいに決まっていますから、これも予防です。私は危険を察知し、予防しよう、減らせるストレスは減らそうと言っているのです。○○が基本であるということを大切にしたいと思っているのですが、いかがでしょうか。
 写真のハムやんがこの後どうなったか。スクープをねらうカメラマンの気持ちがちょっと分かりましたが、撮影はここまでにして救出しました。
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無理解・無関心に泣く。

2007-02-12 12:26:45 | ストレスと闘いながら
                あ~落ちる~
 昨年末、電子書籍を出したころ、身近な人たちに「私は変な日本語アレルギーで、病気の域に入っている」と訴えたのですが、全く理解されず、すぐにそのことは忘れられてしまいました。その後も、機会をとらえ、身近なところで言葉の区別があいまいなために弊害が生じている、壁にぶつかっていると言ったのですが、その人たちにとっては取るに足らないどうでもいいことで、その結果どういう困ったことになるか全く想像できなかったようです。
 ここで誤解のないように言っておきますが、私の言う変な日本語とは、「あいうえお」でなければいけないところを「か・うに/せ-ほ」と表現することで、「か・うに/せ-ほ」って何だろうと思っている人がいても、本人はこれを「あいうえお」だ、これでいいんだとかたくなに思い込んでいるのですから、ここが問題なのです。「aiueo」でも「AIUEO」でも「アイウエオ」でもいい、個性、味わい、方言、しゃれ、便利、柔らかい、楽しい、親しみ、それはそれでいいのですよ。
 聞き取れない、読みにくい、何を言っているのか、何を書いてあるのか理解できない、いちばん肝心なことが伝わってこない、知らないから教えてほしいのにどうしても分からない、はっきりしない、あいまいで混乱する、概念をねじ曲げる、不快である、誤解を生む、その原因が日本語そのものにあるとき、それを「変な日本語」と言っているのです。特に、人前で話すことが職業である人、例えば、アナウンサー、キャスター、司会者、講師、講演者、教員、そして、企業や公的機関のサイトおよび印刷物の担当者、こういったところの人たちが日本語に注意を払わないのは非常に困ったことです。
 2月5日の記事に、変な日本語アレルギーに対する周囲の人の無理解ということを書きましたが、無関心な事柄というのは記憶の片隅にも残らないようで、どんなに人を苦しめても、まさか自分が苦しめているとは全く思わない、何も思い当たらないようなのです。知らない間に他人を傷つけるということはだれでもありうることですから、何かあったら、せめて、自分の言動を、その人が言っていたことを、真剣に振り返ってみるぐらいのことはしなければいけませんね。
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やってみなけりゃ分からない。

2007-02-11 11:06:04 | いろいろあれこれ
 間違いに気づけばいい、気づくことから始まるのですが、この「気づくこと」が難しいのです。本当に難しいのです。あ、いっけない、「難しい」と言ったらそこで終わりだと、1月23日の記事に書きましたね。(^^;)
 ところで、この世には、とにかくやってみないと分からないということがたくさんあります。でも、ちょっとやったぐらいでは分からない、うんとやっても分からない、何十年もたってみないと分からないということもあります。それこそ、痛い目にあって初めて分かるとか、失ってから分かるとか、死んでから分かるとか。例えば、魂はあるのか、あるとしたらそれはどんな感覚なのか、生きているうちはなかなか分かるものではありませんよね。分かるのにも、それなりの縁が必要なのです。全く縁のないことは、やはり分からないまま死ぬでしょうね。これはもう頑張るとか頑張らないとかの話ではないのです。
 そして、「ばかは死ななきゃ治らない」とか何とかいいますが、私に言わせれば、「ばかは死んでも治らない」です。ただし、永遠に治らないというわけではないと思いますから、なにも絶望することはないのですよ。何千年かかるか何万年かかるか知りませんが、いつかは治るでしょう。なにしろ、神様はとてつもなく忍耐強いのですから、決してあきらめません。仏教で考えてみても、五戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)をすべて犯した者は地獄行き、8000地獄年の間、責め苦を負うわけですが、1地獄年は32億8500万年ですから、えーっとぉ・・・とにかく8000地獄年後にはそこを出られるのですよ!(^^;)
 あはは、すいませ~ん、「何を訳の分からないこと言ってやんでぇ!」と怒られそうですね。いずれにしても、分かることのほうが圧倒的に少ないのですから、せめて、身近な人が言っていることや世間でいろいろいわれていることに対して全く無関心のまま過ごしてしまうことのないようにしたいものです。
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救急車が来てるのに~。

2007-02-10 11:37:18 | いろいろあれこれ
                ハムやん来襲
 4日前、車で買い物に出掛けたところ、救急車に遭遇しました。信号待ちをしていて、右手から救急車が来たので、もうじき青になるのに、こっちの青は短いんだから嫌なタイミングで来たなぁと思いつつ見守っていました。まさに救急車が交差点に入ろうとしたとき、こちらの信号が青に変わりました。すると、私の前にいた車が交差点へ出ていったのです。わずか5~6メートル右手に救急車が、ピーポーピーポー鳴らしながら、「交差点に入ります」と大きな声で言いながら迫ってきているのに。しかも、片側1車線の市道の小さな交差点です。
 あぜんとしてしまいました。直進なら前を横切るだけですが、その車は左折、つまり、こともあろうに、救急車の前に出たのです。まるで救急車など見えない、サイレンも聞こえないといったふうで、その行く手を阻んだのです。私だったら「ぶぁっきゃろー、どこ見て運転してんだ、止まれよ!」とか言ってしまいそうです。救急隊員というのは非常に忍耐を強いられる職業で、人生経験も十分積んだ温厚なかたがやっておられるそうですが、「救急車、通ります、救急車、通ります」と冷静に呼びかけていました。その後どうなったかは、こちらからは左手の建物の陰になって見えませんでしたが、そうこうするうちに赤になり、もう1回信号待ちしました。
 そういえば、去年の夏、やはり信号待ちしていたとき、対向車線をウーウーカンカンと走ってくる消防車の直前に、私の右手に見える横道を走ってきて一旦停止していた軽自動車が出てきて、消防車は急ブレーキ、軽自動車を避けて道路中央側に寄り、信号待ちの車列にもう少しで衝突するというぐらいの位置で止まりました。本当にびっくりしたのですが、軽自動車は、「左に寄って止まってください!」ときつく言われてからやっと止まりました。もう腹が立って腹が立って、運転していた若い女の子をにらみつけてしまいましたが、果たして、彼女は反省したでしょうか?
 自転車や歩行者も、救急車が来たからといって譲るということはしないですね。「救急車、通ります」と繰り返し言ってもみんな知らん顔で横断歩道を渡っています。だれも止まりません。さすがに、私を含め、周囲の車はみんな交差点に入るに入れず凍りついたようになっているのですが、救急車は横断歩道の向こうで歩行者が切れるのを待っています。でも、ここまで書いてきて、これはマナーの問題だけではないなと気づきました。救急車を待つ人の気持ちを思いやることができないということでしょうか。
 救急車をタクシー代わりに使う人が大勢いることは知っていますし、実際、きっちり身支度してストレッチャーの上に正座して運ばれてきたお年寄りを見たこともありますが、まあ、それはそれ、たまたま遭遇した救急車は、その到着を今か今かと待つ人がいるのでしょうから、1分が明暗を分けるかもしれないのですから、タクシー代わりに呼ばれたとはかぎらないのですから、譲らなくていいなんてことはないですよね。それなのに、ああ、日本人よ、緊急出動している車に道を譲ることもしなくなったのか! 神様、彼らをお許しください、彼らはそれほど急いでいるのですから・・・って、それはないやろぉ~。
 まぁ、何にしても、「あ、間違えた~」「あれは間違いだった・・・」「私が間違っていました」と、気づけばいいのです。もちろん、早いにこしたことはありませんが、それがずーーーっと後でも、とにかく気づけばそれでいいのですよ。v(^o^)v 気づくことから始まりますから。
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いばらき、いばらぎ、なかた、なかだ。

2007-02-09 12:29:23 | 気になる言葉、具体例
 茨城県は「いばらき」であって「いばらぎ」ではありませんね。中田さん、うちは「なかた」だという人、うちは「なかだ」だという人、いますよね。中島さん、うちは「なかしま」だという人、うちは「なかじま」だという人、いますよね。「゛」だけだろ、そんなのどっちでもいいじゃないか、と思いますか。でも、本人はきちんと「なかしま」なら「なかしま」と発音していますし、「なかしま」と呼んでほしいと思っています。
 ですから、私は、中田、中島、山崎というような名前のかたに初めて会ったときは念のために正しい読みを尋ねるのですが、中には、正しく呼ばれないことに慣れてしまい、「何でもいいですよ」とすっかりあきらめモードで言う人がいます。でも、今は、何でもいいなんて言っていたらとんでもない目にあうかもしれないのですよ~。
 「消えた年金の納付記録」という驚きのニュースを聞いたことがありますか。手書きの台帳を電子化したとき、例えば、「なかだ」なのに「なかた」と入力してしまったら「なかだ」さんとは別人になってしまうとキャスターが言っていました。「えっ? 何それー!」と、背筋が寒くなりました。「゛」の有無で別人になってしまうのなら、そんな人は全国に大勢いるのではないでしょうか。
 中田といえば「なかた」だと思っている人は、たとえ「なかだ」と振り仮名がついていても「なかた」と入力しがちなのです。他人の名前の表記にあまり注意を払わないということを先日書きましたが、読み方にしてもそうです。ふだんから他人の名前をいいかげんに扱い、そこへ刷り込みが加わる、こんなに恐ろしいことはありません。消えた納付記録は、本人が領収書などで立証しないと修正してくれないそうですよ。
 そして、事務局さんが会議のメンバーを紹介するとき、事前に読みを確かめておらず、「○○さんです」と言った後、本人が「あ、△△です」、そして、「△△さんですね、失礼しました」と詫びる、これもよくあることです。紹介するのだから読み方を確認するという当たり前のこと、これができない人が多すぎます。企業の幹部会議をテープ起こしすることもよくあったのですが、「おれたちが当たり前だと思っていることを今の若い社員はできないんだよなー」という経営者の嘆きは何度も聞きました。
 では、当たり前のこととは何でしょうか。簡単にいうと、気づいてすぐに対応するということではないでしょうか。資料がこうだと見にくいだろうな、間違えやすいな、じゃ、こうしよう、これだと相手が困るだろうな、このままだと不便だろうな、能率が悪いな、じゃ、ここをこうしよう、そういうことに気づき、すぐに対策を立てられるかどうか。でも、この辺の反応がどうも鈍いというのは、別に若い人に限ったことではありませんよね。
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年度末はやたらと忙しいテープ起こし。

2007-02-08 10:29:31 | ディクテーションについて
 テープ起こしは2月と3月が繁忙期で、2か月の間に休みは2~3日というほどの忙しさです。なぜかというと、役所やそれに関連したところが年度末にわっといろいろなものを出してくるからです。中には、「えーっ、こんなもの、本当に起こすの?」というひどいものまであり、耳がおかしくなります。
 録音の質は、7年前と比べてよくなったかというと、そんなことは決してありません。機器は便利に進歩しているのかもしれませんが・・・、雑音のひどさ(紙の音や咳などが大きく入っている)と分かりにくい話し方は相変わらずで、むしろ、デジタルになったことで音が鋭くなり、雑音が鼓膜に突き刺さります。ただでさえ間違った日本語のせいで聞き取りにくくなっているのに雑音がひどいので、語尾がほとんど聞き取れない、何と言っているのか判別できない、そういう人は珍しくありません。
 入力はもちろん、以前はテープでフットコントロールだった音の再生もパソコン、資料は印刷物からPDFファイルになり、それを見るのもパソコン、全部一つのパソコンですから、やりにくいことこの上なし。なぜやりにくいのかって? 足で操作していたものを手で操作するようになり、手の負担がまた増え、変換・決定に不都合な点もあるのです。音だけでは判別できない言葉を資料から拾うのに、見ながら入力ということができないのですから、おまけに、資料を読み上げているときなどは必ず早口で小さな声になりますので、これで聞き取れといっても無理、本当に気が狂いそうになります。
 昨シーズンなど、本当につらくて気が変になりました。いろいろな意味で人間扱いされていないと感じたからです。私はこの仕事を他人様にお勧めはしません。でも、自ら体験してみて何かに気づいたら、それもいいかもしれませんね。委員会や会議の事務局さん、講演会のスタッフのかたがた、一度、自分でテープ起こしをしてみませんか?
 写真のハムやん、綿運びの最中で大忙しです。
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変な日本語、その3、聞き手に甘えている。

2007-02-07 12:57:11 | ちゃんとしゃべれ!変な日本語
 「Aさんを来ていただいて」、これをおかしいと感じますか? 感じなかったら、あなたの日本語は相当大変なことになっていますよ。「Aさんをお招きして」と言うつもりだったのに、「お招きして」に抵抗を感じたのか、何か都合の悪いことを思い出したのか、急きょ「来ていただいて」に変えたようなのですが、すでに「Aさんを」と言ってしまったのだから「お招きして」と言えばいいのです。なぜ無理やり「来ていただいて」に変えるのでしょうか。とにかく何でもかんでも「いただいて」で、それならそれで「Aさんに」とすぐ言い直せばいいのですが、それもしません。
 助詞が間違っていても意味は通じるだろうという「聞き手に対する甘え」があります。今、多くの人は徹底して聞き手に甘える話し方をしています。聞こえるだろう、分かってくれるだろう、知っているだろう、これは甘えです。そして、日本人の言葉の丁寧さというのは、実に中途半端です。「大勢の人が来ていただいて」とは一体何なのでしょうか。来てくれたことを喜んでいるのなら、「大勢の人が来てくださって」が本来の言い方です。「来ていただいて」なら、「大勢の人に」です。必死で呼びかけて集まってもらったのなら、助詞は「に」です。
 私の場合、ストレスがたまっていても、かわいいハムスターが癒やしてくれます。ストレスがたまっているのにハムスターがちっとも顔を出さなかったら、ハムスターには悪いけれど、ハウスの屋根をどけて爆睡中のハムスターをつかみ出し、おなかに鼻を押し当て、半眠りのハムスターに癒やしてもらいます。ハムやん、ごめんな、我慢できんかったんや。
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人の名前は正しく表記すべし。

2007-02-06 09:40:12 | 言葉についてあれこれ
                ハムハサムニダ
 公開する文書で人の名前を正しく表記するのは最低限のマナーではないでしょうか。先日、ある建築物の設計者の名前を確認しようといろいろ調べてみたのですが、個人が書いているブログではなく、ある機関が公開している公式HPを見てがく然としました。最初に出てきた表記が間違いだったのです。間違いだと気づいたのは、同じページの数行後に違う表記で記載してあったからです。ほかの公式HPも幾つか当たって結論を出しましたが、このいいかげんさには本当にあきれます。
 名前を正しく書いてもらえない、正しく言ってもらえない、これは本人にとって非常につらいことです。あるテレビ番組で、リサ・ステッグマイヤーさんが、スティックマイヤーとかステップマイヤーとか、なかなか自分の名前が正しく認識されないので困るということを言っていました。そうですね、日本人は、スティックは知っていてもステッグは聞いたことがないですからね、ついつい知っている言葉に置き換えてしまうものですから、それがたとえ人の名前であっても。
 私は治納由気ですが、これを正しく読めといっても無理なので、治納由気(はるなゆき)と、読みを併記します。人の名前を調べるとき、どういう漢字なのか見当もつかないというとき、とりあえず平仮名で検索してみますので、漢字と読みを併記してあるものはとても助かります。でも、それが本人の書いているものでなければ、それだけを見て信用すると痛い目にあうので、その人物を特定するヒントになるキーワードで検索し、本当に合っているかどうか確認します。というわけで、大変な手間がかかるのですから、正しい表記ということを少しは気にしてほしいと思います。
 写真は、デーブ・スペクター氏の「サンドイッチは韓国語でハムハサムニダ」というシャレを具現化してみたものです。サファイア3兄弟に出演を依頼し、快諾を得て、パンとレタスでセットを組み、撮影しました。報酬のチーズは、出演者の強い要望により前払いにしました。それぞれの表情は、実によく性格を表しています。
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無関心は人を傷つける。

2007-02-05 13:35:14 | ストレスと闘いながら
 朝、目が覚めると、11時近かった。えーっ、うそー! と飛び起きましたが、昨日はひどく落ち込んで、「メン・イン・ブラック」を見てゲラゲラ笑って気分転換した、と思ったのですが、そんなことではだめだったのですね、やはりまだ何か鬱々とした気分です。起きたくなかったのですね、目覚ましは、鳴る前にふと目覚めて止めてしまっていました。
 私は、テープ起こしで変な日本語を聞き続け、許容量を超えてしまい、変な日本語アレルギーになってしまいましたが、ここ何日かそれが悪化するようなことがあって、周囲の人の無理解ということについて深刻に考え込んでしまいました。
 例えば、化学物質過敏症の人は、ほかの人には何ともないもの、当たり前に周りにある化学物質が苦痛の原因になるわけで、「私は化学物質過敏症なのです、化学物質に体が耐えられないのです」と幾ら訴えても、周囲の人は、どうでしょうか、恐らく、積極的に化学物質を取り除いてくれるなんていうことはないでしょう。自分たちは何ともないのですから。
 でも、本当に何ともないのでしょうか。本当に、体に悪いものではないのでしょうか。本当に、人間にとって全く害のないものなのでしょうか。薬の副作用とは何でしょうか。強烈なにおいの塗料で気分が悪くなるのは何でしょうか。次に新築の家に引っ越してシックハウス症候群になるのはだれでしょうか。「許容量」というラベルが貼ってある容器がいっぱいになるのはいつなのか、考えてみたことがありますか。
 変な日本語も、アレルギーでない人は何も気にしていません。私が、これは変な日本語だ、害があるんだと幾ら訴えても、「そおぉ? そんなの、どっちでもいいんじゃないの?」と、どこ吹く風です。その表現を使ってはいけない理由についてきちんと説明しても、右の耳から左の耳へ抜けていく様子がありありと分かります。つまり、自分が困っていないことには、人は関心を示さないのですね。そのことを、今、実感しています。でも、「ちゃんとしゃべれ!」を出したということは、とりあえず話を聞いてもらう手段だけは用意したということで、全く絶望しているわけではありません。
 世の中にはいろいろなことで苦しんでいる人たちがいて、そのものの苦しみと同時に、だれにも理解されないことにも苦しみ、せめてこういうことがあるのだと分かってもらえたらと思っている、そのことを忘れないようにしたい。自分の苦しみに埋没せず、他人の苦しみに関心を持つことができたら、と思います。
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痛くても仕事。

2007-02-04 11:20:02 | ストレスと闘いながら
 朝、目が覚めると、とにかく明るい、明るくて、「ここはどこだ?」と思ってしまいます。北陸の冬は灰色の雲が空を覆い、昼間でも暗い、冬中ずっと暗いのが普通なのですから、複雑な心境です。とはいえ、この明るさ、やはり気持ちがいいですね、ほっとします。
 昨日、久しぶりに一日中文書の入力をしたら、肩甲骨の内側辺り、ツボでいうと肩外兪(けんがいゆ)のところが痛くなりました。昔、CADをやっていたこともあるのですが、そのときは、右手ばかり使うので、常に右肩がひどく凝っていました。肩凝りというより、激痛でしたね。それと比べると、両手をバランスよく使う文書入力は楽なほうです。姿勢さえ気をつければ、そんなにひどい肩凝りにはなりません。やはり何でもバランスが大事なのですね。
 ただ、バランスがいいといっても、テープ起こしはとにかく入力の量とスピードが半端でないうえに、自分の言葉を入力するのとは違い、通常の入力よりEnterキーをよく使うので、右手の薬指、小指という、もともと弱い指の負担が特に大きく、結局は右手を痛めて鍼灸治療を受けましたが、それも今となってはかえってよかったと思っています。
 あるとき、左の人差し指のちょっとした切り傷が化膿して腫れてしまったことがあります。中に膿がたまり、とても痛かったのですが、たまたま年末年始でひたすら我慢、やっと3日に当番医さんのところへ行き、切って膿を出してもらいました。お医者さんが「痛いでしょう、我慢してね」と何度も言ってくださるのですが、私は、「いいえ、膿が出ていくのがうれしくて」と答えました。三日三晩痛みに耐えてきたので、もう「痛い」という言葉が出てこなかったのです。
 その後、5日間ほどその医院に通って治療を受けたのですが、4日から仕事でしたから、包帯を巻いてもらうとき、そのつど、指の先端を出してほしいと頼みました。そうでないと、滑ってキーをうまく押せないからです。包帯のせいで完全に指を曲げることはできなかったのですが、そんなに困りませんでした。というのは、左手の人差し指の出番が意外に少なかったのです。R、T、F、G、B ですが、曲がらない指の先端でポン、これで十分いけました。人差し指よりも、キーボードの「A」が消えているところを見ると、小指は随分酷使しているのでしょうね。
 この写真、薬のにおいがしてハムスターには迷惑だったでしょうけれど、やはり慰めてもらっています。
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きんくまやロボロフスキーは飼えない。

2007-02-03 11:00:58 | ハムスターあれこれ
 うちのハムスターは、ジャンガリアンのノーマルグレーやホワイト、サファイア、いつも複数いて、交替で部屋を散歩したりするので、きんくまとロボは体格が違い、万が一脱走したりして出会ってしまったら恐ろしいことになりそうですから、残念ながら、うちでは飼うことができません。
 散歩させるときは「○○ちゃん散歩中」と書いた紙を出すとか、注意しているのですが、うっかりしたり、運動能力の高い子が脱走していたり、本気のけんかになってしまったことは実際にあります。中には、それ以降、性格が攻撃的になる子もいます。その子は、やはり外には出たがるのですが、散歩というより、パトロールです。においつけを一生懸命やって、おいしいものを要求して、もらったらさっさと帰ります。
 ところで、ハムスターにかまれて、腫れるときと腫れないときがあるので不思議に思っていたのですが、犬ちゃんを飼っていた友人から参考になる話を聞きました。かまれたら、薬を塗る前に、傷口をちょっと指で開くようにしてきれいな流水で洗うことが必要で、それをしないで薬を塗ってもだめ、治りにくくなるのだそうです。
 そうですね、よく考えてみると、焦って傷テープを貼ってしまったときは腫れます。ギュッと押して血を出して、洗って、ティッシュでふいて、自然に血が止まるまで待ってそのままにしておいたときは腫れません。傷テープが必要なほどの傷でも、焦ってはいけないのですね、うんうん。
 写真の子、私の指にかみついてぶら下がっていますが、これでもちゃんと手加減(かみ加減?)してくれているのでさほど痛くないのですよ、ぶふふ。
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映画マリー・アントワネットはドラジェの色。

2007-02-02 09:20:24 | いろいろあれこれ
                 毛ぼた餅!
 昨日見てきましたよ。淡々と、ささっと展開して、細かいことはみんな知ってるからいいでしょ? という感じでした。ですから、全く予備知識がなかったらちょっと苦しいかも。でも、色彩がドラジェのようで、とてもすてきです。ドラジェは古くからあるお菓子ですから、もちろん映画の中でもちゃんと出てきました。かわいい犬ちゃんもいっぱい出てきて、すごい料理やかわいいお菓子が山ほど出てきて、フェルゼンが・・・うっそー! こほん、失礼、なにしろ「ベルばら」全巻読んでますから。
 ちなみに、オーストリアはまだ「オーストリー」ではなく「オーストリア」でした。国の名前を漢字で書くと、アメリカは、日本語では米国ですが、中国語では美国、フランスは、日本語では仏国ですが、中国語では法国、これってだれがどうやって決めたのでしょうかね。japan は、ご存じのとおり、漆、漆器という意味で、china は磁器という意味です。うんうん、これは納得。
 今日のお気に入りワード、「金の力に飽かして」、こういう表現は久しぶりに聞きました。フィリピンへ臓器を買いに行くうんぬんという話の中で出てきた言葉ですが、「飽かす」「飽かせる」は、十分にさせるという意味で、「金に飽かして」「金に飽かせて」で、十分お金をかけてという意味になります。でも、実際、あまりいいイメージはないですよね。「金に」が思わず「金の力に」になってしまった、それは、「金にものを言わせて」や「札びらを切る」に近いイメージがあることをはっきり表していて分かりやすいですね。
 私は洋菓子も和菓子も好きなので、ドラジェも、ぼた餅も、大好きです。
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でじたる書房から「ちゃんとしゃべれ!」。

2007-02-01 09:21:43 | 電子書籍(でじたる書房)
 電子書籍です。タイトルは、「ちゃんとしゃべれ! あなたの日本語 ここが変だから直してください」、カテゴリーは「教養」の「一般教養・雑学」ですが、私は緊急提言だと思っています。著者名は治納由気(はるなゆき)です。「テープ起こし」という仕事によって知った日本語のひどい現状、日本語をテーマにしたテレビ番組でも既存の出版物でもまだまだ認識が甘い、こんなものじゃないと危機感を覚えて本を出したというわけで、このブログでも日本語についていろいろ訴えています。
 「でじブックリーダー」というのをダウンロードして電子書籍を読むのですが、リアルな本のような感覚で読めて面白いですよ。無料のお試し版があるので、一度それを見てみてください。本の下にある水色の細い線をクリックするとその辺りのページが開き、ページの端の△印をクリックすると紙がめくれる、すぐに面白さが分かります。
 でじたる書房は http://www.digbook.jp で、検索エンジンで「でじたる書房」や「電子書籍」で検索しても上位に出てきます。本の表紙では、青いメガネをかけたハムスターが「ちゃんとしゃべれ!」と言っています。
 本の紹介ページにここから直接行くなら
http://www.digbook.jp/product_info.php/products_id/7732

 日本語がおかしくなっているといっても、どこがおかしいのか、日ごろ話している日本語のどこが間違っているのか、何をどう直さなければならないのか、これを読んで一度チェックしてみていただきたいのです。自分の話している言葉、書いている言葉、変なところがないか気にしていますか? みんな相当おかしくなっていますよ、常に正しい助詞を使えますか? 正しい言い回しができていますか?
 ところで、「思ってたのと違ってて」を、若い人は「思ってたのとちがくて」と言うのですね、一般の人がそう言うのをこれまでにも聞いたことがあるような気はするのですが、芸能人がテレビ番組の中でそう言うのを聞いてとても違和感を覚えました。友達どうしでおしゃべりしているのではないのだから、そこはやはり「思ってたのと違ってて」と言うべき場面で、やはりふだんの言葉遣いが大事だなーと改めて思いました。
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