八十路徒然なるままに

のどかなる日影に、垣根の草もえ出づるころより、やや春ふかく霞わたりてーーー。徒然草より

灯台が見える冬の海

2013年12月04日 19時31分06秒 | Weblog
大震災で、土台だけが残っている。あまりにも悲惨なので、ブログに載せるのをためらった。仕事で、植田から、四倉へ移動するので、海岸線を走行した。途中、バスが止まっていた。震災の後を見るツアーなのか、撮影をしている人を見かけた。自分、自身も、野次馬だなぁって、苦笑をしている。画像の白波が見えるところは、震災前は、白い砂浜が広がっていたと思う。白い灯台を撮影するのには、この場所がいいのかぁって、カシャリっとやっていたら、背後から、「ちょっと話を聞きたい」と。大阪の方から、取材にきたという。「ここの人たちは、どこえ行ったのでしょう」なんて、愚問だった。「原発に入って取材もしてきた」と。「原発をどう思うか」なんて問われた。「事故のことか、現在のことか、将来のことかのことだと、思うので、一口には、言えないし、わからない」って、答えるしかない。「放射線量は」と言うので、「若い人たちは、心配だろう。小生は、高齢、ここの場所は、心配のない安全だと思う」と、答えた。原発事故が発生した時は、このいわき地方にも、現在の数値の、数百数十倍の放射線が、降り注いだようだ。原発事故があった当時、事故の恐ろしさを知っている新聞記者のひとりは、知り合いを頼って、日本海の方へ逃げたと、後日、発行した本の中に書いてあった。小生自身も、当時、街中から人影もなくなり、車の姿もパラパラなのを見て、不安になり、弟がいる福島の方へ、避難をして世話になつた。一枚の写真から、いろいろなことを、思い出す。

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