hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

浦安駅(2)

2016-04-20 05:00:52 | 日記

『メトロに乗って』その34。前回に続き浦安駅周辺を歩く。旧江戸川とは境川西水門で別れて今度は境川に沿って歩く。しばらく川沿いの道を歩くが、西境橋、新橋と特徴のある橋が続く。

新橋から川を少し離れて住宅街を歩くが、しばらくすると焼き蛤本舗の看板。中では串に刺した貝を焼いている。これこそかつての漁師町の名残である。



その先には『猫実の庚申塔』がある。この庚申塔は案内板によると1715年だから江戸中期に作られたもので狛犬の代わりに申がちょこんと座っている。
そういえばネズミの国で発展した浦安市に『猫実』とは珍しいなあと感じ、調べてみた。読みは『ねこざね』、1983年開業の東京ディズニーランドよりははるかに古く、1417年の神社の記録には『猫真』とあるから歴史がまるで違う。ただ、名前の由来は動物の猫ではない。鎌倉時代に大津波の被害を受けた集落の人が豊受神社あたりに堤防を築き、松を植えた。この松に根を波が越さないように願い『根ござね』と言われたが、それに字が当てられ今の猫実となったとのようである。


その先を右に曲がると境川橋、また境川沿いの道を歩く。川が少し細くなり、特徴のある境川小橋に出る。



右に行くと花蔵院、豊受神社とあるが、神社は社殿を作り変えたばかりだが、神輿などもしまわれている立派なもの。その先の左右天命弁財天の小さな祠にもまわってお参りをする。


その先にはまた境川、神明橋を越えるとかつての海苔養殖に使われたベカ舟が係留されていて中々風情がある。

歩いていても春の風が心地よく、川がまっすぐに続いている。昭和40年代までは止められないほどの舟が並んでいた川も今は全く風情が変わり、散歩する人しかおらず、川自体も静かに殆ど流れもないようである。

その先、左側には浦安市役所がある。次いで同じ敷地にある浦安市郷土博物館を見学したが、これは別途レポートする。
それにしても浦安というと小生は東京ディズニーランドしか思い浮かばないが、それでは勿体無い。ぜひ、これからGWなどに風に吹かれながら旧江戸川や境川沿いの道を歩いてもらいたいと思った。何しろフラットだから。

男を表す漢字

2016-04-19 05:00:36 | 日記

『改めて日本語を知る』その13。昨年七月以来だから久々のお話。今回は『男』を表す漢字を調べてみた。

まずは漢字の『漢』という字の読み方の一つに『おとこ』があるということから。漢を使った熟語を考えると無頼漢、大食漢、門外漢、暴漢とあまりよい意味ではないが、力の強い男を表す。漢の元々の意味は『水のながれていない川』という意味。漢という国は紀元前200年頃に長江の中流の漢中郡の王に劉邦が封じられ、漢王と云われたあたりから始まる。その後次々という周りの国を滅ぼし、最後に項羽を倒して中国を再統一した。この国は後漢もあわせ400年もの間続いた王朝である。この国はその後の中国人にとって誇れる国であり、周りの匈奴などと比較して『立派な男』を漢と評したようである。

もう一つは『俠』、これは音読みは『きょう』、訓読みでは『おとこだて』『きゃん』と読むが、『きゃん』と使うときは男っぽい女性に使う。また、この字はヤクザ系の人が好きなようで俠客などとも使うが、本来の意味は『信義に厚く、弱気を助け、強きをくじく』といった意味である。

少し意味が違うかもしれないが、『兵』は1字で『つわもの』とも読む。これは文字通り『戦士』『軍人』という意味だが、転じて男を意味することがある。これと似ているのが『武士』と書いて『もののふ』。これは1字ではないが、武道を極めた武士のことを表す。ちなみにカタカナで『モノノフ』と書くと『ももいろクローバーZのファン』になるのはご存じだろうか?
最後に『強』を使って男らしい振るまいを表すことがある。その読みの一つが、『強いる』(しいる)。強引に押し付けることで強引、強奪などと使う。

これと違う使い方として『したたか』と読ませるが、これは人の行動を評して『なかなか屈服しない』『しぶとい』といった時に使う。しかし、『足を机の角にしたたかにぶつけた』と単に強くと言う意味でも使うことがある。
さらに面白い使い方として『強ち』(あながち)とも使う。これは後に否定言葉を付けて『強ち嘘ともいいきれない』などと使う。しかし、かつてはやはり『強引に』『けっして』といった意味で使っていたのだが、否定表現のみが残されたものらしい。なるほど、漢字を色々調べてみると中々面白いものである。

浦安駅(1)

2016-04-18 05:00:53 | 日記

『メトロに乗って』その33。この企画も1月以来だが、じっくり東京メトロ東西線浦安駅を降りて山本周五郎の『青べか物語』の舞台となった浦粕ではなく浦安の町並みを歩いてみた。

浦安駅は東西線で千葉県に入ると最初の駅。今ではネズミの国で全国区となった浦安市もこの駅ができた1969年はまだまだ陸の孤島とか寂れた漁村と呼ばれていた。1985年に東京ディズニーランドができるとターミナルとしての役割を担い一躍脚光を浴びたが、1988年にJR京葉線舞浜駅が開業するとまた元に戻って今に至る。

駅前を降りるとバスターミナルがあるが、その反対側、当代島を目指して歩き始める。当代島というが、今は陸続き、ただ、鎌倉時代に名前がついた頃には埋め立てできた島であり、自分の代の時にできた島から『当代島』としたらしい。

立派な当代島公民館まで10分程度あるが、その先左右に中央に緑の植わった船圦緑道が出てくる。これを右に曲がるとすぐに稲荷神社が出てくるが、これは比較的新しい。しかし、現在では浦安三社祭と銘うった祭りも6月に行われる。



元の緑道に戻る。この道は元は船圦と言われた掘割で農業用水、船の係留場所として使われていたが、1973年に漁業権放棄後は用途がなくなり、埋め立てられ、さらに緑道として整備されたもの。

これをまっすぐ行くと堰の跡があり、その先の堤防を25段ほど登ると目の前には旧江戸川が広がる。


左に曲がり、旧江戸川沿いに歩くと屋形船や釣り船が係留され、さらに釣り宿が数多く出てくる。カモメやトンビが空をゆったり飛ぶ中を川下に向かって歩く。


しばらくして旧江戸川を渡る渡場の跡が出てくる。江戸・明治にあった堀江の渡しが失われた後に明治43年より『浦安の渡し』と呼ばれた渡場がこの辺りにあった。


東西線が横切る鉄橋のそばには山本周五郎の青べか物語に出てくる船宿千本のモデルとなった『吉野屋』もある。大手町からわずか20分でこのような風景に出会えるとは。(以下、次回)

赤坂日枝神社

2016-04-17 05:00:39 | 日記

赤坂に来たのと申年なのにお詣りできていないことを思い出し、日枝神社を訪問する。日枝神社は江戸城の鎮守として江戸城内に遷座したのが始まりで川越日枝神社からの分社とされる。1657年明暦の大火で社殿を喪失、1659年に江戸城の裏鬼門にあたるこの地に遷座した。

現在の正面と思われる大鳥居は裏参道にあたる。そこから3回エスカレーターを乗り換えて境内にようやくたどり着く。上がったところにはなだ万経営の茶店がある。

その脇のしめ縄の下に本殿などに続く道があり、ここから中に入る。左手に本殿があり、縁結びの神と信仰されているため、パワースポットとして若い女性が参拝者に多い。


また、日枝神社のお使いは狛犬ならぬ猿であり、本殿の左右には『神猿(まさる)』が赤い羽織を着て座っている。

特に向かって左手の猿は子供を抱いており、そのため子授けや安産にもご利益があると信じられている。まあ、よく言ったもので『魔がさる』といわれる赤と白の猿のお守りに人気がある。

しっかりお詣りをして帰るが、元の神社が戦災で焼け落ち、再建された際の石碑をみると1958年つまり戌年であるのが面白い。

帰りに下を臨むとその高さには驚く。目の前にはTBSのタワーが正面に見え、ダイナミックな光景である。

なお、日枝神社の祭りである山王祭は規模が大きく、神幸祭と言って麹町~四谷~霞が関~丸の内~京橋から日本橋兜町にある摂社~銀座~内幸町と巡る総勢500人、300mにも及ぶ大行列などがある。毎年6月上旬の風物詩でこれが過ぎると本格的な夏も近い。

地下鉄の乗車券の変遷展

2016-04-16 05:00:50 | 日記

『鉄道シリーズ』その134。地下鉄博物館で開催中の『東京の地下鉄に於ける乗車券の変遷展』を見に行く。


この博物館は2回目だが、入るとすぐに赤い丸の内線車両東西線黄色い銀座線車両が迎えてくれるのが嬉しい。

今回は乗車券の変遷の企画展だが、1927年地下鉄が浅草~上野間で開通した時点は均一料金であったため、10銭硬貨を入れるとターン式の入口が開いて1人通る仕組みだったので切符はなかった。


その後、均一制から区間制になり、1931年に普通乗車券が登場した。その後は長く改札口で切符を切る形だったが、硬券が自動販売機による軟券に変化していった。


1974年に裏面磁気式乗車券が発売され、徐々に有人改札が自動改札に移行された。さらに1988年にはプリペイドカードが登場して小銭なしで切符が買えるようになった。


1991年にはカードを直接自動改札に投入できるようになり、さらに2007年にはICカードの登場で改札機に通さずタッチする方式に変わった。

この変遷を実物の切符や定期券から手売り時代の硬券に日付を入れるダッチングマシン、改札口に必ずあった駅員のいたブース、初期の自動券売機などがたくさん並ぶ。


特に硬券の乗車券や手書きで大きなゴム印を押して作る定期券、ペタペタとゴム印が押された回数券などは実物を知っているだけに懐かしかった。




それにしても今や当たり前の非接触式のICカードは便利さを感じる一方で駅員がハサミを入れ、窓口で切符を買っていたのんびりした時代のよさも思い出したきがした。行くなら17日まで、地下鉄東西線葛西駅隣接の地下鉄博物館にて。

ハナカイドウ

2016-04-15 05:00:20 | 日記

もうすぐ我が家の高さが1m50cmしかないミニハナミズキも葉が出始め、桜とともにハナモモ、ユキヤナギ、ボケなどが一斉に花をつける。

その中で家の軒先にピンクの可愛らしい花を溢れんばかりに付けるのが花海棠(ハナカイドウ)である。一般にはカイドウとも呼ばれるリンゴ科の低木で花が美しく玄宗皇帝がほろ酔いかげんの楊貴妃を見た時に例えた花と言われているほど美しく可憐な花である。

高さはせいぜい3mほどでサクラ同様木全体に花がつく。花は下を向いてサクランボの実のように咲くが、育てやすいのか、我が家から久我山駅までの間に10本はある。


まずはウメが咲き、ヒカンザクラ、ユキヤナギ、ソメイヨシノ、カイドウ、ハナミズキの順番に咲いて、冬から春、そして初夏と季節が移ろっていく。朝会社に急ぐときもこれらの花々を見ながら歩くとやはり心が和むものである。

ル・ボン・ヴィボン~吉祥寺グルメ

2016-04-14 05:00:55 | グルメ

毎年Hanakoの吉祥寺特集が花見の季節に出版されるが、まあこれだけ店の入れ替えがあるとはと感じる。だんだんnew吉祥寺の店は何となく個性的な店が減ってきている一方で昔ながらの店はその個性がさらに磨きをかけているような気がする。
今回お邪魔したのは1978年オープンのLe Bon Vivant。吉祥寺では老舗の南欧料理の店である。東急百貨店から5分ほどの店がなくなりかけた住宅地との境にある。

店に入るとオーナーの高橋さんが料理の説明をひと通り、『今日は魚は鯛…お勧め料理は…』と教えてもらい、生ビールを飲みながら注文を考える。
今回は最初に『ホタテとツブ貝のラビゴットソース』。安めのニュージーランド白ワインと食べるが、少し酸味のあるソースと柔らかいホタテ、コリコリとしたツブ貝の食感がいい。

次に『色々なキノコのプディングクリームソース』。この店のスペシャリテと言っているが、周りをカリッと焼き上げ、さらに揚げ玉ねぎが乗り、キノコの芳醇な香りを包んでいる。それを濃醇なクリームソースを付けながら食べるが、甘く香ばしく美味い。

さらに『ウニのムース』。ウニが香り、サラッとしたソースとの相性がいい。

そして『貝類のチリソース煮込み、セウタ』。これはかつて一世を風靡したドマーニの名物料理。貝はツブ貝がメイン、結構辛く、旨味が詰まっていてパンとワインにはぴったり。
言いそびれたが、バジルの香るパンとクルミのパンが供せられる。
メインは『牛バラの赤ワイン煮込み』、濃厚な味付けでほろっと崩れる肉。特に脂の部分が美味い。さすがに歳なのかこれだけで十分満腹になる。もちろん、デザートとコーヒーは頂いたが。


この店は料理も新しいフレンチではないが、それぞれのソースに舌鼓を打ちながら、ゆったりと料理を楽しむ形で楽しむ店でいつも至福の時を過ごせる。気がつくとほぼ満席、そういえばよく斎藤晴彦さんがお一人で楽しそうにカウンター席に座ってられたことを思い出した。

ル・ボン・ヴィボン
武蔵野市吉祥寺本町2ー14ー5
0422212936

ウグイスの声

2016-04-13 05:00:36 | 日記

桜の季節もあっと言う間に過ぎてやや寒い日もあるが、春本番となった。3月頃から近所にウグイスがいて姿は見えないが、高らかに鳴いている。最初の頃は『ホーホケキョ』としか囀ることが出来なかったが、今は『ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ』と谷渡りをするようになり、毎朝、鶏ならぬウグイスの声で目が醒める。

春告鳥の別名のあるウグイスは前にもメジロのことを書いた際に触れたが、かなり臆病もので中々人の目に触れることはない。しかし、今朝はよほど気分が良かったのか、家の近くの電線に止まってずっと囀っており、夢中なのか下から見上げても逃げない。はっきりその姿も見えるが、色はくすんだグレー、ただ繰り返し谷渡りをしていた。


また、道端にも春は到来している。パンジーやサクラソウのような観賞用の植物もいいが、日当たりの良い庭の端にポツンと咲いているスミレもいい。日当たりのよいわずかな土の上に紫色の花を健気に付けているのを見て『山路きて 何やらゆかし すみれ草』という芭蕉の句を思い出す。周りにはハハコグサやナズナ、ハコベ、カラスノエンドウなどが白やピンクの小さな花をつけている。

忘れてはいけないのが、歩道のコンクリートの隙間から出ているツクシ。漢字で土筆とはうまいものである。もう茂りかけたスギナとともに咲いていた。花粉症もひと段落(小生だけかもしれないが、)したこの時期は短いが春を楽しめるシーズンである。

希須林 赤坂店~赤坂ランチグルメ

2016-04-12 05:00:19 | グルメ

赤坂には美味い店が多い。かつてはランチタイムに赤坂に行くたびにサクソンのカレーばかり食べていたが、麺類も捨てがたい。前回、と言っても半年以上前に『金葉庭』でチャンポンを戴いたが、気になっていたのはお隣の『希須林 赤坂店』。調べると赤坂店は担々麺専門店らしい。なぜ気になったかというと12時前にもかかわらず、列をなしていたからだ。

引き戸を開けると右側に券売機。担々麺と言っても量(ハーフ、少なめ、普通、大盛)、辛さ(1~5)、種類(普通の担々麺、排骨入り、汁なし、冷やし)と色々な選択肢がある。さらに忘れてならないのは自販機の上におしぼりが格納されていること。今はいいが、夏場は必須である。初回ということもあり、『量ー普通、辛さー3、種類ー担々麺)を選択。

店員さんに渡すと『ご飯はサービスで付きますがどうしましょう』と聞かれ、前に置いてあるザーサイを見てお願いする。
店はカウンター8席のみのオープンキッチン。調理はほぼ1人でしているが、麺を湯に投入する際に合図をすると丼を並べ、色々なスープの元を投入、さらにご飯をよそったりして時間を節約。5分ほどで提供される。

麺の上にニラが少し混ざったモヤシ、さらに肉のそぼろが乗っかっている。量はそれほど多くない。麺は縮れ麺でモヤシと相性がいい。少し混ぜながら食べるが、普通に美味しい。ただ、気になったのは少しスープの温度が低いこととスパイスが強くないこと。好みはもう少しスパイシーかな?辛味は中程度で小生ならば4くらいかなあ。ただ、スープはゴマが香り、ラー油も適度、揚げにんにくなどの入っていてかなり美味い方だ。

後からくる常連さんは『野菜少なめ』『ごはん一口』と色々好みをいう。また、ご飯は美味しく、やや辛めのザーサイが良くあっている。万人に好まれる担々麺専門店であろう。

希須林 赤坂店
港区赤坂3ー7ー9
0355734119

竜閑川跡を歩く(2)

2016-04-11 05:00:36 | 日記

『神田をぶらり』その10。竜閑川跡を歩くと昭和通りの手前に小さな児童公園が並んでいる。その名前は千代田区側が地蔵橋西公園、中央区側が地蔵橋公園、その真ん中を川の跡である細い道が通る。

今はしだれ桜が美しいが、その横に『竜閑川埋立記念碑』がある。碑の裏の文章によると1950年に川が埋立られ、その跡に『竜閑新道』を造り、千代田区・中央区の両区の発展を祈念するとある。

昭和通りの歩道橋は下に昭和通り、上に首都高速1号線が走る位置関係にある。歩道橋を越えると反対側には小さな公園があり、竜閑川(神田八丁堀)の案内板が出ている。


そのまままっすぐ行く。次の交差点あたりに火除橋があったらしい。少し寄り道にと右に曲がる。


すぐ左手に十思プラザ(旧十思小学校)、その校庭跡が公園となっているが、このあたりが小伝馬町牢屋敷の跡。公園の中には石町時の鐘、この鐘は後に移設されたものだが、小伝馬町牢屋敷ではこの鐘を合図に処刑が執行された。その為、度々鐘を撞く時間を遅くしたので『情の鐘』とも言われている。


また、公園内には牢屋敷で最後を遂げた吉田松陰の碑などある。


公園の向かいには大安楽寺があるが、この辺りが処刑場の跡で刑死したものの菩提を弔う為に明治時代に作られた。また、大安楽寺の隣には日蓮宗の身延別院もある。


竜閑川跡に戻り、ビルの間に続く狭い道を歩く。この辺りには九道橋、さらにその先には甚平橋があった筈である。


細い道を歩き続け、突き当たりになるが、この辺りには小出橋があった。右手には竹森神社、そしてこの辺りで竜閑川は浜町川と接していた。

都会の中にありながら、今もほぼまっすぐに細い通りが走っている。橋は川がなくなったため失われたが、その跡の道は『坂道』と同じように昔と変わらず残されており、昔を馳せながら都会の小道を歩くのもいい。