hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

願成就院

2016-03-20 05:00:51 | 旅行

4社1寺を巡る旅の最後の寺社は唯一の寺である願成就院。寺伝では729年創立と言われるが、吾妻鏡の記録からは北条政子の父である北条時政が源頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝祈願のため建立されたと書かれている。その後、北条氏の寺として栄華を極め、次々に伽藍や塔が建てられ大寺院となったと言われる。まさに建立の意が寺の名前となっている。

場所は伊豆箱根鉄道伊豆長岡駅が最寄りで街道から少し離れた静けさの中にある。伺ったのはちょうど3時頃で先客のおじさん3人組がボランティアガイドの上田さんを呼んで話を聞いていたところに合流して話を伺った。

寺の歴史だが、鎌倉時代の繁栄とは裏腹にその後衰退し、豊臣秀吉の小田原攻めの際に兵火に見舞われてしまう。江戸時代に北条美濃守氏貞が仏像の修理を行い、復興に努めたようだ。
この寺に来たのも本尊の阿弥陀如来坐像、不動明王立像、毘沙門天立像、ほか2童子像が運慶作と聞いたからである。(全て国宝)

お堂に入ると正面に阿弥陀如来坐像、中々凛々しい像で威厳がある面持ち、上田さんの話では螺髪などがおれ、また、指先が欠けているのは火事などから避難させたりした折に発生したものと考えられる。

小生は右にある毘沙門天立像に目が釘付けになった。2匹の邪鬼を踏みつけ、鎧に身を包む激しい形相とバランスのよいスタイル。玉眼が暗くすると睨みつけられているようだ。

さらに、不動明王も逞しい姿と睨んだ形相が素晴らしい。この2像は完全に残されており、新しい感じさえする。


奥の宝物館には北条政子地蔵尊と時政公の坐像なども飾られているが、北条政子地蔵尊は男らしいと言いたくなる。他にも毘沙門天などの胎内から出てきた塔婆形銘札もあり、はっきり『時政』『運慶』の字が読み取れる。また、涅槃図や曼荼羅もあり、興味深い。特に涅槃図はその絵に出てくる動物たちの表情が面白い。


境内には北条時政の墓、また、すぐそばにかつて南塔があった跡などもあり、昔は大寺院であったことを偲ばせる。


これだけの仏像が収納してあり、また、韮山反射炉にはあれだけの人がいたのにも関わらず、それ程の人が来ることもなく、ゆったり鑑賞することができた。

願成就院
静岡県伊豆の国市寺家83ー1

三嶋大社

2016-03-19 05:00:41 | 旅行

4社1寺を巡る旅の4社目は三嶋大社。箱根から山を降りて山中城跡の横を通過、三島の街に入る。しかし、神社よりうなぎとまずは腹ごしらえをして、ゆっくり参詣する。

三嶋大社は三島市の中心街に位置し、伊豆国一宮で官幣大社と格の高い神社。社名の『三嶋』とは伊豆諸島を指すと言われ、三島自体がこの神社があったために三島と呼ばれるようになった。創建は不詳とされるが、平安後期の吾妻鏡には記述が残る。その際に源頼朝が立ち寄り三嶋神を拝んだと言われている。

社殿は本殿、幣殿、拝殿からなる権現造で神門から入るとすぐに舞殿があり、その先に社殿が広がる。昼過ぎに参拝したが、大安ということもあり、結婚式が多数行われた様子で拝殿はその真っ最中。一方、暖かいので新生児のお宮参りも何組もあり、微笑ましい雰囲気であった。霊験あらたかなのか、お参りに列ができるほどで10分待ってようやくお参りも終了。また、おみくじも願い事により蛙や小槌などのマークに分かれているのも面白い。

境内には樹齢1200年の金木犀の大木があり、天然記念物に指定されているようだが、今の季節は丸裸であった。

奥には鹿園もあるようだが、ここには伺わずお参りにだけで退散した。しかし、地元民に加え、観光客、とりわけ外国人の姿が目につく三嶋大社であった。

三嶋大社
三島市大宮町2ー1ー5

高田屋~三島ランチグルメ

2016-03-18 05:00:59 | グルメ

三島大社にお参りにやってきたが、三島と言えば『うなぎ』というのが小生の数少ない三島についての知識。同様に浜松でも九州柳川でも、熱田神宮でもうなぎが名物ではあるが、浜松は日本最大の養殖池浜名湖のそばに立地していること、柳川はせいろ蒸しという食べ方、熱田神宮はひつまぶしという食べ方とそれぞれに特徴がある。それではと『三島とうなぎ』の繋がりを調べるとやはり富士山の名水がその裏にあるようだ。

また、色々と調べると1180年源頼朝が三島大社にお参りに来た際に神池にうなぎが沢山いて手を鳴らすと岸に集まったとの記録があるが、うなぎは神の使いで食べることは禁じられていた。しかし、明治維新の際に薩長の兵隊がその言い伝えを知らずうなぎを食べたがバチが当たらなかったのでそれ以来地元民も食べるようになったとのこと。

前置きは長くなったが、確かに三島にはうなぎの名店が多いものの、いずれもあまり規模が大きくないため昼時は大混雑。『うなよし』『桜家』『すみの坊』あたりを覗いたが、午後1時過ぎというのにいずれも長蛇の列。諦めて『すみの坊』から歩き始めると『高田屋』という店を発見。ぐるなびでも良さげな評価のため、入店。

ラッキーにも一ボックスだけ空いており、すぐにうな重(2枚、2500円)を注文。ただ、肝焼きはやはりsold out。

メニューをよく見るとコロッケが名物らしいが、これは妻の反対で諦める。10分くらいでうな重が登場。蓋を開けるといい匂い。

山椒を掛けてまず一口。タレはあまり甘くなく、さっぱりしている。関東風だが皮はパリッとしていて香ばしい。


腹も減っていたこともあり、箸が止まらない。あっと言う間に完食。肝吸いも美味しく、最近ならば値段もリーズナブル。他にも揚げ物や天丼、海鮮丼とメニューも豊富、超有名店ではないがおしすすめである。付近の有料Pの駐車券はレジで言うと1時間分くれるので持っていくといい。名物にうまいものなしとはいうが、三島のうなぎは中々いい。

高田屋
三島市本町1ー41
0559750495

箱根神社

2016-03-17 05:00:11 | 旅行

今回の旅行では神社を4社、古刹を1寺をお参りしたが、箱根神社で3社目である。箱根神社は芦ノ湖畔に大きい鳥居が立ち、参道はここから続くが、車では境内のすぐ傍まで行くことができる。駐車場には朝9時に到着したが、殆ど車の姿はまだない。


無料駐車場に停めて、鳥居をくぐり、社務所に朱印帳を預けて階段を登る。神社の縁起は757年まで遡るが、万巻上人という人が僧・俗・女の3体の神を箱根三所権現として祀り、その後万巻が芦ノ湖の九頭龍を調伏し、九頭龍社を建立、九頭龍を守護神として祀ったとされる。


参道の階段の途中には曽我兄弟が祀られた曽我神社がある。その先の鳥居をくぐると本殿となる。


ここには箱根大神が祀られ、これは瓊瓊杵尊・木花咲耶姫命・彦火火出見尊の三神の総称である。
本殿の右側には今人気のパワースポットである九頭龍神社新宮、さらに芦ノ湖を渡ると船が徒歩で行く九頭龍神社本宮があるとのこと。また、元宮は駒ケ岳山頂にあり、中々スケールの大きい神社であった。

また、箱根七福神では恵比寿天をお祀りした恵比寿神社が出口に近いあたり。杉並木も立派な素晴らしい神社であった。また、九頭龍神社本宮の鳥居は毎朝NHKの天気予報で拝むことができるからぜひご覧いただきたい。

箱根神社
神奈川県箱根町元箱根80ー1

富士山本宮浅間神社

2016-03-16 05:00:19 | 旅行

今回4社1寺の旅の2社目。北口富士浅間神社にお参りをしたのならば、次は静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間神社にもと続けてお参りをする。ちょうど富士山の周りを回るように富士吉田→山中湖→本栖湖→朝霧高原とドライブをするが、ようやく朝霧高原を越えたあたりから雪は小降りになり、高度が下がると雪が雨、これも止んで富士宮市につく頃には嘘のような良い天気。


富士山本宮浅間神社は駿河国一宮であり、全国1300の浅間神社の総本社と格が高い。ちなみに富士山頂にある浅間神社はこの神社の奥宮にあたる。祭神は木花咲耶姫である。

歴史は古く、この神社は垂仁天皇3年に富士宮市山宮に浅間神を祀ったとされる。その後、今の富士宮市宮町に遷座されている。楼門を入るとブラタモリでも紹介されていたが、2重の楼閣構造となっており、特に横から見るとその珍しい建築様式がよく分かる。今の社殿は1604年に徳川家康の造営によるもので左右対称のなかなか素晴らしい建物である。


社務所の横あたりから外に出ると湧玉池。この池はかつて富士登山に行く前に体を清めた池があるが、その水は湧水のため透明度が高く、魚が泳ぐのがよく見える。


池の水は何層にも重なった溶岩の間から湧いており、特別天然記念物となっている。ちょうどつがいの鴨たちが泳いでいた。


そのあと、腹も減ったので駐車場にある茶店で名物富士宮焼きそばをいただく。富士宮焼きそば公認店らしいので入店して名物を頂く。すぐに店員さんが調理を始める。そして5分くらいで名物登場。焼きそばはキャベツが細かく刻まれ、肉と炒めた上でウスターソースで味付けされたもの。麺はやや太めだが、あっさりしていて中々美味い。

そして、腹も膨れたので恐れつつも雪の箱根を目指した。

富士山本宮浅間神社
静岡県富士宮市宮町1ー1

北口本宮冨士浅間神社

2016-03-15 05:00:28 | 旅行

休みを取って、富士山から箱根、伊豆のドライブ旅行を試みる。しかし、生憎続いていた雨が中々止まず、寒い。中央道を走るが、途中大月で猿橋によるが、この辺りから雪混じりとなり、富士吉田に近づく頃にはもう一面雪景色。富士山を拝むどころではない。

しかし、せっかくだからと『北口本宮富士浅間神社』を訪れる。富士山の周りには浅間神社は数多くあるが、この社は格が高い。

もとは諏訪の森と言われ、諏訪神社の鎮座地に浅間神社を勧請したと伝わり、1561年武田信玄による富士権現造営がこの神社の元となったと考えられている。

小生は神社入口の鳥居の脇にある駐車場に車を止めたが、既に駐車場は真っ白。戻るまでに積もるのではと気になるくらいの雪。参道を歩くが人も少なく、その風景は行く年くる年の中継を見ているようである。


周りの高い杉に目を奪われつつ、随身門をくぐり拝殿を目指す。随身門には2人の侍がいる。まずは神楽殿、そのとなりには雪の花を咲かせた梅の木が。


さらに太郎杉がお出迎え。県指定の天然記念物らしいが、それにしても大きい。さらにそれにしても静か。


拝殿でお参りをして、朱印を貰う間に重要文化財の東宮、西宮をお参りする。

西宮のとなりにある鳥居が富士山登山の吉田口にあたる。他にも見るべきは沢山あったが、駐車場の車が心配なのと寒いのであまりゆっくりも出来ず出発。それでも富士山信仰を垣間見た気がした。しかし、次はあったかい時に来たい。


北口本宮富士浅間神社
山梨県富士吉田市上吉田5558

わさび丼

2016-03-14 05:00:15 | グルメ

せっかく伊豆に遊びに来たんだからとかつて孤独のグルメseason3で井の頭五郎がおかわりするほど絶賛した河津七滝温泉の『かどや』さんにお邪魔する。

伊豆半島の真ん中を走る国道411号をまっすぐに南に向かう。途中、旧天城隧道などに寄り道をして、河津七滝ループ橋を降りて入口すぐのかどやには10時過ぎに到着。

朝食後まだあまり時間も経っていないことからまずはご主人の稲葉さんの話を売店で聞く。稲葉さんはよく切れる包丁で取れたばかりのわさびの整形をしていて、葉茎と花、わさび本体、葉を分ける作業中。


わさびの生産にはかなりのキャリアがあり、こちらが立派なわさびですねと言うと立派なわさびでも1年半は育てないと水っぽいものしかできないが、今はスーパーなどにわさびを並べる時代だから形ばかりに目がいくが、これではダメだと厳しいご意見。頑固そうだが、優しく親切に色々と教えてもらう。

では、わさびの食べている部分は植物の根、茎何れか分かりますか?実は茎、正確には根茎と言って葉茎とは区別されるが、あのゴツゴツした辺りから葉茎が出ていたもの。わさびが伸びていくうちにゴツゴツした痕跡を残すのだ、なんて話をする。

そのあと10時半には食堂に行くが、腹が減らないので妻と2人でわさび丼(550円)1つを注文。ちなみに五郎さんが食べた頃は400円であった。
すぐに7センチくらいのわさびとサメ肌おろしが登場。おばさんから『葉を落とし、そちらから丸を描くように全ておろして』と指示。妻と2人で全ておろすがいい香り。


5分ほどしてご飯に鰹節がたくさんかかったものとわさびの珍味4種(わさび漬け、茎の酢漬け、わさび海苔、わさびの味噌漬)が登場。おばさんから『ご飯の真ん中にわさびを載せて周りから醤油をかけ、全体を混ぜて食べる』と指示され、それに従い食べる。辛いのに強い小生は甘ささえ感じるわさびと醤油、鰹節がよく混ざり、シンプルだが美味い。妻にはやや辛いようだが、それでも箸が止まらない。


2人でだからなのか、すぐに完食。他にも蕎麦や茶漬けなどがあるが、やはりここまできたらやはりわさび丼だ。周りには既に河津桜は終わりかけ、今は菜の花が咲き乱れている。11時になると次々にお客さんが来店、やはり人気店である。

かどや
静岡県河津町梨本95ー1
0558357290

ネーミングライツと駅名

2016-03-13 05:00:42 | 日記

鉄道シリーズ その130。ネーミングライツ、日本語でいうと命名権だが、我が国で初めて導入されたのは1997年。サントリーが東伏見アイスアリーナの命名権を購入したのが、嚆矢。その後、公共施設に関しては2003年東京スタジアムの命名権を味の素が購入、AJINOMOTOスタジアムは今ではすっかり定着している。野球場や競技場の命名権を売るのが常識のようになりつつあり、一部では歩道橋やトイレ、ホテルなどのネーミングライツも販売されている。

そんな中にあって経営の苦しい地方私鉄がこれを見逃すはずはなく、積極的に利用する方向に進んでいる。ただし、東京や大阪のような大都市であればスポンサーとなる企業も数多くあるが、地方私鉄の地元企業にはその余裕がない。一方で、あまりクローズアップされていないが、副駅名という形を取り、ネーミングライツを販売するケースが多くある。例えば都営地下鉄神保町駅は専修大学前、市ヶ谷駅は大妻女子大学前、京王相模原線南大沢駅は首都大学東京前、東武スカイツリー線松原団地駅は獨協大学前といった状況である。


そんな中で最近話題となっているのが銚子電鉄である。銚子電鉄は銚子~外川間6.4kmに10駅を持つ中小私鉄で1913年開業と長い歴史を持つ会社ではあるが、元々赤字体質に加え、1990年に当時の社長の資金流用などで一旦倒産。その後自治体などの支援を受けたが資産老朽化などから資金不足にもなり、たい焼きや濡れ煎餅などによる多角化などで何とか営業を継続している。

銚子電鉄は昨年12月から命名権の販売に踏み切り、7つの駅は売ることができた。このうち地元企業が購入したのが4駅。観音駅は『藤工務所』、本銚子駅は『ヒゲタ400年 玄蕃の里』などである。君ケ浜駅は『ミストソリューション』、犬吠駅は『OTS犬吠崎温泉』などだが、犬吠駅の命名権を買ったのは沖縄の会社である。

面白いのが千葉県松戸市の早稲田ハウスというリフォーム中心の住宅会社が終点の外川駅に『ありがとう』とつけたが、これは顧客への感謝を込めたものとのこと。

さらに笠上黒生駅(かさがみくろはえ)は『髪毛黒生』(かみのけくろはえ)になったが、買った会社はメソケアプラスというスカルプケアのシャンプーを開発している会社。元の駅名の一部である黒生(くろはえ)を活用した名前で話題になりそうである。

他に平成筑豊鉄道や函館市交通局、いすみ鉄道、三陸鉄道、神戸新交通六甲アイランド線、くまがわ鉄道などでも命名権を販売している例がある。さらにえちぜん鉄道では2007年に新設駅を請願で開設した際に日華化学がネーミングライツを10年にわたって購入し、『日華化学前』とした例もある。

まあ、売れるものは濡れ煎餅でも駅名でも売って何とか営業を継続したい、これが地方私鉄の厳しい現実であることは間違いない。

ハクビシン

2016-03-12 05:00:35 | 日記

休みの日の午後、テレビでサッカー中継を見ていると窓の向こうで何かが動くのを感じた。まあ、近所の茶トラの猫が通り過ぎたのかと大して気にもしていなかったが、猫にしては大きい気がして窓の外を見ると前の家との境にある金網の塀を左から右に器用に渡ってくるハクビシンらしき動物と目があった。

その塀の幅はわずか数センチ、これを分福茶釜のように器用に早足で歩く。呆気にとられていると隣の家から斜向かいの方に行くではないか。そのまま行くと外の車道に出てしまうのだが、どうなったかは分からなかった。

色々調べてみるとハクビシンの目撃情報は東京でも多くあり、近くに大きい家が幾つかあるのでその辺りが寝ぐらなのかもしれない。ハクビシンはジャコウネコ科の外来種の哺乳類でやはり猫によく似ている。鼻が長く、その名前の通り額から鼻にかけて白い線がある。見た目は可愛い顔をしているが、妻に聞くと最近その塀が通り道らしい。写メを撮ろうとはしたが、間に合わず残念なことをした。

実は数年前に前の家との境のあたりから声がするので見ると何とタヌキの子供が5~6匹いて、こちらの姿を見ると慌てて蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。それ以来、夜になるとタヌキはちょいちょい出てくるが、ハクビシンが白昼堂々と目の前を横切るとは。いや、のんびりした所に住んでいるのかなあと実感した次第。

富士急行に乗って

2016-03-11 05:00:07 | 日記

『鉄道シリーズ』その129。先日、都留市までゴルフに行く際に富士急行に乗る機会があった。もう4.5年前以来久しぶりの乗車だったが、その車両が大きく変わっていて驚いた。

富士急行はそれまでの馬車鉄道などを纏めて、1926年9月に富士山麓電気鉄道として設立、1960年に今の社名に変更した。しかし、富士急行には二つの線があり、大月~富士山(旧、富士吉田)が大月線、富士山~河口湖が河口湖線となり、富士山駅はスイッチバックとなっていることはあまり知られていない。というのは全て大月~河口湖が直通運転されているからだが、これはかつて富士山(旧、富士吉田)から御殿場方面まで(正確には籠坂峠、その先も籠坂峠~御殿場までは御殿場馬車鉄道があった)線が伸びていたことの痕跡である。


その富士急行の車両だが、まずは大月駅ではフジサン特急(8000系車両、旧小田急20000系ロマンスカー)がお出迎え。その塗装の斬新さは初代2000系(JR東日本165系改造パノラマエクスプレスアルプス)と変わらず、画期的である。


大月駅に入線してきた2000系(旧JR東日本205系)も楽しく改造されている。まず、車両を結ぶ連結部には暖簾が配され、その横には2000系のポスター。ドアも青く塗装され、ガラスには富士マークのステッカー。さらに先頭部には縦にラインが入れられ、見ていても中々面白い。さらに駅名表示板などもモダンに変更されている。



他にも5000系(トーマスランド号)、1000系・1200系(旧京王5000系)などが在籍している。例えば5000系が2013年に50周年となった際に旧京王色の塗装に戻すなど鉄道マニアにはぐっとくる配慮のある鉄道会社である。

ただ、戻る際の16時12分都留市発はトーマスランド号のはずだったが、都留市駅の人の話では5000系も1975年製と40年以上経ち、最近調子が悪いため使われないことが増えているようで、実際にやってきたのは単なる2000系車両だったことは残念であった。次回はゴルフのついでではなく、ゆっくりと富士山に向かって車両に乗りにきたいものだ。