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滋賀・京都・奈良の古刹巡りも京都に入ったが、最初に行ったのは大報恩寺である。京都では『千本釈迦堂』と言ったほうが通りが良いのだが、場所は四大色街の一つ上七軒からすぐのところにある。
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このお寺は真言宗智山派の寺院で本堂の行快作本尊釈迦如来像のため、千本釈迦堂の名前がついた。また、開創は1227年と鎌倉時代であるが、本堂は創建当時のままで応仁の乱でも燃えなかった京都最古の木造建築物(国宝)である。
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まずは本堂に行くが、ご本尊は秘仏で見ることが出来ない。しかし、これを収めた厨子や天蓋も創建当時のもので古いには古いが見事な造りである。また、柱にも彩色が残っているが、かつては見事なものであっただろう。
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さらに堂の奥に行くとおかめ像があり、ケースには集めたのか、寄贈されたのかたくさんのおかめのグッズがならんでいる。実はおかめとはこの本堂の建築に携わった大工、長井飛弾守高次の妻のことである。エピソードは高次が重要な梁の寸法を間違えて短く切った際に、おかめが枡組を使えば良いとアドバイスして事なきを得た。しかし、専門家でもない大工の妻のアドバイスで仕事を成し遂げたと言われては高次の恥と上棟式の日におかめは自害してしまう、というもの。これを夫婦円満の話として後世に伝えられたものだが、現代ならばやや違和感を抱く人もいるかもしれない。ただ、昔の人にとっては雨月物語の『菊花の約』同様、死生観が違うのかもしれないが。
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別棟の霊宝館に行くとこちらには仏像が多数保管されている。目を引いたのは定慶作の六観音(聖、千手、馬頭、十一面、准胝、如意輪)、いずれも秀作である。ほかにも快慶作の十大弟子像(重文)はその厳しい眼光にひるむほどである。
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外に出るとおかめの碑があり、さらに大木が3本。銀杏と松と桜があるが、桜は見事なしだれ桜で阿亀櫻と言われているそうである。春にはさぞかし綺麗な花を咲かせるだろう。大報恩寺は小さなお寺ではあるが、見所の多いスポットであった。
大報恩寺
上京区七本松通今出川上ル
0754615973