なだめるじいやに強気に「いや、明日、行ってくるけん!」
JRの時間表と、パソコンで検索した地図を必死でたしかめた・・・
しかし、はじめて行く直方への道程は、とてもわかり難くくて見知らぬ街で
一軒の家を探すことは困難なものだった。
あきらめて、直接に電話をしてみようと決心した。
プッシュホンの手が震えてかけなおすこと数回、呼び出し音がなり
ドキドキと心臓の音がたかまる。
「母がお世話になっていました・・・」電話の声は、娘さんだった。
事故ではなかった。
この春3月に、スイミング教室で水泳中に脳出血でたおれて
帰らぬ人になられたと・・・まだ63才という若さで。
知らぬが仏とは、このことか・・・
ひさしぶりに逢えるかと思い、喜々として出していた葉書を
一度も手にすることも、読むこともなく、すでにこの世の人ではなかった
Uさんだった。
「新年のご挨拶を、控えさせていただきます」との挨拶状には
「季節ごとのお便りを、ありがとうございました」との添え書きもあり、
Uさんご家族の温かさを感じると共に、いっそうのさみしさを募らせた。(合掌)
もう泣きません
歌のように、風となり星となり
いつもあの大空から、見つめてありましょうから・・・
暗く重い記事にも、多くの皆様方からお付き合いをいただきました。
ありがとうございます。
今、このように書き留めることができるほどに
いつものわたしに戻りました。
所詮天然の私です。
明日から、いつもの杏子で参りますので 。