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京都の古刹巡り2社目は即成院。現在は泉涌寺の塔頭であり、泉涌寺の総門のすぐ手前左側にある。駐車場を探すとないので電話で問い合わせると山門をくぐり、境内に駐めてよいとのこと、門前ではなく、境内に駐めて参拝する。
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即成院は992年恵心僧都源信にあるより伏見に造られた光明院が始まりで藤原頼通の子である橘俊綱が山荘造営にあたり、当院を持佛堂として傍に移設し、即成就院と呼ばれていた。現在の地に移され、再興されたのは1902年である。真言宗泉涌寺派で、那須与一の墓所があることでも知られている。
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本堂の扉を開けて参拝するが、それほど広くない本堂にはご本尊阿弥陀如来像を始め二十五菩薩像が安置されている。定朝の作といわれているが、阿弥陀如来像は丸くてふくよかな仏像で典型的な平安後期の作と言えよう。
この時代は末法思想の影響を受け、死後の世界に強く人々は関心をもち、極楽浄土を求めた。真ん中に阿弥陀如来(重文)、周りに二十五菩薩(重文)を配置することにより、立体的な極楽さながらの情景を見た人々は深く崇拝したであろう。現代の目で見てもありがたい仏たちと思えてくる。即成院では内陣に入る事が許されており、間近で仏像を拝む事が出来るのも嬉しいことである。
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お堂の右奥に戸があり、これを出て坂を少し登ると大きな五輪塔があるが、那須与一の墓がある。係りの人の説明ではお骨は外の小さな墓石のところに埋葬されている。源義経の命を受け京に向かう途中伏見で病に倒れた那須与一は熱心に阿弥陀如来像を拝み、その霊験から病もいえ、屋島の戦いであの扇の的を射ることができた。その後、与一は京都に凱旋した後に出家し、屋島の戦いで亡くなった人の菩提を弔い、その後、平和に暮らし、阿弥陀如来像の前で亡くなったとされている。このため、与一の墓は即成院に造られたとのことで、今も子孫が大阪に住み、墓参りにくると寺の人から聞いた。
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それほど名が通った寺ではなく、我々以外に参拝する人もなかったが、阿弥陀如来像と二十五菩薩は圧巻であり、仏像が好きな人にはおすすめの寺院である。