hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

ビストロクロード〜浜田山グルメ

2018-03-21 05:00:22 | グルメ

『ビストロクロード』と言っても出てくる酒は主に日本酒、ただその種類が半端ではない。そんな店を浜田山駅近くに見つけた。

ビストロクロードは浜田山駅を降りて左手に1分、外観もお洒落なビストロである。料理も刺身系を除くと和洋折衷な料理が多い。平日7時半に店を訪れたが、店内カウンターに2人のみ、我々は奥のボックス席に座る。

まずは生ビールから。銘柄は琥珀エビスの生、こだわりがある。お通しは梅干し、私は得意でないため連れ合いに押し付けるがあまり酸っぱくないらしい。


ツマミはまずは軽く『キュウリの塩ごま和え』ごま油が効いている。ついで『鯵のなめろう』これは紫蘇やゴマ、ミョウガ、ネギなどと味噌で叩いたものだが、美味い。


酒が欲しくなり、まずは新酒搾りたて飲み比べから試す。山の壽(福岡県)とうらちえびじん(大分県)、なんとなく似たような選択となったが、特にうらちえびじんはフルーティーな香りにそそられ、さっぱり系のツマミにはいい。


次に『白子・タラノメ・菜の花のフリッター』、どうしてもベチャとなりがちな白子だが、カラッと揚げてあり、絶品。菜の花もうまく上がっていて、ほろ苦さがいい。酒は栄光富士プラチナ(山形県)、これはキレが良く、決して油ものにも負けない。

『トロトロ牛のごちゃ混ぜ煮込み』アツアツで出され、トーストと共に頂く。牛スジ煮込みだが、シチューと言っても通用する。

最後に『ホタテとエビの塩ユッケ』、ネットリとしたホタテ・甘エビをゴマ油風味で固めて青ネギをたくさん載せたもの。

これには加茂金秀桜吹雪(広島県)を合わせる。薄濁りながら甘くない綺麗な酒で最後を締める。もちろん酒も一流だが、酒肴もなかなかのもの。マリアージュを楽しむのにいい店である。また、コスパもよさが際立つ。


ビストロクロード
杉並区浜田山3ー32ー3
05055951244

鎌倉橋

2018-03-20 05:00:11 | 川と橋

『ぶらり橋巡り』その66。今回は日本橋川に架かる鎌倉橋に行ってみる。実は以前に神田川に架かる鎌倉橋(杉並区)に行ったことがあるが、この橋は鎌倉街道に架かる橋であった。しかし、神田の鎌倉橋は旧神田鎌倉町・鎌倉河岸にあるためにこの名前が付けられた。

上を外堀通りを通り、さらにその上には首都高速環状線が通っている。鎌倉河岸は江戸城を築く際に鎌倉から石材を陸揚げしたことから付いた名前。

橋の歴史だが、初めて作られたのは江戸時代、関東大震災後の復興事業として架け替えられたコンクリート製のアーチ橋で1929年に完成した。欄干には1944年にアメリカ軍の機銃掃射の銃弾跡が残されている。

日本橋同様に上を高速道路が走るため、一日中薄暗く、また、橋もよく見えないのが残念なところ。周囲の人々が橋を美しく保とうと定期的に清掃をしているらしい。

鎌倉橋は神田地区と大手町地区を結んでいるが、実際に渡ってみると鎌倉橋手前の神田地区はビルも低層の中小かつ古いビルが多く、橋の向こうは新しい高層ビルが立ち並んでいて橋がちょうど境となっている。これは江戸時代も同じで神田には商人や職人が住んでいたが、橋を渡ると大名屋敷が広がっていたようである。

開花宣言後の井の頭公園散歩

2018-03-19 05:00:20 | 日記

冬から春に変わるこの時期は数日前はなかなかぶらりと散歩に行きづらかったことが嘘のように外を歩きたくなる。以前はそれでも花粉症がネックとなっていたが、最近は年をとったのか、薬がうまく効いているのか、あまり気にもならない。東京もソメイヨシノの開花宣言が出たこともあり、神田川沿いをぶらり吉祥寺まで歩いてみた。

我が家から三鷹台駅を越えるまでは線路沿いを歩くが辛夷の白い花やレンギョウの黄色い花がいくつも見つけられる。神田川沿いには早咲きの桜や花桃などがしっかりと花を咲かせ始めていて気分が軽くなる。


その先にはユキヤナギ、白い花が泡のように細い枝に絡まって全くヤナギとは遠い種類だが、何となくその名前を付けた気持ちがわかる。三鷹台〜井の頭公園の中間にある源平桃はまだ蕾が膨らんだ程度、満開にはまだ時間がかかりそうである。


井の頭池はかいぼりがようやく終わり、在来種の魚やエビなどは池に戻されたようである。その影響か、川の水は少ないが透明で水質もよく、かいぼり効果が実感できる。ただ、まだ池の周りには囲いがあって池のそばまでは行けない。ソメイヨシノの中でも池に向かって生えている先の方の枝にはもう数輪開花した花を見つけることができる。やはり、池の反射光の影響もあるのであろう。

池の周りを歩くとソメイヨシノの咲きっぷりを見ようと人が多い。七井橋から池を見るとまだボートがないため、静かな池に少し鳥が泳いでいて、反対側にはヤナギが芽を出して黄緑色がたなびいているのが美しい。


もう10日もすれば花見客で異常に混雑する公園もまだまだ静けさが残っていた。しかし、吉祥寺駅に向かうと有名な焼き鳥屋には長蛇の列、Hanakoの吉祥寺特集が出るとやはり人が増えるのは、毎年恒例である。

小田急新ダイヤ〜向ケ丘遊園駅の憂鬱

2018-03-18 05:00:11 | 日記

『鉄道シリーズ』その201。3月17日にいよいよ小田急線が新ダイヤに移行した。これにより3日に完成した代々木上原〜登戸の複々線を使った増発が行われ、①下北沢駅8時台の上りが27本から36本と銀座線並みの本数になり、②快速急行の大増発と通勤急行・通勤快速の新設、③東京メトロ千代田線乗入れも6割増の28本へ、④上りの通勤を意識したロマンスカー、『モーニングウェイ号』『メトロモーニングウェイ号』を7本→11本とする、など画期的な改正となる。

さらに快速急行の停車駅に登戸、快速の停車駅に千歳船橋、祖師ヶ谷大蔵、狛江が加わることになる。(ふと考えると快速が停まらない駅は和泉多摩川、喜多見、豪徳寺〜世田谷代田、東北沢だけになり、本当に快速と言えるのか分からなくなる気もするが。)

そんな新ダイヤを詳しく知らずに3月17日にはこね81号に乗って小田原に向かったのだが、そこで向ケ丘遊園駅には停まらないことを知る。

調べてみると以前は『はこね号』など上下各2本が向ケ丘遊園駅に停車していたのだが、新ダイヤではロマンスカーが全く停車しなくなっているのだ。(新松田駅もロマンスカーが停まらなくなるが、ふじさん号が松田駅には停車する。)『向ケ丘遊園駅』の凋落ぶりはこれだけではない。改正後は多摩線にも快速急行が新設、これもお隣の登戸には停まるが、向ケ丘遊園には停まらない。

向ケ丘遊園駅の歴史は1927年4月に開業、当初は橘樹郡稲田町にあったので稲田登戸という名前であった。開業と同時に遊園地の向ケ丘遊園が開業、豆汽車(稲田登戸〜向ケ丘遊園正門)の運行も始まった。その後、新宿からの各駅停車(当時は小田原行は直通と呼ばれた)の終点であり、戦後1946年に準急が設定されると停車駅に、さらに1952年急行の停車駅にもなった。1965年には豆汽車を廃止してモノレールに切り替え、さらに1966年にはロマンスカーさがみ号の停車駅に加えられた。

この辺りまでがピークで2000年にはモノレールが休止、2002年には遊園地が閉園、この年に新設された多摩線乗入れの『多摩急行』は通過が決まった。まあ、2016年に多摩急行が急行に変更されると千代田線乗入れの急行は停車するようになったが。今回ロマンスカーの停車駅から外れ、さらに駅舎を見ても北口は開業当時と同じギャンブレル屋根(駒形切妻屋根)のまま。歴史的建物といえば聞こえがいいが、全く直されていない。(開業当時は新原町田、本厚木、大秦野、新松田も同じだったが、他の駅は全て建て直されている)さらに向ケ丘遊園もないのに駅名は昔のまま変わっていない。

そんな向ケ丘遊園駅だが、新ダイヤで始発の各駅停車が5本→12本と増加するなど小田急自体もかなり気を遣っているのもわかるのだが。
最後に新松田からの富士山、綺麗である。

沈丁花

2018-03-17 05:00:06 | 日記

早春の香りとしてまず思い出すのが沈丁花(ジンチョウゲ)の花である。香りが良い花には他にもジャスミン、金木犀などがあるが、早春と言うとやはり沈丁花になる。

東京ではありふれた庭木で花が咲くまでは濃い赤色の蕾であるが、花が咲くとピンクや白の鞠のように20くらいの小さな花がまとまって咲く。通勤路にもいくつかの場所に植えられていて花よりその甘い香りで気がつくことが多い。

花の色は通常は白或いはピンクのどちらかだが、人形町のマンションの庭に植えられているものは一部だけがピンクの花を付けている。


と言ってもありふれたピンク色の花であり、いわゆる源平咲ではなく、いくつかの株の一本が誤ってピンクの花のものになったのかも。ただ、株の真ん中にピンクの花を付けているので面白い。

3月5日に撮影した時はまだ花が半分くらいしか咲いていなかったが、今は満開。その芳しい香りは春の到来を実感させてくれる。

烏山寺町巡り(2)

2018-03-16 05:00:33 | 日記

烏山寺町には26の寺院があるが、そのメインストリートにあたる寺院通りを歩いてみた。この町の設立には複雑な事情があり、大正時代に当初は都心部再開発に絡み下町などにあった寺を移す計画の最中に関東大震災が発生、これにより焼け出された寺が1924年以降順次移転してきたもの。

当初はバラック建てのものであったが、徐々に再興され、さらに風致地区として一定の開発規制をしたため、風雅で趣きのある今の寺町が形成できた。

前回の続き。妙寿寺の向かいには永隆寺、この寺は日蓮宗。本堂横の看板に仏様にお参りしたい方はどうぞとあったため、本殿に上がらせてもらう。なるほど立派な阿弥陀像が祀られていて、さらに日蓮像に頭を下げてみた。

向かいが称往院、この寺は元は湯島にあったが、明暦の大火で浅草に、関東大震災で烏山へと移ってきた。寺が浅草にあったころには寺内にあった道光庵庵主が作る蕎麦が評判を呼び蕎麦切り寺として有名となる。

しかし、修行の妨げになるとして1786年当時の住職が『蕎麦禁制』の石碑を作った。また、俳人の宝井其角の墓もここにある。

その先にはインド風の建物が見えてくるが、この寺が妙祐寺。寺の歴史は比較的新しく1625年に土中から発見された阿弥陀様を本尊とした渋谷に創立された。戦後1949年の都市計画の際に烏山に移転してきたものである。

その先も源正寺、入楽寺、常栄寺、乗満寺、多聞院と並んでいてその先は中央高速が走る。

これを渡ると妙高寺、もっと時間に余裕をもって丁寧に見ればまだまだ名所や有名人の墓もある。

ただ、時間もないので今回はこの辺りでディーラーに車を取りに行くことにした。次回はサクラの時期に来たいものである。









カレー屋パク森〜渋谷グルメ

2018-03-15 05:00:41 | グルメ

渋谷には色々なカレーの店があるが、訪問した『パク森』はかなり特徴的なカレーである。以前は市ヶ谷にも店があり、こちらには何度かお邪魔したが、いつのまにかなくなっていて、気が付いた時には理髪店となってしまっていた。現在は渋谷1店舗しかないが、場所は道玄坂の真ん中あたりでケンフラのすぐ先あたり、地下一階にある。

緩い坂を登るとか右側に緑の特徴的な看板、地下に降りると店のこだわり、毎日食べても平気な日常的なカレーと書いてある。

その先、左側のドアを開けると奥と左側にカウンター、さらに厨房前にもカウンター、少人数の客に適した席の配置となっている。

メニューはパク森カレーを中心に各種トッピング、ご飯の量や辛さも調節できる。久しぶりなので『パク森カレー、唐揚げ乗せ』(980円)にしてみる。

5分ほどでカレーが登場、ご飯を平たく盛った上にキメが細かいキーマカレー、さらに周りには普通のカレールー、ご飯は上からはほとんど見えず、つまりどんな食べ方をしてもカレールーが不足しないのが特徴。キーマの乗ったところをそのまま食べてもいいし、カレールーをかけてもいい。通常カレーのため、辛味はあまり感じないが、野菜やひき肉から出る風味が旨味を出している。

3分の1程度食べて唐揚げを一つ食べる。唐揚げだけでもきちんと味が付いていて、基本具がないカレーのため、一緒に食べるのもいいし、カレールーを絡めてもいい。

少しインパクトを付けようとテーブルにある『超超激辛』ソースを小さじ一杯かけて薄くのばして食べるが、ガツンと辛みがやってくる。注意書通り量を考えないと口が痺れて味がわからなくなりそうである。

この超超激辛ソースをかけた場所とかけない場所を代わり番に食べるのも面白い。若者にはご飯の量が少し少ないが、このタイプのカレーは滅多にない。癖になりそうなカレーである。ご馳走さまでした。

カレー屋パク森
渋谷区道玄坂2ー16ー8
0334649778

今年もツクシを見に行く

2018-03-14 05:00:11 | 日記

この時期になるといつも家から近い京王電鉄富士見ヶ丘電車区にツクシを見に行く。去年訪れたのは3月5日、すでに惚けて最後の姿であった。


前から気になっていたツクシとスギナの関係だが、ツクシはスギナの胞子茎で栄養茎のスギナと地下茎で繋がっていることを知った。ただ、見た目ではスギナとツクシは離れていて、しかもツクシが先に出てそのあとにスギナが顔を出して緑の葉を広げ、光合成をして育つ。一方、ツクシは胞子を飛ばした後は枯れてしまう。

今年は冬が寒かったからと10日にしたのだが、すでに小さなスギナが顔を出し始めている。ツクシを探すと、昨年同様に惚けているのが多いものの、まだ何とか間に合った。冬の間はスギナの地上の部分は枯れてしまうが、地下茎が残って春にそこから芽を出すので毎年同じ場所からでてくるのだ。調べてわかったのだが、ツクシは第1弾は2月末〜3月初旬、そして第2弾は3月末〜4月にかけて出ること、ただ、第2弾はやや先が最初から黒くなりやすい事を知った。


スギナは面白い植物であり、シダの仲間、近いのはトクサである。蔓延るとなかなか退治できないので駆除が問題になることも多いスギナだが、一方でスギナの葉で薬用のお茶を作るなど効果のある成分も含まれている。さらに早春まだあまり草が生えていない中で丸い頭を出すツクシは可愛らしく、その姿を見るのが楽しみである。

電車の車庫の周りにはスイセンが沢山の花を付け、早咲きの桜の仲間が赤い花を付けていた。今年の春は急ピッチである。

高太郎〜渋谷グルメ

2018-03-13 05:00:30 | グルメ

10日ほど前に後輩のT君から連絡があり、渋谷の『高太郎』の予約が取れたのでとのこと。幸いにもその日は予定がなかったので参加することにした。予め場所を調べておいたのだが、渋谷駅の歩道橋を渡るとGPSが全く動かなくなり、当てずっぽうで歩くと幸いにも店の前に出た。こういう時に坂巡りなどで難しい地図を読み解いていることも役に立つ。

店は大きなカウンターと奥に10人ほどのボックス席、少し暗めの室内とテーブルへのスポットライトは料理を映えさせる工夫かもしれない。6時半にはまだ客は私だけだったが外人多数を含む団体が奥のボックスに徐々にやって来る。そこに現役のT君から少し遅れるとのメールがあり、ゆるゆるとお任せで始めることにした。


まずは生ビール、クリアな泡と薄はりの冷えたグラスが嬉しい。ビールがつくづく美味く感じるのも暖かくなったからか。1皿目は小松菜と大豆のおひたし、茄子やカボチャの甘みがよくわかる薄味。

2皿目はメカブ、季節なのか先日ワカメしゃぶを食べたばかりだが、柔らかい酢が程よく効いて喉越しがよい。ビールが空いたので酒の銘柄を聞く。

10種類あるが、飲んだことがないのは1種類のため、こちらもお任せで一合ずつ選んで出してもらうことにする。

口開けは喜久酔(静岡県)の純米酒から。あっさりした飲み心地、錫の片口は酒が温まらないのがいい。

ここでT君到着。すかさず刺身が出される。マスとカンパチ、そして赤バイ貝。ねっとりと脂の乗ったマス、さっぱりとしてコリコリとした食感の赤バイ貝。バイ貝に種類があることを始めて知る。


酒は石鎚(愛媛県)純米『初』、これでうぶと読ませる。さらっとしてこれも飲みやすい。ここで名物料理『温玉のせポテトサラダ』、崩して食べるのだが、ソースが粒マスタードが入った少し酸っぱいのがこってりとした味を締めている。

次の酒は『竹雀』(岐阜県)、これは西国三十三所巡礼の結願寺谷汲山華厳寺の近くの蔵。薄にごりだが、キレがあり、酸のあとに少しの甘みが残る。次は季節のホタルイカ煮物、浅炊きでイカの旨みが生かされている。


ここでグラタン、中身はサトイモと蓮根など根菜に白つぶ貝が合わせてある。食感の違いを楽しむが、この肴には宗玄(石川県)の山田錦。しっかりとしたやや甘みのある酒がどっしりと受け止めてくれる。能登の名杜氏坂田氏の醸した酒はやはり旨い。


ワラビのおひたしでさっぱりとした後、どっしりとしたメンチカツが登場。


レモンを絞り、そのまま頂くが肉汁たっぷりで何とも旨い。これには七本槍(滋賀県)を合わせてくる。肉の強さに負けないしっかりとした喉越し、よくマッチしている。

お腹も落ち着いたところで酒肴三品、スモークした鴨ロース、焼きそら豆、黒バイ貝。この最初の刺身は赤、今回の煮たバイ貝は黒だが、その違いがわかるほどの粋人ではない。

ここで燗酒を所望したところ喜久酔が再登場。燗にすると味わいも随分と変わる。さらに宗玄、これは八反錦を常温で飲ますが、先程よりさらにしっかりとした旨味を感じる。


この辺りで締めにするが、締めは讃岐うどんのぶっかけ、さっぱり頂き、お開き。それにしても肴も美味かったが合わせてくれる酒の妙に大変感動した。ご馳走さま、人気は実力である。

高太郎
渋谷区桜丘町28ー2
0354285705


















































































烏山寺町巡り(1)

2018-03-12 05:00:43 | 日記

車の6ヶ月点検でディーラーに車を持って行き、僅かな空き時間ができたため、バスで烏山寺町を訪れることにした。


高井戸駅から千歳烏山駅経由で久我山病院まで行く関東バスは1日7本、これに乗り込むが私が初めての客であった。それから多少乗客も増えたが、千歳烏山駅で私以外は全員下車、しかし、同じバス停から沢山の喪服を着た人が乗車。それもおばさん、おばあさんばかりである。次の交番前では子供の集団も乗り、バスはほぼ満員。細い寺町通りを走っていく。すると寺院通り2番で大半の人が下車、私も寺院通り5番で降りる。


周りは寺町というだけあり、寺が多いが、この辺りは外れにあたり、東京女子体育大学のグラウンドに梅が綺麗に咲いている。

まずはその向かいにある高源院から訪ねる。元は久留米藩主有馬氏が品川に開いた寺だが、関東大震災後に移ってきたらしい。この寺が有名になったのは鴨池とも呼ばれている弁天池があることからで、湧水でできた池の真ん中に浮御堂があり、鴨が冬には渡来するのである。


この風景を見ただけではとても世田谷区にあるとは思えない自然が残されている。ただ、見に行った時には鴨の姿はなく、残念であった。


隣の寺が永願寺、さらに歩くと専光寺。入口には都旧跡『喜多川歌麿の墓』、中に入ると墓地入口に確かにそれらしきものはあるが、墓には『北川』と彫ってある。


それは元々北川姓を喜多川に変えたもので、若い頃は『北川豊章』の落款を使ったものもある。ほかにも和唐紙の創始者である中川儀右衛門の墓などもある。

そのはす向かいには妙寿寺、元は谷中に造られた寺で関東大震災で大正14年に移転してきた。


中に入ると先日の東日本大震災で倒れた灯篭と関東大震災で穴の空いた釣鐘が並べてあるが、特に釣鐘は衝撃の大きさを目の当たりにすることができる。

その奥右手にある客殿は旧鍋島侯爵邸を移築したもの。世田谷区の指定文化財にもなっているが、木造の明治期の建築物の美しさは眼を見張る。特に一面ガラス張りの二階は当時は贅沢であっただろう。これからの季節は一面にツツジが植えられていてさぞや美しいであろう。(以下、次回)