hokutoのきまぐれ散歩

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冬季オリンピック雑感

2018-02-09 05:00:32 | 日記

いよいよ平昌オリンピックが8日に始まった。開会式は9日夜なのにその前日から始まるのは夏季大会と同様の傾向なのだろうか。しかし、この平昌大会はなんとなく盛り上がらず、北朝鮮の応援団の話ばかりが報道されている。

冬季オリンピックが始まったのは1924年シャモニー・モンブラン大会。日本は1928年第2回サンモリッツ(スイス)に参加したのが最初である。最初はスキーノルディックに6人が参加しただけでシベリア鉄道に乗って行き、残念ながら予選で全員敗退した。夏季大会の方は1912年ストックホルム大会が初参加だから16年遅れている。しかも世界とは技術だけでなくスキー板の材質やワックス知識もなく、世界レベルで戦うのは時期尚早であったのかもしれない。
それでも1932年レークプラシッド(アメリカ)大会ではスキージャンプで8位入賞、1936年ガルミッシュ・バルテンキルヘン(ドイツ)大会ではジャンプで7位入賞、スピードスケートでも500mで石原省三が4位入賞と盛り上がった。ただ、1940年は札幌市でオリンピック開催が決まっていたが、第二次大戦で返上、この後は長いブランクを余儀なくされることになる。

では冬季オリンピックでの初メダルはあまりに有名だから知っている人も多い。1956年のコルティナダンベッツォ大会でアルペンスキー男子回転で猪谷千春はトニーザイラーには敗れためのの銀メダルを獲得、この事実は日本だけでなく欧州以外の選手がアルペンでメダルを初めて獲得するという大快挙であった。さらにその後70年近く経過しているが、日本はアルペン種目でその後にメダルを獲得したことがないのである。

初の金メダルはもちろんあの有名な1972年札幌大会のスキー70m純ジャンプ笠谷幸生である。この時は銀・銅も日本勢で表彰台を独占という快挙であった。しかし、この大会もメダルはこれだけということはあまり知られていない。
一方、スケートは徐々にスピードスケート短距離を中心に実力を付けてきて、1984年カルガリー大会では黒岩彰にメダルの期待が高まった。ただ、今からは信じられないが、カルガリーは屋外リンクで雪が降り続く悪コンディション、長い間待たされ、さらにアウトスタート、残念ながら黒岩選手は10位に終わった。しかし、伏兵だったのが、北沢欣浩、当時法政大学の学生であったが、500mで見事2位に入り、これがスケートでは初メダルとなった。私も夜中の1時にラジオ放送でこの実況を聞いていたのだが、興奮した思い出がある。

今ではスケートは屋内リンクに変わり、コンディションの問題はないが、常に金メダル候補と言われながら中々本番で金メダルが取れなかったアメリカのダン・ジャンセン、2002年ソルトレーク大会でわずかに8歩走り始めたところで躓いたカナダのウォザースプーン、とかく前評判通りに行かないのが冬季オリンピック。さらにスキーは風や温度、雪質などにも左右される。是非運も味方につけて日本勢の活躍を期待したい。